徒然なる日々

るくりあが小説を載せたり舞台の感想を書いたりするもの。小説は文織詩生様【http://celestial-923.hatenablog.com/about】の創作をお借りしています。

昇々-The sun rise again-

「なぁ、ナルセ。お前はどこで死にたい?」

その日はセージさんの家で呑んでいた。家族が眠り、夜も更け、静かに呑んでいた時、俺の上司はポツリとそんな事を漏らしたのだ。
「そんな縁起でもないこと言うなんてセージさん、実は酔ってる?」
俺の言葉に、かもなと肩を竦めてみせる。カランと氷が溶けて音が鳴った。度数の高い、琥珀色の液体を喉に流し込むと一つ溜息をついて口を開いた。
「俺はさ、戦場で死にたいのよ。」
…正直、意外だった。セージさんには愛する家族がいるから。きっと見送ってもらって、いい人生だったって暖かいベッドの上で死ぬんだって。そんな風に思っていた。
「なーんだよナルセ。そんなに意外かー?一応俺だって軍人なんだぜ?」
カラカラと明るく笑うセージさんに俺も笑った。多分、引きつってただろうけど。
「いやー、意外すぎてびっくりした。絶対セージさんは家族に看取られて死にたいタイプかなって?」
思ったことを言えばカカカと笑った。
赤い髪をぐしゃぐしゃかき混ぜながらセージさんは言った。
「普通に考えたらさー、梓は分かんねぇけど、リアよりは早く死ぬワケじゃん?そしたら俺が死ぬとこ、リアはばっちりみるだろ?命の灯火が消える瞬間を目撃することになると思うからさ。それをリアには体験して欲しくないっていうか…分かるか?」
俺たちは軍人だ。人を殺し、人が殺されるところを何度も何度も見てきた。怪我を負った仲間をなんとか軍医のところへ連れて行ったとしても、助かるとは限らない。手を握られて、俺を通したその向こうに、置いてきた家族や、恋人なんかを見て、ふわりとそう、まるで散った花弁が地面に落ちるように事切れる。瞳に、永遠の虚無が訪れる。
その瞬間、親しい奴じゃなくたって自分の無力さを、喪失感を感じさせられる。まして家族ならもっとだろう。
「いいんすか、それで。あんたが一人寂しく死んだって何にしろリアは死を感じることになる。」
そうだなとセージさんは頷いた。
「だったらその時を少しでも伸ばしてやりてぇと思うのが親…というか俺なんだよ。」
その時、俺が見たセージさんはいつも通りの笑顔を浮かべていた。
 
ひらりひらりと薄紅色の花弁が舞い落ちる。
彼の祖父が極東から持ってきたという桜。庭に植えられたその樹の上にセージさんは居た。
「セージさん、アンリさんが呼んでるっすよ!」
幹にもたれて太い枝に座っていたセージさんが片眉をあげる。
「要件は〜?俺、今日久々の非番なんだけど?」
どうやら昼間にもかかわらず、すでに呑んでいたらしい。手にはショットグラスが握られている。
「知らないっす!ただ呼んでこいって言われただけなんで!」
その言葉に明らかに嫌そうな顔をしたセージさんが降りてきた。風を受けて緩く着たシャツの裾がふわりと舞う。
「あいつも横暴だなぁ…。ま、いーや。じゃあ行くか。」
ちゃんと軍服着てってくださいよ!と後ろから声をかけるとこちらを見ないままひらりと手を振った。
その時一陣の風が吹いてきて、薄紅色が俺の視界を埋め尽くし、セージさんの姿を霞ませたのだった。
 
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【the original&illustration by Shio Fumiori】
 
セージさんが特別任務を受けてから何年経っただろうか。前の定期報告から半年、そろそろ来る頃。
あれはある意味、虫の知らせというやつだったのだろうか。
ふと俺はあの質問を他の人にしてみたいと、そう思った。
「なーアンリさ「軍曹!」
走ってきたやつがアンリさんを呼ぶ。
「どうしたんだい?」
アンリさんが聞くと、走ってきた奴は二度三度深呼吸をして息を整え、言葉を紡いだ。
「先程、基地のゲートに少女が一人来まして…。それでその、軍曹に報告がある、と。」
特徴は?とアンリさんが言う。曰く、赤髪に緑色の瞳。
 
「…セージ・ロルカに代わり、ルクリア・ロルカが報告します。前回の報告にもありますように、現在もオランジュでは緊迫した状態が続いています。副団長ミラン・フォートリエの抜けた穴は未だ埋まらず、支障が出ているところもあるようです。ただ、リオラ・ルシオールの人望は我々の想像より高く、着々と我が軍との戦争に向け戦闘態勢を整えつつあります。以上です。」
ご苦労だったとアンリさんが言った。
ふっとその場の空気が緩む。“軍曹ではない”アンリさんはそっとリアに聞いた。
「何があったんだい?」
セージさんではなくリアが来た。それだけで大体の予想はつく。が、どこかでまさかと思う自分がいた。
「薬物中毒の元兵士に襲われました。多分元々腕の立つ人だったんだと思います。その日は街の人との集会に参加することになっていたので、護身用のナイフしか持っていなくて…。相手は拳銃だったんです。私を庇うために避けないで、それで。」
そこまで言うとくしゃりと、今にも泣きそうな顔でリアは笑った。
「机の中に遺言があったんです。グラフィアスに所属していただけでも何があるか分からないからと遺骨は散骨するようにとか、落ち着いたら資料を持って報告に行けとか書いてありました。それで今回は私が。」
お前、大丈夫かとか、御愁傷様でしたとか、まさかあの人がとか、リアに死に様見せないんじゃなかったのかとか、言いたいことはぐるぐる俺の中で回るだけで一つも言葉にならなかった。
 
セージさんの任務は俺が引き継ぐことになった。今はリアの家に住んでリアを監視をしている。
リアはどうやら軍の暗号を解読したようだとアンリさんは言った。セージさんの最後の報告書は暗号化されていたから解読できなければ読むことができなかったと。
 
夜の静寂の中ひたりと足音が聞こえた。ゆるく目を開け耳を澄ませると音は階段を降りていく。
あの日から時折あることだ。夢に見るのだとリアは言う。
夢の始まりは肉を断つ鈍い音。振り返ると梓さんが地に伏している。呼ぼうとした言葉はセージさんが手を引くことで声にならずに息を吐くだけに留まった。
痛いほどに手を引かれ裏路地を走る。ちらりと後ろを振り返ったセージさんの顔が驚愕に染まり、リアはその胸に抱き込まれた。発砲音が数回鳴り響く。地面へと倒れたセージさんの下からはい出そうとするとぐっと頭を抱えられ息も絶え絶えに最期の言葉を紡ぐのだ。
「…あいつが、居なくなるまで、動くなよ…?ダメなら、チャンスを…待て。俺のベルトにナイフが挟んであるからな。…生き、のびろ。」
あとはただ真っ赤に染まった視界にようやく目がさめるのだと言う。
 
そっと追いかけるとリアは寝巻きで庭先に出ていた。風邪引くぞと部屋から適当に持ってきたシャツをはおらせる。
「…お父さんがよく言ってたんです。」
桜は人の一生のようだとリアがポツリとこぼす。芽吹き、咲いて1番綺麗な時は短く、後は止まらずに散る。止められないその営みがまるで人の一生を見るようだとセージさんは言っていたらしい。
もしかしたらあの日もそんなことを思いながら杯を重ねていたのだろうか。桜の側に立つリアの上からハラハラと降る薄紅に、セージさんの背中を思い出した。
急になんだかさらわれてしまいそうな気がして腕の中にリアを閉じ込めた。
 
「ナルさん…朝ですよ。」
今日も太陽が昇って、リアが起こしに来る。
「あと5分…。」
そう応えれば、仕方ないですねと呆れたように言って下に降りていく。
丑三つ時の出来事を思い出してため息を吐く。
まぶたの裏のセージさんが桜の下でニカッと笑う。
いつか俺はリアを、セージさんを裏切るのだろうか。…裏切れるだろうか。
…考えるまでもない、裏切れるはずだ。いや、裏切れる。絶対に。
だって俺は‘‘正義’’のために動くのだから。

不離

白髪の少女は座っていた。
少女が愛した人と共に。
彼の髪と同じオレンジの花弁が風で巻き上がる。
少女は座っていた。
ずっとずっとそこに。

彼はそのオレンジの髪を散らして花畑に寝転がっていた。
傍には愛しい少女。
じわりと涙を浮かべるその姿に困ったように笑って頭を撫でる。
彼女の名前を呼ぶ。
彼は遠い日を思い出していた。

彼女との出会いは鮮烈だった。
国の者もめったに訪れることのないオレンジの花畑に座る少女。
‘‘今すぐここから離れろ!お前死にたいのか⁉︎”
私の言葉に振り向く彼女。
その透き通ったムーンライトブルーの瞳に全て見透かされそうで。
ぽつりと彼女が零した言葉に驚愕した。
‘‘…さみしいの?”
植物に蝕まれた青年と植物に愛された少女の運命が交錯した時であった。

彼は孤独だった。
国土の大半を占める、時に利となり、時に害となるオレンジの花、高山草。
それを幼い頃の実験によって自身に宿した彼はいつもどこかで諦めていたのだ。
騎士団団長となり民から慕われても。
優秀過ぎる右腕と可愛い部下に囲まれて仕事をしていても。
彼につきまとうのは幼い頃、自身が触れたことで枯れた花のように誰かを傷つけるのではないかという恐怖。
彼はその恐怖に耐えきれず自身の生を呪っていた。

彼女もまた孤独だった。
植物に愛され、自身が願えば花が咲き、実がつく。
気味悪がられ、村を追い出された彼女を護ってくれたのは植物だけだった。
植物は彼女の食べ物となり、住処となり、話し相手となった。
ある日黒い服の男が彼女を訪ねてきた。
彼は彼女に人の温もりと、人並みの暮らしを与えてくれた。
彼はいつも‘‘いってくる”と言った。
彼女は‘‘いってらっしゃい”と返した。
彼は‘‘ただいま”と帰ってきた。
彼女は‘‘おかえりなさい”と返した。
そしてある日、彼は彼女を薄暗い奥の奥の部屋へと連れて行った。
ここから出ないようにと言った彼は‘‘いってくる”と言ったので彼女は‘‘いってらっしゃい”と返した。
彼から‘‘ただいま”と言われることはなかった。

似た者同士の2人は恋仲になった。
いつも眉間にしわを寄せた副団長に呆れられるぐらいに彼は彼女を溺愛し、彼女も控えめながら彼を愛していた。
‘‘ずっと一緒にいたい”
けれど彼女は悟っていた。
彼の中の高山草が言ったのだ。
彼はもう、長くはないと。

彼と彼女は2人が出会った花畑に来ていた。
楽しそうに植物と戯れる彼女を彼は愛しそうに見つめていた。
彼女の名前を呼ぶと不思議そうな顔をして近づいてきた。
後ろを向けと言って花冠を乗せる。
自分の力で作った高山草の花冠。
頭に手をやって固まっていた彼女を不思議に思って呼ぶと振り返りざまにきゅっと抱きつかれた。
嬉しそうなその顔に自然と顔がほころぶ。
重心を後ろに傾けながら彼女を引っ張る。
ぱっと2人の周りに花弁が舞った。
彼女をぎゅっとその腕に閉じ込める。
とても幸せだった。

彼はもう限界だった。
ベッドに横たわる彼。
その傍に彼女。
他には誰もいない。
体力が落ち、上手く力をコントロール出来なくなった彼は常に毒を出し続ける状態で、彼女の他に近づける者は居なかった。
死期を悟った彼は彼女に言った。
‘‘あの場所に行きたい”

「ハナエ。」
彼女は俯けていた顔ををこちらに向けた。
目の端に溜まった涙がほろりと溢れる。
「…いや、いやだ。まだダメなの…!もう少しだけ…もう少しでいいからっ…!」
きっとハナエは私の中の高山草と話しているのだろう。
いやだいやだと繰り返すハナエをもう一度呼ぶ。
「ハナエ。」
ハナエはようやくつぶやくのを止めた。
「案ずるな、ハナエ。私はどこにも行きはしないぞ。」
左右に首を振る。
ぐっと拳を握り締めるのが見えた。
「嘘だ…。桔梗みたいにリオラも帰ってこなくなる。」
「嘘ではないぞ、ハナエ。」
とびきりの笑顔でハナエを見る。
ハナエ、私は今ちゃんとお前に笑えているか?
「私はずっとお前の側にいる。約束だ。」
右の小指を立ててハナエに向ける。
ハナエの白くて細い指が私のそれに絡んだ。
極東の、約束を破らないと誓う時にやるのだという指切りをする。
「ハナエ。」
彼女の頬に触れた指が先から朽ちていく。

‘‘私は永遠にお前の側でお前を愛し続ける”


少女は幾日も彼と共に座っていた。
ずっとずっとそこに居続けた。
また一陣の風が吹いた。
オレンジの花弁が舞い上がりその色の風となる。
ヒラヒラと花弁が地面に落ちる頃、少女の姿は忽然と消えていた。

「リオラ。」
彼が振り返った。
「おや。もう来てしまったのか、ハナエ。」
固く抱擁をかわす2人を見守るのは辺り一面の高山草だけだった。

とある一軒の家。
そこには青年と少女が暮らしていた。
2人は共に軍に所属し時には命に関わるような任務もあったが、幸せに暮らしていた。
そんなある日彼に極秘の任務が言い渡された。
誰一人としてその内容を告げてはならない。
そう言われた彼は残された3日をどう過ごすか考えた。
が、良い案は思いつかない。
結局彼は普段通りに過ごすことを決め、彼女には3日後に任務で旅立つとだけ伝えた。

彼は彼女のことを愛していた。
彼女も彼のことを愛していた。
2人の間には一つの約束があった。
‘‘任務から5年、音沙汰がなければ死んだと思って次の人を見つける”
そう、5年以内に戻ればいいのだ。
けれども5年で帰れる保証はどこにもない。
彼は考えた。
例え彼女をここに縛りつけることになっても帰りを待っていて欲しかったから。
周りにそれとなく相談した。
そして彼は花冠を送ることに決めたのだ。
その気高い紫色の匂い立つ花に想いを込めて。
知人に教えてもらいながら必死に作った。
‘‘珍しい。どうしたんだ。”
と聞かれれば曖昧に笑んで誤魔化して。
そうしてできた花冠は少々不恰好だったけれど彼女の瞳と同じ色のリボンがひらめく今までで一番きれいな贈り物だった。

出発の前日。
その日の夕飯は彼の好きな物ばかりだった。
美味しそうに食べる彼を見つめる彼女。
‘‘顔に何かついているのか”と聞けば、
‘‘あなたの顔を焼き付けておこうと思って”と。
風呂に入り、その晩は同じベッドで寝た。
おずおずと彼の背中に触れる彼女を彼はぎゅっと抱きしめてそのまま眠りについた。

出発の日。
彼は彼女に花冠を渡した。
突然頭の上に乗せられたそれにひどく驚いていたが花冠だと告げると嬉しそうに微笑んだ。
‘‘いってくる”という彼に‘‘いってらっしゃい”と答える彼女。
彼の姿が見えなくなるまで見送った彼女は静かに家へと戻った。

約束の5年では帰れなかった。
そしてあの日から10年が経ち、彼は彼女が待っているであろう家へと続く道を歩いていた。
家の前で彼の目に映ったのは荒れ果てた庭だった。
彼女が綺麗にしていた庭は見る影もなく、彼女は待っていてはくれなかったのだと思った。
一縷の望みをかけて家の中に入る彼。
‘‘ただいま”
あの日の頃ならすぐに帰ってくる声が聞こえない。寝ているのかもしれない。
そう彼は自分に言い聞かせるように彼女の部屋へと向かった。
彼女の部屋には誰も居なかった。
あぁ、やはり彼女は行ってしまったのだと思ったその時、彼は自分の部屋の扉が少し開いているのを見つけた。
そっと入るとそこにはすっかり変わった彼女が横たわっていた。
艶やかだった髪はもつれ、美しい肢体は痩せこけていて。
彼が彼女の肩を揺するとゆっくりとその目が開き彼の顔を捉えた。
‘‘これは夢…?”
彼は泣きそうなのを堪えて言った。
‘‘夢じゃない。帰ってきたんだ。”
彼女はゆるりと微笑んだ。
‘‘おかえりなさい。ずっとずっと待っていたの。”
あなたがそういうからと壁にかかった何かを指さす。
それは彼が彼女に送った花冠のドライフラワーだった。

彼女は重い病気を患っていた。
彼は思った。
‘‘彼女の病気が治るならなんだってする”と。
彼の必死の看病のお陰か彼女は日に日に良くなった。
ひどい咳はおさまり、発作も出なくなり、物も食べられるようになった。
医者からは奇跡だといわれた。
そして2人はやっと元のように暮らせるようになった。

彼は病床についていた。
医者にはもう長くないと言われたために病院を出て彼女と暮らしたあの家に戻っていた。
弱っていく彼に彼女は気丈にも明るく振舞った。
けれど彼は気がついていた。
彼女が寝ている彼の手を取り、嗚咽を漏らしているのを。
最期の時。
彼の胸に伏しながら堪えきれずにいくつもの筋をつくる彼女。
‘‘逝かないで。もう私を1人にしないで。”
泣きじゃくるのも虚しく彼の聴覚は水の中に入ったかのように奪われ、視界は狭くなり色彩は見えない。
うまく動かない手で彼女の髪を一房手に取り口づける。
‘‘笑って。”
そう強請れば彼女はくしゃりとゆがんだ笑みを作る。
‘‘君と生きることができて良かった。”
また泣き出す彼女が白み出す。
あぁ、彼女との日々があの花冠のように朽ちず終わらないものだったら良かったのにと思った。

彼女は墓前に佇んでいた。
彼の名前が刻まれたそれの前に。
彼女はその文字を撫でた。
愛おしそうに、そして沈痛な面持ちで、
彼女はそこにあの日の花冠ともう一つ置いた。
真紅の花で作られた花冠を。
そして彼女は—...

子煩悩-Trick or Treat!-

「あ、ミランさん、飴持ってく?」

「飴…?そんなものは必要ない。では、行ってくる。」
 
「リアー、パパにいってらっしゃいのちゅーは?」
「今日もやってるの?飽きないわねぇ…。」
「いーの、毎日してもらうんだから。じゃ、いってくるわ。」
 
10月31日。人が訪れるには少し早い時間にロルカ家のドアノッカーが打ち鳴らされた。
「おっはよー梓ちゃん!」
ドアを開けると快活そうな女性と2人の息子。ミラン・フォートリエの妻、クロエとその息子のアランとローランだ。
「おはよう、クロエちゃん。中入って。」
3人を家へと促すのはセージ・ロルカの妻、梓と愛娘ルクリア。
「じゃ、お邪魔します。ほら、2人とも。」
行儀よく言うと子どもたちで部屋へと入っていった。
「で、“アレ”はできてるの?」
悪戯っ子のような顔で聞くクロエに梓は頷く。
「勿論。最高傑作と言っても過言じゃないわ。あ、あとリクエストのTシャツもちゃんと作ったわよ?」
ありがとう梓ちゃん!もー大好き!とクロエは梓に熱い抱擁を送る。母親たちの子どもを呼ぶ声が響いた。
 
「どうかしら?」
「完璧すぎて言葉が出ないわ梓ちゃん…!何コレ!可愛いー!」
10月31日、つまるところハロウィンの“アレ”とは梓が3人のために手作りした衣装だった。
アランは黒いズボンにドレスシャツ、赤い裏地のついたマントを纏う吸血鬼。ローランは茶色の耳と尻尾、ズボンにTシャツ。そのTシャツには漢字で“狼男”と書かれている。リアはとんがり帽子に黒いワンピース、箒を持った魔女。
感極まったクロエはひたすらシャッターを切っている。
「なー母さん、これ着て何すんだー?」
こてんと首を傾げたローランの可愛さにまた悶えそうになるのを抑えてクロエは言った。
「今日はハロウィンでしょ?だから、リアちゃんのパパとミランさんの所にいたずらしに行くのよ!」
途端にやったーと喜ぶローランの隣で何やら考え込むアラン。
「それ…お仕事の邪魔じゃないの?」
その言葉に大丈夫よと梓が笑った。
「ちゃんとパパたちより偉い人に許してもらえたわ。」
そう、2人は夫のコネを存分に使い許可をもぎ取っていた。
「じゃあ出発するわよ!まずはリアちゃんのパパの所にレッツゴー!」
クロエの車に乗り込み、一行は最初の目的地、グラフィアスの元へと向かった。
 
3人は長い廊下を歩いていた。機密上の問題から本部の建物に入れたのは子どもたちだけだったので母親たちは外で待っている。
「あれ、リアちゃんもう来てたんですか?」
後ろから掛けられた声に振り向くとそこには青年が2人立っていた。
「リュカさん、ナルさん!」
それまでずっと不安げにローランとアランの後ろを歩いていたリアがたっと駆け寄った。
「おー、お前は魔女か。そっちは?友達?」
ナルセの問いにリアが頷く。リュカはニコニコしながら2人を手招いた。
「さて、3人とも言うことはないですか?」
その言葉にピョンとローランのアホ毛が揺れる。3人は顔を見合わせるとせーので元気よく言った。
「とりっくおあとりーと!」
ナルセが、げと顔をしかめる一方、リュカはポケットから飴玉を取り出すと3人に渡した。口々にお礼を言ったところでローランがはたと気づく。
「あいつにはお菓子貰ってないからいたずらか?」
そうだねとアランが頷くとリアが持っていた籠の中から何かを取り出した。
「ナルセさん、逃げちゃかわいそうですよ。」
じりじりと後退を始めていたナルセがリュカにたしなめられる。
リアが手に取ったスプレーを持ってナルセの足元へ行く。ここへどうぞとばかりに開いているズボンの穴のようなところにシュッシュッと中の液体を吹きかけた。
「ん、何だコレ…って何かスースーする!」
見るとリアがその液体を、かけた所をうちわで扇いでいた。単純な反応に爆笑するローラン。悪いと思ったのかリュカのアランは笑いを噛み殺しているが肩が震えている。
「だーもう!笑うなよ!本当にスースーすんだぞコレ!」
ちなみにスプレーの中身は薄荷水だった。
 
僕たちも軍曹たちの所に用があるので行きましょうかと言うリュカたちと共に3人は扉の前に立っていた。ナルセがドアを叩く。いきますよとドアを開けたリュカの後ろから3人は中へと入った。
「とりっくおあとりーと!」
やあと手を挙げたアンリと優しく笑うソフィア。セージだけが目を丸くしている。
「え、なんで⁉︎」
「さっきリアたちが言ってたじゃないかTrick or Treatって。」
アンリに言われようやく思考が働き出したらしくばっちり魔女の姿になっているリアを見ると手を広げ駆け寄ってきた。
「さ、皆お菓子あるわよ。」
ソフィアの一言に3人はパッとそちらに向かう。
「リア〜…。」
情けない声を出すセージにアンリが噴き出す。
「まーまーそういうコトもあるだろ、な?」
ドンマイと肩を叩くナルセの声は震えているし、小さい子は花より団子ですよとフォローしたリュカも肩が震えている。
それをニヤニヤと眺めていたアンリはくいくいと引かれた手に沿って下を見やるとソフィアに大きなロリポップキャンディーを貰ったらしい3人が並んでいた。
「ちょっと待ってね…。はい、どうぞ。」
アンリが取り出したのは一口サイズのチョコレート。ちゃんとお礼を言う3人にアンリの口元がほころぶ。
「いやー、見ないうちに大きくなったねぇ。」
ひょいとアンリはリアを片手で持ち上げる。頷くリアの下からローランが声をあげた。
「リアだけずるいぞー!俺も俺も!」
アンリに抱き抱えられて嬉しそうにしている2人をアランは少し笑って見ていた。
「じゃ、お前は俺な。」
その声に反応する前に後ろから抱き上げられる。
「あ、アランはリアのパパにか!」
「そーだぞ、いーだろー?」
何故かドヤ顔をするセージの後ろでナルセが娘にはフラれてるけどなと呟いた。
それを聞かれまいとリュカがセージに話しかける。
「そ、そういえばセージさんはお菓子、ないんですか?」
そうだそうだとセージはズボンの中を探る。出てきたのはチョコレートバー。
「なんで皆持ってんだよ…。」
ぼやくナルセにソフィアはあらと言った。
「ナルセ、貴方普段から非日常に備えてないの?あの地震大国の出身なのに?」
えとびっくりするナルセにアンリがやっぱりねという顔をした。
「ここでは地震はないけど、緊急で動かなきゃいけない時もあるだろ?だから皆カロリーがすぐ取れる甘いものを持ち歩いてるのさ。」
ショックのために床に崩れ落ちたナルセにグラフィアスの面々と子供たちの笑い声が降り注いだ。
もちろん、ソフィアの用意したロリポップキャンディーはこのイベント用のものだったわけだが、彼女が知っているのは必然だろう。
 
「あの2人、ミラン・フォートリエの息子なんでしょ?」
「らしいな。意外と可愛げがあってびっくりだ。特にあのアホ毛ちゃんの方。」
「そうだね。もう1人はどことなく似てたけど。まぁあそこまでの無愛想のが珍しいか。」
「ありゃ筋金入りだもんな。からかうの楽しいけど〜。」
 
オランジュ軍本部に着くと門の前にリオラが立っていた。
「あらリオラさん!わざわざごめんなさいね。」
車から降りたクロエが駆け寄った。
「あぁ、構わん。それよりこの子たちに何かあった方が困るではないか。」
それじゃ、よろしくお願いしますと3人は母親に見送られた。
 
「アランもローランも見ないうちに大きくなったものだな。どうだ、勉強はしているか?」
リオラに連れられミランの執務室に向かう途中2人はそう聞かれた。
「僕はやってますけどローランが…。」
「だって!勉強つまんねーんだもん!」
呆れたような目を向けるアランにローランはぷぅっとふくれる。
「ははは。ローランもミランのようになりたければ勉強しなければな。精進するのだぞ?」
リオラにそう諭されたローランは渋々頷く。
「して、お前は将来何になるのだ?」
それまでアランの後ろでリオラに目を合わせることなく歩いていたリアの肩がはねる。
恐る恐る見上げた先でリオラが首を傾げた。
「…軍人さん。でもお父さんには内緒。」
怒るの、ダメだってとリアがしょんぼりと言った。セージは可愛い娘を戦場に行かせたくないのだろう、当たり前だ。
「そうか。だが、その内お父上の気持ちも分かるようになると思うぞ。」
そうリオラが言った所で廊下の向こうから2人組が走ってきた。
「リオラ様ー!」
「おぉ、アムにシルではないか。どうしたのだ?」
ゼーハーと息を切らした2人がガシッとリオラの腕を両脇から掴んだ。
「リオラさま!まだ本日の業務は終わっていませんよ!」
「そうです!3時までの書類もあるのですから急いで!」
リオラはズルズルとアムとシルに引きずられていく。
「ま、待て待て!わたしはその子らにミランの執務室の場所をだな…!」
ギンッとアムとシルに睨まれ放してくれないと悟ったリオラが3人に縋るような目を向けたが彼らはポカンとしたまま見送る。
3人の脳裏にはドナドナが流れていた。
「あ、リオラさんたちにとりっくおあとりーとって言うの忘れたね。」
我に返ったアランの呟きが廊下に響いた。
 
広いオランジュ軍の本部で置き去りにされた3人は迷子になっていた。
「なぁアラン〜父さんが居るのどこなんだよ〜?」
「僕も分かんないよ…。誰か通りかかるといいんだけど…。」
アランが足元に落としていた視線を上げると廊下の向こうから男女が歩いてきていた。
「もう!兄さんはいつもいつも力で解決しようとするからこんなことになるのよ!少しは団長とか副団長を見習ってっていつも言ってるじゃない!」
「ガハハ!怒られはしたが結果オーライだったのだから良いのだ!!ん?オペラ、見たことのない子どもが居るぞ?」
豪快に笑った男が指差したことでぴゃっとすくみ上がったローランとリアがアランの後ろに隠れる。
「あら…!ここには入っちゃダメなのよ?」
「ち、違うぞ!俺たちは父さんより偉い人にいいって言われて父さんに会いに来たんだ!迷ったけど…。」
ローランが優しくたしなめたオペラに言い返すとオペラが眉をひそめる。
「…じゃあお父さんのお名前教えてくれる?」
ミランミラン・フォートリエ。」
アランが答えると2人は目を見開いた。
ミラン殿のご子息か!ガハハ!こりゃ愉快だ!ならばこのバレット、ミラン殿の執務室まで案内しよう!」
ついてくるが良い!と歩き始めたバレットに3人は恐る恐るついて行く。
「ごめんなさいね。兄さんはうるさいけど悪い人じゃないのよ。」
優しく笑うオペラに3人は各々頷いた。
 
ノックされた音に気付きミランが読んでいた書類から顔を上げる。
「…入れ。」
今日はこちらに来ると言っていたルイかと思いミランは入室の許可をする。扉を開けて入ってきたのはルイと…
「なぜお前たちがここに居る?」
息子が2人にもう1人、見覚えのあるような気がする子どもだった。存外厳しい声が出たのだろう、3人がビクリと固まる。
くるりと後ろを向くとこそこそと話し出す。
「やっぱり…父さん怒ってる…よな?」
「そりゃそうでしょ。だってお仕事の邪魔しちゃったし…。やっぱりやめといた方が良かったんじゃ…。」
そんな3人を横目にルイがミランの方に歩いてくる。
「久しいなミラン。今日も眉間のシワが絶好調だぞ。」
からかってくるルイの顔に視線を向けると普段のマスクは無く、無機質なひび割れが顕になっている。
「ルイ、マスクはどうした?」
いやなとルイが困った声で、無表情のまま言った。
「バレットくんたちに連れられて執務室まで来たようなのだが入る決心がつかないらしく扉の前で佇んでいたのでな。ちょっとした出来心で驚かせたらローランくんの手がマスクに当たって落ちてしまったのだ。だが、幸い今日はハロウィンとやららしく何も聞かれなかったのだよ。」
そうルイに言われて見ればなるほど、3人とも仮装をしていた。ミランは1つため息を吐くと小さな3つの背に向かって声をかけた。
「…ハロウィンなのだろう?」
その言葉に動きを止めた3人が嬉しそうに振り返る。
「とりっくおあとりーと!」
 
ミラン、入るぞ。」
リオラが入るとミランとルイが唇に人差し指を当てていた。客人用のソファを見ればすやすやと眠ること子どもたち。
「あぁ、すまない。それでミラ…ぶっ!」
噴き出したリオラに咎めるような視線が刺さるが耐えきれないというように口に手を当てて笑っていた。
「な、なんなのだその、あっ…頭は。と、とってもメルヘンだな。」
お菓子を持っていなかったために悪戯されたイイ大人2人は髪を弄られていた。
ルイはその巻き髪を三つ編みにされただけだったがミランは長い髪をラ◯ンツェルの髪型にされていた。子どものクオリティとは思えない見事な出来だ。なにせ花まで刺さっている。
「セージ・ロルカの娘が器用なようでな。アランがルイの髪を結っている間にやっていた…。あまり似ていないと思ったがこういう所は似ているらしい。」
悪戯好きだと言いたいのだろう。しみじみと言ったミランにリオラの笑いが更にヒートアップする。
そんな大人たちを知らない3人はすやすやと夢の世界に旅立っていた。
 
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【the original&illustration by Shio Fumiori】
 
「だから朝、クロエは飴は要るかなどと聞いてきたのか…。」
「断ってしまったのか?」
「あぁ。」
「はは。クロエはミランに優しいな!」
「…当然だろう。」
 

劫-revised edition,I keep on loving him-

「第六特殊部隊第一諜報部グラフィアスに告ぐ。エンハンブレ国境の地で長期の戦闘命令がくだった。出陣は1ヶ月後、皆に身の回りの整理をしておくようにと。」

恐らく最後の、いや、最期の出陣になるだろうと思った。
“身の回りの整理をしておけ”
その言葉がここまで重くのしかかってきたことが今まであっただろうか。
「どうしたの?そんな辛気臭い顔しちゃって、あなたらしくないわ。」
無理してでも飄々としているくせにと心配そうに聞いてくる愛しい存在。
あぁ、そうか。彼女が居るから、彼女の側に居たいと願って止まないからこんなにうまく振る舞えないんだ。
「大丈夫。何でもないよ、ソフィアちゃん。」
ねぇ、僕は今笑えてるかい?君を余計に不安にさせたかな?
出陣命令がくだってから考えてしまうんだ。一体あと何回君とこうして時間を過ごすことが、君の名前を呼ぶことが、君と夜を共にすることができるかって。
…ダメだなぁ、僕。2人に会わせる顔がないよ。死にたくない、なんてさ。
 
あまりにも思いつめたような顔をしているからつい聞いてしまったの。どうせ返事なんて分かりきってるのに。
「大丈夫、何でもないよ、ソフィアちゃん。」
ほら、そうやって貴方は取り繕う。なんでもないような顔して、自分自身に言い聞かせてる。気づいているのかしらね?
…全然笑えてなんかないんだから。
ーあいつは…アンリはさ、重たくて、誰かに持ってもらうことさえできないようなものを背負っちまってる。お前は聡いから分かってるだろうが、アンリはいつも顔に仮面をつけて、心に蓋をして、1人で抱えるような奴だ。だからさ、俺が言うのもアレだがあいつのこと、頼むな。
俺には無理だ、お前じゃなきゃダメなんだと彼の隣で何もかもを見ていた赤髪の男は言っていた。
「私に出来るのは何なのかしらね。」
こんな時、“見る”ことができればいいのになんて考えてしまう。でもそれは同時にとても恐ろしいことでもある。
だって“見える”ようになってしまったら、私は彼のことを愛することができなくなってしまったってことだから。
もし、彼が居なくなったら、私は何時彼のことが“見える”ようになるのかしら。
怖いの。だからお願い。私を1人にしないで。ずっと、ずっと隣に居て。
…なんて身勝手よね。
 
ー俺はいいんすよ。あいつは分かってくれてるし。それに、ちゃんと帰るって約束したんで。
茶色の髪の部下はどこか吹っ切れたように笑って言った。
ーこっそり庭に薔薇を植えておいたんです。見つけてくれて、意味に気づいてくれたらいいなって。軍曹はちゃんと伝えたいこと伝えられましたか? 
薄い金髪の部下は自分のことと共に俺のことまで気を使ってくれた。僕も伝えなきゃなぁと思う。
「君の髪の色に似ていたからつい、ね。」
本当だ、似てるーとか綺麗ーとか子どもたちが次々に感嘆の声をあげる。紫色の小さな花の鉢植えを持った彼女が微笑む。
「ありがとう、大切にするわ。」
気づいてるのかな。君はとても博識だから。でも良いんだ。これが僕の口に出せない願い。
 
君の髪に似ていたからつい、なんて見え見えの嘘。仕方ないから気づかないフリしてあげたのよ。
渡されたのは勿忘草。花言葉は“私を忘れないで”。
「ありがとう、大切にするわ。」
やめてよね、もう戻ってこないって言ってるみたいじゃない。そんな安心したように笑うのもやめて。貴方は残された人の苦しみも分かってるでしょう?
1ヶ月なんてあっという間だった。出陣の前日には彼の好きなものを用意した。お風呂に入って、一緒のベッドに入った。
暗くてあまり見えないけれど、確かこの辺りと背中に走る傷をなぞる。彼がこちらに身体の向きを変える。
「寂しいの?ソフィアちゃん。」
当たり前じゃない。もうこれが最後かもしれないんだから。意図せず視界が揺らぐ。
「…寂しい。」
そう小さく呟くと彼が顔を寄せてくる。唇に温かいものが触れる。そっと彼の身体に手をまわすと力強く抱きしめられた。とても、とても温かかった。
 
出陣の日。皆見送りに来てくれていた。
ナルは普段通りなのだろう。短く挨拶をしただけだ。
「アンリ、いってらっしゃい。…ご武運を。」
子どもたちを連れた彼女がそう言った。
「うん、いってくるよ、ソフィアちゃん。」
頬に口付けを落とす。もう振り向かない。決意が揺らぎそうになってしまうから。
「出陣!」
皆の馬が一斉に進み始める。
僕たちは向かう。自分たちの正義を貫くために。愛する人を守るために。…もう1度生きて帰ってくるために。
 
戦闘は順調に勝ち星を挙げていった。最も脅威となるリオラ・ルシオールによる毒の散布は風向きさえ気をつけておけば大丈夫だった。そして、彼と一対一で相見える時がやってきた。
「アンリ・オルディアレスか。」
彼は長い髪を風になびかせ、静かにそこに立っていた。
「リオラ・ルシオールだよね。その首、もらうよ。」
フッと彼は笑った。互いに剣を抜き、構える。間合いを取ったまま緊張状態が続く。
動き出したのは同時だった。
ガキンと鉄と鉄がぶつかり合う音がする。また間合いを取った。リーチは圧倒的に僕の方があるが、彼の剣に1ミリでも触れたらバッドエンドだ。
それから何度も斬り結ぶ。相手はその身に異形を宿しているという理由でアブソリュートに数えられないだけで、力は互角。
ただ洗練された防具はその身を守るには弱い。白い軍服が緋に染まっていく。
もう何度打ち合い、離れただろうか。恐らく血を流しすぎたのだろう。体勢を崩した彼を雄叫びをあげて貫いた。血を吐き出しながら地に伏していく彼が薄らと笑う。
彼の握る剣が僕の太ももに刺さった。大したことはない。普通の剣ならば。
「先に逝っててよ。僕はまだやりたいことがあるんだ。」
剣を抜き、細く裂いたマントで傷口の上を縛る。気休めにしかならないだろうけれどそれでも良い。この戦争を終わらせて、僕の大切な子たちに、人に、会うことができる時間があれば。
 
リオラ・ルシオール元帥が亡くなってから2日後。戦況が落ち着いたらしく、グラフィアスの面々が帰ってきた。
「ただいま、ソフィアちゃん。」
 
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【the original&illustration by Shio Fumiori】
 
片手を挙げ、青白い顔で笑う彼は両脇を支えられて帰還した。子どもたちを置いてきていて良かったと思った。
こんな彼の姿、あの子たちには見せられない。
「…早く家に帰りましょう?皆、貴方を待っているわ。」
私1人じゃどうしようもないから、家のベッドまで運んでもらった。
その長身をベッドに横たえた彼はひどく儚く見えた。
「ねぇねぇソフィアさん、アンリさんはー?」
彼が帰ってきたと知って子どもたちが入ってくる。
「アンリはちょっと疲れてるのよ。だから騒がないでね。」
そう言えば子どもたちは静かにベッドを囲み、口々に小さな声でおかえりなさいと告げた。
「ただいま、皆。しばらく寝たら一緒に遊んであげるから今は皆で遊んでおいで。」
彼の言葉に頷いて子どもたちが出て行く。
「良かったの?あんな約束して。」
どうかなと彼はいつも通り笑う。しばらくするとその笑顔が陰り、瞳が揺らいだ。
「ねぇ、ソフィアちゃん。」
目を伏せ、かすれた声で私を呼ぶ。
「僕はさ、平和のためって言ってその実、たくさんの人を殺した。夢のために大切だった、守りたかった人をこの手にかけた。ねぇ、世界は平和になったのかな?僕はこの血に塗れた手で何かを守ることができたのかな?…シャルルとカレンは僕を許してくれたかな…?」
彼は変わってしまったのだと、変わるしかなかったのだと赤髪の男は言った。
彼の唯一の主であり、親友だった青年を手にかけた時、苦しいと全身で叫んでいるようなアンリに対して、青年は穏やかな目を向けていた。
ー大丈夫、分かってるさ。だって親友だろう?
恋人か国か。2つに1つ。国を選んだと知った時、彼女はアンリを心配していた。
ーこれは私のミス。あなたのせいじゃないわ。だから、これ以上背負わないでいて。
「大丈夫よ。2人ともアンリのことをよく分かっているでしょう?」
その言葉に彼が頷く。私は言葉をかさねた。
「まだ貴方の願った平和が訪れるかは分からない。でも、あなたの夢はきっと子どもたちが受け継いで、叶えてくれるわ。だって貴方の背中を見て育ったんだもの。」
ゆっくりと彼が目を開く。もうほとんど動かないであろう首をほんの少し回して、私に視線を合わせる。
「そう、だね。」
目頭が熱くなって、鼻の奥がツンとする。それでも零れ落ちそうなのを堪えて、彼の少し冷たくなってしまった手を握った。
「そうよ。貴方いつも言ってたじゃない。子どもは世界の宝だからって。」
頷いた彼は肩の荷が降りたとでも言うように凪いだ目をしていた。
「ありがとう、ソフィアちゃん。…愛してる。ずっと、これからも。」
微笑み、ゆっくりと目を閉じるアンリに口付けを送る。
その口付けは少し冷たくて、塩辛い味がした。
 
…どのぐらい眠ってしまっていたのだろうか。パタパタと子どもが近づいてくる音で目が覚めた。
「ソフィア、入ってもいい?」
ひょこりと顔をのぞかせた幼い子どもが入ってくる。私の隣に立つと彼の顔を見やり、無邪気に聞いた。
「ねぇ、アンリは寝てるの?」
笑んでいた口元が一瞬にして凍る。何と伝えたら良いのだろう。分からなくなって曖昧に微笑んで誤魔化した。
「ソフィア、あのお花綺麗だね。」
何か聞いてはいけないことだったのだと敏感に感じ取ったのだろう子どもが指さした先には。彼に貰った勿忘草の鉢植えがあった。
“私を忘れないで”
…忘れるわけがない。忘れてなんてあげない。私は、私でいる限り、ずっと、ずっと永遠に。貴方を愛し続ける。
 
眠る貴方は口元に微笑みを湛えていた。

不離-revised edition,I saw a daydream-

リオラは戦場が見渡せる小高い丘の上に立っていた。草木が朱く染まる大地を漆黒の馬が駆けてくる。

周りには誰も居ない。いや、“居た”と言うべきか。最も近くにいた厳しい彼は大切なものを守り、死んだ。こんな私に懐いてくれた2人の部下は今、私を守るためにあの朱の中に居る。
黒い彼の姿が近づく。琥珀色の瞳には何か強い意志…そう、生きて帰るのだと、大切なものを守るのだというような、そんな光が宿っていた。
あぁとリオラは嘆息する。もし自分にも大切なものがあったとしたら、あんな風に生きたいという強いを持っていたのだろうか。
一陣の風が橙の髪を巻き上げた。
 
ー幾度も幾度も自分の名を呼ぶ声がする。
ゆるゆるとまぶたを上げると傍に白髪の少女の姿があった。じわりと涙を浮かべるその姿に困ったように笑って頭を撫でた。
自然と口が彼女の名を紡ぐ。
遠いあの日が脳裏を走馬灯のように駆け抜けた。
 
彼女との出会いは鮮烈だった。
国の者もめったに訪れることのないオレンジの花畑に座る少女。
楽しげに微笑み、花を慈しむように撫ぜる。
その姿にはっとした。
“今すぐここから離れろ!お前死にたいのか⁉︎”
私の言葉に振り向く彼女。
その透き通ったムーンライトブルーの瞳は全てを見透かすかのようで。
ぽつりと彼女が零した言葉に私は驚愕した。
“…さみしいの?”
植物に蝕まれた私とは反対に植物に愛された少女の運命が交錯した時であった。
 
私は孤独だった。
国土の大半を占める、時に利となり、時に害となるオレンジの花、高山草。
それを幼い頃の実験によって自身に宿した私はいつもどこかで諦めていたのだ。
騎士団団長となり民から慕われても。
優秀過ぎる右腕と可愛い部下に囲まれて仕事をしていても。
私につきまとうのは幼い頃、自身が触れたことで枯れた花のように誰かを傷つけるのではないかという恐怖。
綺麗だと触れた花がその色を褪せさせ、朽ちていく様が、同じように私の周りの人たちに起こったら。
私はその恐怖に耐えきれず自身の生を呪っていたのだ。
 
彼女もまた孤独だった。
植物に愛され、自身が願えば花が咲き、実がつく。
気味悪がられ、村を追い出された彼女を護ってくれたのは植物だけだった。
植物は彼女の食べ物となり、住処となり、話し相手となった。
ある日黒い服の男が彼女を訪ねてきた。
彼は彼女に人の温もりと、人としての暮らしを与えてくれた。
彼はいつも“いってくる”と言った。
彼女は“いってらっしゃい”と返した。
彼は“ただいま”と帰ってきた。
彼女は“おかえりなさい”と返した。
そしてある日、彼は慌てて帰ってくると彼女を薄暗い奥の奥の部屋へと連れて行った。
ここから出ないようにと言った彼は“いってくる”と言ったので彼女は“いってらっしゃい”と返した。
…彼から“ただいま”と言われることはなかった。
 
似た者同士の私たちは恋仲になった。
いつも眉間にしわを寄せた副団長に呆れられるぐらいに私は彼女を溺愛し、彼女も控えめながら私を愛していたように思う。
“ずっと一緒にいたい”
けれど彼女は悟っていたのだろう。
きっと私の中の高山草が言ったのだ。
私はもう、長くはないと。
 
私と彼女はあの日出会った花畑に来ていた。
楽しそうに植物と戯れる彼女を私は愛しく思い、見つめていた。
彼女の名前を呼ぶと不思議そうな顔をして近づいてきた。
後ろを向けと言って花冠を乗せる。
自分の力で作った高山草の花冠。
頭に手をやって固まっていた彼女を不思議に思って呼ぶと振り返りざまにきゅっと抱きつかれた。
嬉しそうなその顔に自然と顔がほころぶ。
重心を後ろに傾けながら彼女を引っ張る。
ぱっと私たちの周りに花弁が舞った。
彼女をぎゅっと自身の腕に閉じ込める。
…とても幸せだった。本当に。
 
私はもう限界だった。
ベッドに横たわる私。
その傍に彼女。
他には誰もいない。
体力が落ち、上手く力をコントロール出来なくなった私は常に毒を出し続ける状態で、彼女の他に近づける者は居なかった。
死期を悟った私は彼女に言った。
“あの場所に行きたい”
 
「ハナエ。」
彼女は俯けていた顔ををこちらに向けた。
目の端に溜まった涙がほろりと溢れる。
「…いや、いやだ。まだダメなの…!もう少しだけ…もう少しでいいからっ…!」
きっとハナエは私の中の高山草と話しているのだろう。
いやだいやだと繰り返すハナエをもう一度呼ぶ。
「ハナエ。」
ハナエはようやくつぶやくのを止めた。
「案ずるな、ハナエ。私はどこにも行きはしないぞ。」
左右に首を振る。
ぐっと拳を握り締めるのが見えた。
「嘘だ…。桔梗みたいにリオラも帰ってこなくなる。」
「嘘ではないぞ、ハナエ。」
とびきりの笑顔でハナエを見る。
ハナエ、私は今ちゃんとお前に笑えているか?
「私はずっとお前の側にいる。約束だ。」
右の小指を立ててハナエに向ける。
ハナエの白くて細い指が私のそれに絡んだ。
極東の、約束を破らないと誓う時にやるのだという指切りをする。
「ハナエ。」
彼女の頬に触れた指が先から朽ちていく。
 
“私は永遠にお前の側でお前を愛し続ける”
 
 
 
視界に映る朱。きっと服も朱く染まっているのだろう。
彼が雄叫びをあげて私を貫いた。
夥しいほどの朱が舞う。霞む視界の中、最期の力を振り絞り彼の足に剣を突き立てる。
剣を持つ彼の向こうに白髪の彼女が見えた気がしてふっと微笑んだ。
 
ーあぁ、輪廻というものがあるのなら今度はお前と生きてみたい。この哀しい人生よりきっと幸せであるはずだから…
 
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【the original&illustration by Shio Fumiori】
 
少女は森の中に居た。
木漏れ日のさす中をひらりひらりと彼女を撫でるかのように木の葉が舞い落ちる。
ムーンライトブルーの瞳が視界の端に橙の花弁を見つける。
差し出した彼女の白い手にふわりとそれは舞い落ちた。