徒然なる日々

るくりあが小説を載せたり舞台の感想を書いたりするもの。小説は文織詩生様【http://celestial-923.hatenablog.com/about】の創作をお借りしています。

深淵の彼岸 Episode.1

「警部補!エンフィールド警部補‼︎」
廊下を歩いていた赤髪の男が振り返る。一つに束ねられていたそれが弧を描いて舞った。
「何の用だ。」
「さっきのご遺族の話です!あんな言い方ないですよ。確かに素行の良い娘さんとは言えなかったのかもしれません。」
でも、ご両親にとっては大事な娘さんだったんですよ?と訴える後輩の様子に男は小さくため息をつく。
「だからなんだ?逆上した父親に真実を伝えただけだろう。」
「そりゃ、娘さんがもう戻って来ないのは事実ですよ?だからってご遺体と対面して悲しんでいる時に言いますか?警部補には人の心が分からないんですか⁉」
なおも責め立てる後輩はきっと人として出来たやつなのだろうと男は思う。だが、自分の感覚を人に押し付けてなんになるのだとも思った。
「あまり感情移入しすぎるな。いつか足元を掬われる。」
男の言葉に呆然としている後輩を残し、立ち去る男を見ていた男が二人。
くるくると跳ねた赤髪を掻き混ぜながら男は言った。
「なぁモンティさんよ。マジであいつ引き取るワケ?正気?」
「正気だ。お前の方が彼の本質を分かっているだろう?」
モンティと呼ばれた男はその切れ長の目を赤髪の男に向ける。スンと鼻を鳴らした男はまぁなと言った。
「けど、あいつらと馴染めるかはまた違うだろ?しかもフィンとレティーのところはさ……。」
モンティは言い募る男の肩を叩いた。
「だからだ。彼にはそれを思い出してもらわなければな。それともお前が世話するか?ジークハルト?」
ジークハルトはやなこったと眉間に皺を寄せ、それを見てモンティは笑った。

 

 

男は上司に呼ばれ、部屋に立っていた。
「エンフィールド警部補、辞令だ。特殊能力捜査班への異動を命ずる。」
「はい。」
男が警察に入って以来、何かと目をかけてくれる上司は少し寂しそうに笑った。
「本当は本部に残ってもらいたかったのだがね。けれど、君はいつの間にか忘れてしまったものがあるようだから。私の信頼できる人に任せてみることにしたよ。」
精進しなさい、と配属先の警察官の資料を渡す上司に頷いて男は退出する。
廊下に出ると、掲示板の前には人だかりが出来ていて、皆一様に同じようなことを言っていた。
「おいおい、エンフィールドのやつ例の部署に異動かよ。」
「妥当じゃないか?この間も部下を切り捨てて捜査したって話だし、人の心が分からないって憤慨してたやつもいたし。」
そういえばと誰かが言った。
「あの部署、検挙率は悪くないのに結構異動願が多いらしい。」
「へぇ。」
まぁでも、と一人の男がトントンとガルトの名前を指で叩く。
「これで出世コースから外れたようなもんだろ。俺はライバルが減って良かったぜ。」
皆が頷き、そして男の方を見て固まった。笑わせる。そんな表情をするぐらいなら最初からこんな所に集まらなければ良いのにと男は思った。
「よ、よお、エンフィールド。まぁ、その、なんだ…頑張れよな。」
居心地悪くなったらしく、蜘蛛の子を散らすように去って行くのを見ても男は何も思わなかった。
「さて。」
男の手には先ほど上司から渡された資料。一番上には、トップシークレットの文字が躍っていた。

“特殊能力捜査班、通称SAIT。数年前に設置された捜査機関で、他にはない独自の方法で捜査し、解決に導いている。”
「これ、誰が作ったんだ…?」
それぞれの机が向かい合うように作られた三つの島の一つでパソコンの画面を見た黒髪の男がぼやいた。
「あ、それ俺だわ。」
男とは違う島にいた赤髪の男がパソコンを覗き込んで言った。
ジークさん……盛りすぎ。だから現実とのギャップで辞めてくんですよ。」
「えー?嘘はついてないだろ?」
ジークハルトはそう言ってケラケラと笑う。まぁと言葉を濁した男の前では、隣同士に座った男女が仕事の手を止めてこちらを面白そうに見ていた。
「ま、嘘はついてないわよね。独自の方法であることは間違いないんだし。」
「僕もそう思うなぁ。」
すると今度はジークハルトが座っていたのとは違う島にいた男が話し出す。
「じゃあアル君ならなんて説明する?」
穏やかそうに緑の瞳を細めた男がこちらを振り返ってそう言った。アルと呼ばれた黒髪の男は顎に手を当て考え出す。
「数年前に設置された捜査機関で、少人数の捜査を得意とする、とか?」
「採用です。」
眼鏡をかけた、まだ幼さの残る女がそう言うとジークハルトは途端に不満そうな声を出した。
「そんなつまんないのでいいのかよレティー!」
「少なくとも、よく分からない期待と共に来る方は減ると思います。」
ティーと呼ばれた眼鏡の女はその赤い髪を耳に掛けて興味なさそうに言った。
「さて、話は終わったか?」
そう言って入ってきたのは長身の男。切れ長の目が部屋を一瞥するが誰も気にした様子もなく口々にお疲れ様ですと声をかけた。
「来週から、こちらに一人配属が決まった。皆よろしく頼む。フィン、レティー。」
男が向かい合った二人の机の間に資料を置く。
「資料に目を通しておいてくれ。二人の班に入ってもらう。」
二人は頷くと額を寄せて中を見始める。その後ろにはブレーメンのなんとやらの状態でのぞき始めた捜査員たちがいた。
「お前たち……。」
「ま、いいじゃん?それよりモンティも戻ってきたし、休憩にしようぜ。今日はフィンがケーキ買ってきてくれたんだよ。」
担当事件がないからと自由さの増している捜査員たちにため息を吐きつつ、いつも通りだとモンティは微笑んで言った。
「では、休憩時間の延長といこうか。」



ベッドの上で目覚めると台所からトントンと料理の音が聞こえてきた。それに頬を緩め起き上がる。
男は洗面所への道すがら台所に声をかけた。
「おはよう、リディア。」
その声に手を止めてオレンジがかった髪の女が振り返る。
「おはよう、お兄ちゃん。」
男は一つ頷くと洗面所に向かう。顔を洗って、長い赤髪は一つに結い上げる。自室で暗いグレーのスリーピースを身に纏い、ネクタイを締めた男がダイニングへと戻るとリディアは朝食を並べているところだった。
「お兄ちゃん、今日から異動でしょ?そのネクタイは地味すぎない?」
リディアに指摘された焦げ茶色のネクタイを抜き取ると、自室から勝手に出してきたらしい瞳と同じ緑のネクタイを手渡されそれを締める。満足げに頷いたリディアとともに向かい合って食事を取った。
「今度のところは良さそう?」
リディアがソーセージをフォークで刺しながらそう聞く。
「さぁ。なんにせよ馴れ合うつもりはない。」
そう言った男にリディアは少し悲しげな顔をしたが、そっかと頷くと食事を再開した。
「じゃあ行ってくる。」
「いってらっしゃい。気をつけて。」
男はリディアに見送られ、住み慣れたマンションのドアを開けて新しい仕事場へと向かった。

男が新しい仕事場へと向かうと、扉の前に男が二人立っていた。そのまま近づくと、オレンジがかった髪の長身の男と、くるくると跳ねた赤髪の男が男を見た。
「ガルト・エンフィールド警部補だな?」
長身の男がそう声をかけた。男、ガルトが頷く。
「ようこそ、特殊能力捜査班へ。室長のモンティ・フルフォードだ。」
長身の男、モンティがそう言って隣を指す。
「こっちはジークハルト・ラングリッジ。俺の班に所属する部下だ。」
「よろしくな。ジークって呼んでくれ。」
赤髪の男、ジークハルトが差し出した手をガルトが握る。モンティはその様子に片眉を上げた。
「……では、他の部下を紹介する。入ってくれ。」
開かれた扉の先では五人の男女がパソコンに向かっていた。モンティが手を叩くと全員がこちらを向く。ジークハルトがガルトに自己紹介を促す。
「本日付で出向したガルト・エンフィールドだ。よろしく。」
ガルトがそう言うと、奥に座っていた黒髪の男が立ち上がった。
「俺はアル・オブライエン。そっちがアレクシア・ヴェニングス。」
アルの左斜め前に座っていた白衣の女が手を振る。
「こっちがセオフィラス・エルフィンストーンだ。」
右斜め前に座っていたブロンドの男が会釈をした。すると、今度はアルとは違う机の島に座っていた男女が立ち上がる。
へらりと笑った亜麻色の髪の男が口を開いた。
「僕はフィンレイ・ロウ。彼女はレティーシャ・リー。」
眼鏡の女が不機嫌そうに会釈する。ジークハルトはレティーシャの肩を叩いて何事かを囁くと、彼女の眉間に余計に皺が寄った。
「君の席はここだ。エンフィールド班としてフィンとレティーを率いてもらう。」
モンティに先導され、二人の座る机の前に置かれた机に向かう。
「よろしく頼む。」
「うん、よろしくね。」
そう言って笑うフィンレイの隣で、レティーシャは眼鏡をずらしてガルトを見るとふいと横を向いた。
「……ちぐはぐ。」
ボソリと呟かれた言葉にフィンレイは肝が冷えたが、幸いガルトに聞こえた様子はなく、ほっと胸をなでおろす。レティーシャの隣にいたジークハルトには聞こえたらしくケラケラと笑っている。
「たーしかに!確かにそうだよな〜‼︎」
笑い出したジークハルトにガルトは訝しげな視線を送っていたが、興味をなくしたのかすとんと席に座った。
その時、机の上の電話が鳴り響いた。モンティが電話を受ける。
「はい、こちら特殊能力捜査班。……はい。はい、承知しました。すぐに向かわせます。」
受話器を置いたモンティがパンパンと手を叩いた。それまで自由な雰囲気を漂わせていた皆が一斉にそちらに注目する。
「取り調べの協力要請だ。犯人が口を割らないらしい。セオ、一週間前のターナー家の殺人事件について頼む。」
セオフィラスが頷いて日付をボソリと呟くと一気に話し始めた。
「被害者はリチャード・ターナー。入浴中に何者かに心臓を一突にされ死亡。犯人はターナーの妻、ハンナ。現場で証拠を隠滅しようとしていたところを近所の人に発見された。この近所の人は隣の家から女性の叫び声が聞こえたために家を訪れたという。夫婦は特に仲が悪いということはなかったと近隣の住人は語っている。」
まるで調書を暗記しているかのようにスラスラと話すセオにガルトは少し驚いた顔をする。その様子を見てジークは機嫌良さそうに笑った。
「では、行こうか。」
モンティの号令に皆が立ち上がった。

ーまず初めにジークとレティーが入る。次に入れ替わりで君とフィンが。あとの指示はインカムでするからそれ通りに動いてみてくれ。
そう言ったモンティの指示通り、ジークハルトとレティーシャの入れ替わりでガルトはフィンレイと共に取り調べ室に居た。
ガルトの目の前に座っているターナー夫人は、犯罪を犯したとは思えないほど落ち着いているように見えた。
『始めてくれ。』
モンティの声が聞こえて、ガルトは口を開いた。
「では、単刀直入に聞きます。旦那さんを殺したのは貴女なのですか?」
「えぇ。」
するとジークハルトの声が聞こえてきた。
『娘はその時どこに居たか聞いてくれ。』
何故そんなことを聞くんだ?とガルトが考えていると隣にいたフィンレイが代わりに夫人に聞いた。
「……娘さんがいらっしゃるんですね。殺害当時、娘さんはどちらにいらっしゃったんですか?」
「娘は自室にいました。」
ガルトは夫人のその言葉に少し違和感を覚えた。
「それは……少し変ですね。」
「変ですか?」
フィンレイの言葉に片眉を上げて反応する夫人。まるでこちらが取り調べを受けているかのように強気な態度だった。
「えぇ。第一発見者のご近所の方は女性の悲鳴を聞いて駆けつけています。もし、家の中でそんな声を出したら娘さんは慌てて駆けつけるでしょう?」
「それは…駆けつけようとしたところを私が制したからです。」
少し怒ったような口調で夫人が言い出したところでやっぱりなとジークハルトの声が聞こえた。どういうことだ、とガルトがチラリと窓の向こうに視線を送ると今度はレティーシャの声がした。
『彼女は何か娘について隠しています。』
『そう。娘を制することは出来たのに、悲鳴を聞きつけて近所の人がやってくる可能性を考えずに証拠を隠滅しようとしていたわけだ。むしろ、何か証拠を隠滅しなければならなかったと考える方が自然かもな。』
冷静に見えてその実そうではないということかとガルトは頷く。
「……そうですか。では、質問を変えましょう。貴女は旦那さんを殺した時、どう思いましたか?」
「殺してしまった、とそう思いました。そうしたら、血に濡れたナイフが落ちているのが見えて……隠さなければ、と思ったんです。」
インカムからハッと息を飲む声が聞こえた。
『レティーシャ。』
落ち着いたモンティの声が聞こえ、レティーシャが話し出す。
『驚き、憎悪、そして焦りと決意。現場で彼女はこう感じたんだと思います。』
ガルトは取り調べ室の外にいるレティーシャにどうしてそう分かったのか不思議に思う。すると今度は隣にいたフィンレイが声を出した。
「では、最後に。貴女や娘さんは旦那さんを日頃から憎んでいましたか?」
その言葉に夫人は少し黙って、そしてこう言った。
「いいえ。でも、あの時は殺さなければと……。娘については、分かりかねます。……思春期ですし、特有の煩わしさはあったかもしれません。」
『自分については本当。今も彼女は本当に殺さなければならなかったと感じています。そして、娘については限りなく嘘に近い。本当にそうだったかもしれないけれど、今は違うと確信している。』
ピタリピタリとピースがはまっていく音がする。目の前に座る夫人の気丈であるようで、何かを隠すその姿勢、娘、現場での感情。
フィンレイは閉じていた瞳を開けた。
「……リチャード・ターナーは許されないことをした。だから、殺した。」
断言したフィンレイにガルトは驚きの目を向ける。隣に座っていたフィンレイは何かが違うように見えた。固まった夫人にフィンレイは笑いかける。その笑みが先ほどの笑みとは違うことは出会って数時間のガルトにもよく分かった。
「どういうことだ。」
なんとか絞り出した言葉は隣のフィンレイに向けてでもあり、取り調べ室の外から見ているであろう三人に向けられたものでもあった。
『フィンの本領発揮だ。』
「貴女が帰宅した時、犯行現場となった浴室には誰かが居るようだった。旦那だろうと思った貴女は気にも留めずにキッチンへと向かった。その時、娘の悲鳴が聞こえた。」
まるでその場所にいたかのように話し出すフィンレイはずっと夫人の目を見続けていた。その瞳は、夫人を映し出す鏡のようだった。
「貴女は誰か入ってきたのかと、咄嗟に包丁を持ち、恐る恐る中へ入るとそこには暴行される寸前の娘とその相手であり、今回の事件のひ「やめてください!」
夫人は淡々と話すフィンレイを遮った。その細い肩が怒りで震える。
「どうしてですか?そ、そんな根拠もないことを…‼︎」
「あくまで仮説です。殺したのが貴女である以上、罪は貴女にある。けれど。」
そこで言葉を切ったフィンレイはまた表情を変え、困ったように笑いかけた。
「貴女は娘のために早く帰らなければならない。だからこそ、娘に何があったのかを隠しつつすぐに罪を認めた。そうではありませんか?」
夫人は顔を覆って泣き出す。気丈に振る舞っていたのが嘘のようだった。

 

 

ガルトは休憩室に座っていた。
あの後、夫人はフィンレイが言った通りだと、犯行の動機を娘のためのものだと認めたのだった。
思考の海に漂うために俯いた視線の先に、缶コーヒーが差し出される。視線を上げるとそこにはジークハルトが立っていた。
「ほい、お疲れさん。」
「あぁ、ありがとうございます。」
ガルトが缶コーヒーを受け取ると、ジークハルトは隣に座って、自分もコーヒーを煽った。そして一息つくと、鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ。そして、心得たというようにニンマリと笑った。
「何かフィンレイに聞きたいことがあるのか?」
ガルトはハッとしてジークハルトを見つめたが、すぐに元の厳しい顔に戻ってしまった。内心、ジークハルトは残念に思う。もう少しこの男の本質を見てみたいと思ったのだ。
「ま、いいや。とにかく本人に直接聞くことだ。」
ジークハルトはそのままひらひらと手を振って休憩室を出て行ってしまう。残されたガルトは手の中で缶コーヒーを転がした。頭の中を回るのは、先程フィンレイが見せた表情。あれはまるで……
「あれ、まだここに居たんだね。」
開かれたドアの先にはガルトの思考を占めていたその人、フィンレイの姿があった。つい凝視してしまったガルトにフィンレイは何か顔に付いているかな?と照れたように笑う。
「お前はさっき何をした。」
「え?」
ガルトが放った突然の言葉にフィンレイは少し固まる。そして眉尻を下げて笑った。
「何って何がかな?」
「取り調べの時、お前は容疑者のことを全て見てきたかのように話しただろう。あれは一体……。」
フィンレイは、ふふと笑うと首を傾げて言った。
「知りたいかい?」
ガルトの背筋を冷たいものが走った。にこりと笑っているのに、その瞳の奥は氷のように冷たい。ガルトにはその色に覚えがあった。いや、あるに決まっていた。
それは
「きっと君には理解できないことだからね。」
罪を犯した者と同じ色をしていた。