【面影】
諜報員として自国に潜入することになった。
「ローランくん?」
前を歩くリアが振り向いた。エヴィノニアやその周辺でよく見る赤髪と緑目。オレンジがかっていないのはやはり、ここに生まれたからに他ならない。
「ん〜?」
この任務は俺が自国ではなく、この国に、この国の駒になることを証明することにつながる。その過程で裏切ることがないように付けられた監視がリアだ。
「…心ここに在らずって感じ。」
俺の答えに不服そうなリアは尚も言い募る。再度そんなことはないと伝えれば渋々と言った風情でまた歩き出した。
きっとリアには俺が裏切った時のことをこの任務とは別に言われているに違いない。…いや、言われなくてもそうするだろうか。
それでも隣で普段通りに笑う彼女は相当な狸であろう。
「マルセルくん、待ちくたびれてるかな?」
思考の海から突然引きずり出され、ハッと顔を上げる。
「急ごっか?」
頷いて、また前を向いた彼女の三つ編みが揺れた。
薄暗くなった通りで、重なるその姿に1人苦笑する。
「絶対会いたくないなぁ…。」
ポツリと呟いた言葉は目前に迫った夜の闇に吸い込まれて行った。
【再び相見えんと欲さず】
後をつけられていると隣を歩くリアに伝えると分かっていたのか頷いた。
「ねぇ、ちょっと待って。」
こちらが立ち止まると後ろの気配も足を止める。
「パンを買い忘れたの、先に帰ってて。」
「分かった、気をつけて。」
リアから袋を受け取って別々の方向に分かれる。後ろの気配は俺の方について来る。狙いは俺か…?一見すれば女であるリアの方が狙いやすいだろう。
路地を曲がり速度を上げる。ピタリと一定の距離でついて来る気配は1つ。振り切るか。そう考えて角を曲がったところで真っ直ぐ進んだように見せかけてもう一度曲がって身を隠した。
追いついたその人影をそっと見やる。
驚いた。
辺りを見回すのは俺の半身とも呼べる存在で、けれどその身に纏うのは俺とは反対の色。
「ローラン。」
名を呼ばれほんの少しだけ動揺する。あぁ、またセージさんに怒られるや。
「まだいるんだろう?そのままでいい、聞いてくれ。」
俺の半身、アランは瞳に憎しみの炎を浮かべた。
「俺はお前を許さない。次に会う時は…容赦しない。」
踵を返した足跡が遠ざかる。ぐしゃりと紙袋が手の中で音を立てた。
【生まれついた地は】
エヴィノニアとシャンタビエールの国境。そこに2つの人影があった。
見えないその線を挟んで両者は対立していたのだった。後ろには国境を監視している両国の兵士たち。緊張が辺りを支配していた。
「誉れ高きロルカの娘子!」
男が向ける剣は国境の向こう、ギリギリに立った少女の喉元へと向けられる。
切っ先を意にも介さないように少女は視線だけを男の瞳に合わせた。
深みはやや違うものの同じ緑目が交差する。
男は1つ息を吐いて言葉を紡いだ。瞳が憐れむように緩む。
「こちらに生を受けていればこんなところに来ることもなかったろうに。このような形で会うこともな。」
少女はその瞳を強く、見つめ返した。
「私の意志ですから。」
一陣の風が2人の髪を巻き上げる。それは宵闇の中で全く同じ色に見えた。
「これからどうするおつもりですか、ガイラス卿。」
ここは国境。もし男が剣で少女を切ればすぐに兵士は集められ、良い口実だとばかりに一気に攻め込んでくるだろう。だからこそ、少女は腰に下げられた銃を手に取ることさえしないのだ。
「やはり、噂通り流石の洞察力だな。お父上にも負けぬほどになるだろう。」
「お褒めに預かり光栄です。」
微笑んだ少女に男は剣を収め、少女は一歩後ろに下がった。
「またお会いしましょう、“ガイラルディア卿”。」
ーこの時、彼らの動向を見守っていた兵士は後にこう語った。“2人はあまりに似ていて、如何に自分たちのしていることが馬鹿らしいことなのかと思わされるきっかけだったかもしれない。その時は何も思わなかったが、両軍の兵士たちに波紋を呼んだことは確かだろう”(『戦争の歴史』より抜粋)