徒然なる日々

るくりあが小説を載せたり舞台の感想を書いたりするもの。小説は文織詩生様【http://celestial-923.hatenablog.com/about】の創作をお借りしています。

赤を背負って生きる僕らは

01.生きたいと願うのはいつの日か

    母さんは父さんとの結婚を決めた時、それはそれは反対を受けたのだと言う。あの赤髪一族と結婚しては幸せになれないと。

姉さんが生まれた時、とても喜ばれたと言う。でも、俺の時は違った。いや、一応は喜んでくれたらしい。ただ姉さんの時ほどではなかった。とは母さんの生家近くに住む話好きのおばさんの弁だ。

幼心に辛かった。俺は生まれて来なければよかなったのか。そう言った俺を父さんは悲しそうに怒った。母さんは泣いた。

    程なくしていじめが始まった。せめて家族には悟られないようにしようと思った。これ以上俺のせいで家族に不調和を持ち込みたくないと思った。

でも、少し、ほんの少しだけ死を願ってしまった。そんな日々から救い出してくれたのは、生きようと思わせてくれたのは、彼の人だった。

俺と同じ赤を背負って生きる人。

 

02.泣きません、あなたが悲しむから

   『父さんはな、リアの笑った顔が大好きなんだぞ。だからリアには笑っていてほしいんだ。』

『お母さんも、もちろんお父さんもずっとリアと一緒にいるよ。お母さんたちが死んでしまっても、オバケになってリアを守ってあげる。』

    冷たい部屋に1人。いや、呼吸をしているのは1人。頭の中はぐちゃぐちゃで、でも何故だか泣いてはいけないと思った。2人は死んだんじゃない、オバケになっただけ。私には見えないけれど、きっと2人は一緒に居てくれて…。

目が潤む。喉が引きつる。嗚咽が溢れそうになるのを必死で止める。

    本で読んだ。死んじゃった人のことを心配させたり、悲しませたりすると“成仏”できないんだって。成仏できないっていうのは、天国に行けないことなんだって。だから、泣かないよ。お父さんとお母さんに悲しい思いをさせたくないから。

 

03.踏み締めたもの、目を逸らしたもの、見えなかったもの

    ザリとブーツの下で砂利が鳴った。風に青緑のマントがはためく。歩いていればそこかしこから耳障りな声が聞こえてくる。

「おい、あいつが噂のロルカ家のやつか…?」

「そうそう。兄貴は相当優秀らしいな。あいつはどうだか。」

「いや、あいつも相当できるらしい。ま、なんていったって祖先は野蛮な戦闘民族だもんな。」

高らかな笑い声にもう一度ザリと砂利を踏み締めた。今に見ていろと怒りに震えた肩に手がかかった。

「セージ、夕飯行こうぜ。」

「おう。」

朗らかに話しかけてくる鳶色にホッと一息つく。絡まれるのは面倒だ。

フィデリオ、また怪我したのかよ?気をつけろよな。」

頰に赤黒い痣を作ったフィデリオが照れ臭そうに笑う。

「そうなんだよ〜、ほら俺って鈍臭いだろ?気をつけても怪我ばっかり。」

そう言って笑うこいつに思う。

俺と仲良くなんてしなければこんな所にいないんじゃないかと。こいつの温かい笑顔はこんな所でなく日の当たる場所が似合ってる。

「本当、気をつけてくれよ…。」

居なくなられたら困るんだ。それなら早く辞めさせるべきだと、その方がこいつのためだと警鐘を鳴らす俺から目を逸らす。自分のここでの安寧のために。

   「セージ!」

赤が舞う。後ろでフィデリオが息を飲む音が聞こえた。目の前の奴に切っ先を突き入れる。

フィデリオ、無事か?」

後ろにいたフィデリオが頷いたことを確認して前を向く。

あいつが俺のせいでと呟いたのは見えなかった。ただ、なんとなく、あいつが俺から離れていくことは予感していた。

 

04.探し求めてた、生きるための痛み

    生きることは常に頭と苦痛が伴うものだと考えていた。それが赤髪に生まれた俺にとって当たり前だったからだ。

  「ねぇ、ディルウィードくん“痛い”ってどんな感じ?」

父さんに連れられて訪れた家には同い年の人形みたいな女の子が居た。俺は彼女の遊び相手というわけだ。

「痛いって…君だって感じるだろ?一緒だと思うけど…。」

ティーカップを置きながらそう言うと女の子は首を振った。

「私ね、痛みを感じられないの。」

女の子は言う。曰く、痛みがないことは危ないことで、だから普通に遊ぶこともできないと。通りで、遊ぶと言ってお茶をしているわけだ。

「だからね、痛いってことを理解できれば感じることができるかなって。そうしたら私も皆と遊べるじゃない?」

ねぇ、だから教えてと深窓の令嬢は言った。

“生きること”とはとても言えなかった。

 

05.その傷痕から花が咲くまで

「ルクリアちゃん、それどうしたの?」

“それ”とは左足のやけど痕。薄桃の他の皮膚とは違うそこを靴下を履くことで隠した。

「…小さい頃のやけど。覚えて居ないけれど。」

痛そうねとその子は言った。正直、覚えていないからどうとも言えずに曖昧に笑ってごまかす。私はこのやけど痕が嫌いだった。

   「ただいま。」

ソファでクロスステッチをしていたお母さんが顔を上げる。

「おかえり、リア。そうだ、あなたに似合いそうな靴を買ってきたのよ。」

そう言ってお母さんが見せてくれたのは、薄桃色の靴。少しだけヒールが付いていて大人っぽい印象だ。

「…ありがとう。」

ワンピースに素足で履けそうなそのデザインは左足のやけど痕が目立ちそうだ。靴下を履けば良いのだけれど。

「気に入らなかった?」

お母さんの言葉に首を振る。気に入らなくない。とっても可愛い。けど…

「あのね、靴下履かないと痕が見えちゃうなって…。」

その言葉にちょっと考えたお母さんは、こっちにおいでと手招いた。靴下を脱がせて痕を撫でた。

「ここね、最初はあまり大きな痕じゃなかったのよ。覚えてる?」

言われてみれば、料理中のお母さんにじゃれついていた時に跳ねた油でのやけどらしいのでそんなに大きくはなかったのだろう。

でも、今はプラムぐらいの大きさだ。

「そうしたらね、だんだんお花が咲いたのよ。ね?お花に見えない?」

確かに放射状に広がるそれは歪な花に見えなくもない。コクリと頷く。

「だから、気にしなくていいのよ。リアの足には可愛いお花が咲いてるんだから。」

 帰って来たお父さんにそう見えるかと聞けば抱き上げられて頬ずりまでされて肯定された。今日も私の左足には花が咲いている。

 

06.終りの日にはきっと君と手を繋ぐ
   “戦場で死にたい”なんてよくもまぁ豪語したものだと今になって思う。あくまで理想であったと言うしかない。なぜかと言うと、今まさに終りの日を迎えているからだ。
    振り返ると梓が後ろで右腹を刺されていた。 犯人は後ろに立つ男。腰の膨らみを見るに拳銃も持っている。
リアの手を取って走る。大丈夫、そう簡単に拳銃が当たりっこない。そう言い聞かせて、大通りを抜けて路地裏まで駆け抜ける。ふと後ろを見れば男がこちらにピタリと焦点を合わせていた。
当たる。何度も撃ってきた俺にはそんな確信があった。
リアの手を引き抱き抱えて地面へと伏す。右脇腹と左足に被弾する。ただ、熱いと感じただけだった。

  「お父さん、お父さん…。」

リアが泣きじゃくっているのが薄い膜がかかっているように聞こえる。どうやら男は生死も確かめずに去って行ったらしい。

「…大丈夫、大丈夫だからな。」

そう言いながらここまでかとぼんやり思う。あとは一緒に潜入している奴がどうにかしてくれるだろう。

「死んじゃったら嫌だ…お父さんっ…!」

うまく動かない手でリアの頭を撫でて、手を握りしめる。

「大丈夫…一緒に居てやるからな…。」

終りを迎えるその一瞬まで、ずっと。

 

07.全てが無に帰るその日まで

   リアが軍学校に入学することになった。今日はおじさんたちの所にそれを報告しに行くんだそうで、何故か俺が同行することになった。

「リア、どうして俺なんだ?」

大分背が伸び、俺との目線も近くなったリアが顔を上げる。

「ディルお兄ちゃんも昇級したでしょ?お父さんに報告するかなって思って。」

まぁ確かにその内行こうとは思っていたがまさか読まれていたとはつゆにも思っていなかった。照れを苦笑いでごまかす。俺の様子にリアはしたり顔だ。

「その顔、おじさんにそっくりだぞ。」

「え。」

そう言ってやればショックを受けたらしい。いつもの少し感情の読めない顔に戻ってしまった。

    墓前に立つとリアは手を合わせる。多分色々報告しているのだろう。俺もそれに習う。しばらくして俺が目を開けるとリアはまだそのままだった。

隣で待っているとふと頭をよぎるのはある哲学者の言葉。死とは無であり、また誕生も無である。何もないところから生まれ、何もなくなる。そうして世界が回っているのだとしたら、セージ・ロルカもアズサ・ロルカも無になっていて、墓前での報告は何の意味もないのではないのか、と。

「ディルお兄ちゃん、お待たせ。帰ろう。」

その声に思考から引き戻される。

「じゃあ帰ろうか。」

またねとリアは墓に手を振った。それもやはり無意味だとしたら…いや。

何にせよいつかは自分も、本当に無に帰るのかがわかる日が来るのだ。だからそれまでは自分の都合の良いように解釈したっていいじゃないか。

「じゃあまた、おじさん、おばさん。」

 

08.逝き泥み、生き惑う

  私は人が逝ってしまうことにすっかり慣れてしまっていた。いや、簡単に逝ってしまうことを理解してしまったのだろうか。人はどんなに強い人も呆気なく、そして突然に逝ってしまうものなのだと私はその時すでに知っていたから。

   突然の訃報にその子は堪えきれずに涙を零す。皆どんな言葉をかけたら良いのか分からないのだろう。そっとその子の肩を叩いて部屋を出て行った。私もそれに倣って部屋を出て行こうとすると、ねえと引き止められた。

「これから僕はどうすれば良いと思う…?」

「…何で私に聞くの。」

正直困る。おじさんとかお父さんならともかく私にこういう事は向いていない。

「…君は…孤児だって、聞いたから。」

涙で濡れた目を向けられる。本当に困った。顔に出ていたのだろうか、ぐいと涙を拭ったその子は椅子に座ると私を呼ぶ。何となく気まずくなりながら空いている椅子に座る。

「僕の家、君の家みたいに軍人家系じゃないんだ。」

その子の話によると軍人で多忙だった父親を捨て母親は家を出ていったのだという。母親にはついて来てほしいと言われたが父親のような軍人になりたかったために断ったのだそうだ。だがその父親が亡くなった、と。

「…僕は急に考えちゃったんだ。本当にこれが僕のやりたいことなのかなって。…そしたら君を呼び止めてた。」

ごめんね、仲良くもないのにとその子は謝る。何か言わなきゃと思って口を開くと思いもしない言葉が出た。

「悩んで決めればいい。」

ポカンとその子はこちらを見る。

「その…貴方が悩んで決めたことなら貴方のお父さんは頷いてくれると思う。」

伝わっただろうか、私も同じように悩んだ。本当にお父さんは自分を軍人にしたくなかったとしたらって。でも、そんなの悩んだって仕方がない。私たちは生きているから。絶対に悩んで、戸惑って生きていくんだ。

「そう…だよね。僕の人生だし、人に言われて決めることでもないよね。」

ありがとうとその子は目の周りを赤くしていた。きっと、私たちはずっと、様々なことに惑って生きていくのだ。それが人生なのかもしれない。

 

09.Wars never decide who's right, only who's left.

  死後の世界があるとしたらどういうものなのかと思っていた。実際に来てみれば案外面白いところだ。しがらみもなくいろんな奴と話せる。例えばそう、俺の隣にいる仏頂面したこいつとか。

  「戦争とは虚しいものだな。」

珍しいとちらりと見るも反応は求めていないらしくじっと下界を見つめている。

「珍しいな、ミランがそういうこと言うの。」

普段は俺ばっかりが話しかけているのだ。…あれ、俺って寂しい奴…?

「別に、ふと思っただけだ。特にここでこうやって客観的に見ていると感じる。」

「Wars never decide who's right, only who's left.(争いで決まるのは誰が正しいかじゃない、誰が生き残るかだけだ。)」

ミランが弾かれたようにこちらを見る。そりゃそうか、母国語を俺が話したんだから。

「…そうかもしれん。貴様のその理論だと俺たちは敗者だと言うことになるがな。」

そりゃそうだろう。だって…

「“命あっての物種”だろ?」

そうだなとミランが頷く。

「While there is life, there is hope.(生きている限り希望がある)か。」

「そ。だから信じてみようぜ、残して来たやつらのこと。」

戦争の行く末は、今日もまだ見えない。

 

10.そして今日も慟哭の空の下

  赤髪であること。それはこの国において最も生きにくい要素と言っても過言ではないかもしれない。

  ディル坊は家族で自分だけが赤髪であることに悩んでいた。自分が赤髪であることで家族に何か不利益が起こらないかと気にしていたのだ。そして、自分に自信が持てなかったのだ。赤髪であることは恥ずべきことなのではないか、と。

  リアは一見すれば赤髪に悩んではいないように見える。けれど、学校で、軍で、街で赤髪は奇怪なものを見るような視線を浴びることがある。ナルセと一緒にいることでナルセまで変なやつだと思われないか、評判が悪くならないかと考える日もあった。

  だからこそ俺はお前たちに、この国で生きる赤髪の奴らに言おう。悲しいときは泣けばいい、怒ればいい、叫べばいい。俺たちにはその権利がある。何もおかしなことじゃない。

    この国の空にはまだ、赤髪たちの声なき慟哭が響き渡っている。我が娘、我が甥よ。強くあれ、強く生きろ。

 

 

徒し世十題

【お題配布元】

塵が積もって塵の山 http://lonelylion.nobody.jp/

Monochrome

世界が白と黒だったら良かったのになんて、この時初めて思った。

 

Monochrome

 

きっかけは偶然聞こえたバルヒェットくんの一言だったと思う。

「なぁなぁ知ってるか?赤髪の奴って先祖はエヴィノニア人なんだってさ!」

いつもバルヒェットくんと一緒にいる子たちが口々にそれって本当?とか物知りだねなんて言っている。

「本当だよ!俺が髪の色が何で違うのかって聞いた時に、ロルカの家は祖国がエヴィノニアだからって父さんが言ってたからな。」

「じゃあさ、敵国の血が流れてるってことか?」

その子の質問にそうだよな?ってバルヒェットくんに同意を求められた。

「…う、うん。でもずっと昔のはな「ほらな?あいつは普通のエンハンブレ人じゃないんだよ!」

「そういえば、赤髪はエヴィノニア人の特徴だもんな。」

その話はすぐに皆が知る話になって、程なく学校に行くのが辛くなった。

 

「ただいま。」

「おかえり、リア…どうしたその怪我⁉︎」

いつもはナルさんの方が帰ってくるのが遅いから油断していた。ちょっと笑って一応考えておいた言い訳を言う。

「帰りに転んじゃっただけ。大丈夫だよ。」

ナルさんはそう言った私をじっと見るとそうかと納得してくれた。良かった。バレてない。

「じゃあ消毒しなきゃな。ほら、こっち来い。」

優しく手当てをしてくれるナルさんに怪我よりも心が痛くなったけど、心配かけたくなかった。

だって、赤髪だからいじめられてるなんてナルさんにどうにかできることじゃない。

私がナルさんだったらそんなこと言われたって困る。

だから、黙ってた。

学校に行っても誰も話しかけてくれなくなったことも、男の子たちに叩かれたり、蹴られたり、押されたりすることも、トイレに閉じ込められたことも、今日は足を引っ掛けられて転んだことも、全部全部黙ってた。

 「よし、気をつけろよ?傷が残ったら大変だからな。」

「うん。」

夕飯の支度に台所へ行くナルさんを椅子に座って見送る。窓の外ではお父さんが好きだった桜の花が春の訪れを祝っていた。

 

夢の始まりはいつも家族でお花見をした時のこと。私は今より小さくて、お父さんに軽々と肩車されている。

桜に手を伸ばして1つ摘み取る。お父さんもお母さんも幸せそうに笑っている。綺麗だねって桜を見ながらご飯を食べる。 

場面はいつの間にか変わってあの日。

ただ、違うのはお父さんもお母さんも私と手を繋いで歩いているところ。そして気がつくと私は1人で、手を繋いで歩いていくお父さんとお母さんを見ているのだ。ひらひらと桜のように舞う雪がその姿を隠していく。

必死に叫んで追いかけるけれど追いつかない。呼んでも振り返ってくれない。

足がもつれて転んで、視界がぼやけていつもそこで目が覚める。

最初の頃は飛び起きていつもナルさんを起こしてしまっていたけれど、今や慣れたもので目を覚ますだけになった。起こさないように、なるべく身じろぎもしないようにして再び眠りにつく。

明日は何もないと良いなと考えながら。

 

 

「暑…。」

珍しく晴れた初夏の午後。今日は学校帰りにリアと合流して帰ることになっていた。

リアの通う学校の方から数人の男の子たちが歩いてくる。どうやら授業は終わっているらしい。

「あれ?居ないのか。」

てっきり外で待っているかと思ったが、この天気だ。中で待っているように促されたのかもしれないとあたりをつけて中に入る。

「あら、ロルカくんじゃない?」

久しぶりね〜と笑うのは俺が通っていた頃から居る古株の先生だ。

「あ、お久しぶりです。リア…えっと、ルクリアがどこに居るか知ってます?」

「ルクリアちゃん?もうとっくに帰ったかと思っていたけれど…。そういえば帰ったのまだ見てないわね…。教室に居るんじゃないかしら?廊下を歩いていって突き当たりの部屋よ。」

お礼を言って別れる。教えてもらった部屋の前に着き、引き戸を引くも開かない。

足元を見るとなぜか心張り棒がしてある。

おかしいなと思いつつ心張り棒を外して中に入るとそこにはうずくまるリアが居た。

「リア…?」

俺の声にバッと顔を上げたリアは怯えと安堵が入り混じったような表情を浮かべていた。

「ディルお兄ちゃん…。」

ごめんね、すぐ準備するからと何もなかったように振る舞うリアの様子に、俺はこのことかと思ったし、驚いて言葉も出て来なかった。

 

父さんが重い口を開いたのは久しぶりに全員が揃った夕飯でのことだった。

「え…。」

「どういうこと?リアがいじめられているかもしれないけど分からないって。」

分からないわけないじゃない!毎日一緒にいるんだから!と憤慨した姉さんを母さんがなだめる。

「落ち着いてオルテンシア。だからナルセくんに相談されたんだよ。リアは隠したいみたいでね…聞いてもはぐらかされてしまうらしい。」

心配かけたくないんだろうねと父さんが言う。姉さんもその気持ちは分かるらしく、しゅんとしてしまった。

「だから貴方、急にリアちゃんを預かるなんて言い出したのね。ナルセくんが数日家を空けるぐらいならオルディアレスさんの所に頼むのに。」

母さんが納得したように言うと、父さんはまいったなというように髪を乱した。

「そういうことだよ。多分ディルウィードが1番話しやすいだろうから。」

多分ナルセさんよりは話しやすいはずだ。歳も近いし、それに…

「うん。何かきっかけを見つけて俺から話してみる。」

頼むよと父さんが言ってこの話は終わりになったけれど、俺にとって実際に見た“それ”は想像以上に衝撃的だったのだ。

 

家に帰ると姉さんが迎えてくれた。

「リア、いらっしゃい!」

「お邪魔します。」

上がったリアの背を押しながら姉さんが俺に耳打ちする。

「で、どうなのよ。リアちゃん話してくれた?」

「…ごまかされた…。」

何やってんのバカ!と小声で叱咤してくる。

「…後で詳しく聞くわ。どうせリアが健気で言い出せなかったんでしょ。」

まったくもうと言いながらリアにその様子を悟られることなく奥へと進む。ふと、廊下に置かれた大鏡を見遣る。

 母さん譲りの灰色が映すのはおじさんやリアと同じ赤色。唯一違うのはまっすぐで癖がない所だろうか。母さんの赤茶とは違う赤に俺も色々悩んだ時期があった。そうあの時は…

「ディルお兄ちゃん。」

くいと袖を引かれ下を見遣るとリアが小首を傾げて覗き込んでいた。

「どうしたの?」

「あ、ごめんね。ぼんやりしてた。何しようか?」

シエロと遊ぶのと俺の手を引いて庭へと向かう。とっくに荷物を置いていたらしい。後ろから姉さんが来て荷物を持ってくれた。

「ほら、早く行ってあげなよ。私も行くから。」

リアと庭へと出ると日陰に居たシエロが尻尾を振りながら寄ってくる。シエロはピレニアン・マスティフという大型犬で白い毛に雲のように灰色の毛が混ざっている。そこから姉さんがシエロ、空と名付けたのだった。

「シエロ、くすぐったいよ〜。」

寝転んだリアの顔を舐めるシエロに笑っている。楽しそうなその様子にさっき見たのは嘘なんじゃないかと思ってしまう。

「で、何があったのよ?」

突然、横から声がしてそちらを見ると姉さんが渋い顔で見ていた。

「学校でいじめられてるのは間違いないと思うんだ。俺が迎えに行った時は教室に閉じ込められていたし。」

心張り棒で扉を塞がれててさと言うと姉さんが強烈な蹴りを尻に叩き込んできた。

「いっ…!!」

「ほんっとにディルは阿保ね。余計に言い出しにくいじゃない!ていうかよくその場をそのままにできたわね⁉︎」

痛みを堪えながらリアの方を見るとどうやらシエロと遊ぶのに夢中で気がつかなかったらしい。一般人に於いて最強の女と言って過言ではなさそうな姉さんの一面を見せてなおかつ感化されたとしたら…いや、怖いからやめておこう。

「…俺が見つけた時、一瞬嬉しそうな顔をしたんだ。でも、その後泣きそうな顔をした。多分…」

口ごもった俺の言葉を姉さんが拾う。

「おじさんだと思ったけど違った。もうおじさんは居ないんだと突きつけられた。私は1人で、頼れる人は。」

「「赤髪ではない。」」

姉さんはあーともうーともつかない声で呻いて芝生に座った。

「悔しいわね、私たちの方が血縁で、小さい頃から一緒に居たのに。」

口を尖らせる姉さんは途端に子供っぽくなる。

なんとなくその隣に座ってシエロと遊ぶリアを見る。

「なら、なおさら今回は俺たちがリアを助けてあげなきゃだ。ね、姉さん。」

分かってるわよそんなこと、と姉さんにどつかれた。よし!と姉さんは自分の頬を叩いて立ち上がる。

「こうなったら夕飯の後、直球で聞くわよ!」

大丈夫か…?と思ったが結論から言うとそれは実行されることはなかった。

 

 

「ただいま〜。」

静まり返った家にそうかリアは居ないんだったと思い出した。

リアは春頃から何となくおかしかった。元々そんなに表情を変えるような子どもではなかったのだが、今まで以上に笑うことが増えた。

もちろんちゃんとした笑顔なら良い。けれど、心配かけまいと笑っているように見えたのだ。何かを隠していることが確信に変わったのは膝を擦りむいて帰って来た時のことだろうか。俺だって諜報員だ。ただ怪我をしただけでないのは泳ぐ緑色ですぐに分かった。

それからも引っかかることがあれば聞いてみるも追求しづらい理由ではぐらかされてきた。

今回、フェンネルさんに相談するに至ったのは、目に見えて塞ぎこむことが増えた頃、リアと墓参りに行った時のことだ。

 

「誰だ…?」

花束を抱えて墓地を歩いているとどうやら2人の墓石の前に佇んでいるらしい人影が見えた。

その壮年の男性はこちらに気づくと会釈をする。

フィデリオさん…?」

「あぁ、リアちゃんか。久しぶりだね、元気にしてた?」

 鳶色の頭をしたその人はリアに微笑む。リアは俺の袖を引くとその人のことを紹介してくれた。

「お父さんのお友達のフィデリオ・キースリングさん。フィデリオさん、今私と住んでくれてるナルセさん。」

あぁとキースリングさんは一礼する。慌てて俺も一礼するとその様子に随分幼い笑みを浮かべた。

「君が噂のナルセくんか。セージやフェンネルさんから話は聞いているよ。」

想像していたよりずっと若いとキースリングさんは言った。

「ロルカ大佐とも知り合いなんですね、驚きました。」

「腐れ縁みたいなものさ。あ、お墓まいりだよね。時間を取らせてごめんよ。」

じゃあまたねとリアに手を振ると俺とすれ違う。

「悩みがあるならフェンネルさんに相談しなよ。いつも参謀部のどこかに居るから。」

小声で耳打ちされてバッと振り返ると茶目っ気たっぷりにウインクされた。

「…ナルさん?」

流石セージさんの友達…と思っていたらリアに不思議そうな顔をされてしまったが、そんなこんなでロルカ大佐に相談することに相成ったのだった。

 

「おや、ナルセくん。珍しいね。」

 どうしたんだい?とにこやかに言うロルカ大佐はセージさんの話の印象通りの人だった。

整頓された書類、必要最低限の物で構成された部屋、その中央に君臨する大佐に居心地が悪くなる。もちろんグラフィアスだって汚いわけではないがもっと雑多な感じがするものだ。

「リアのことで少し相談がありまして…。」

へぇと細められた目にゾクリと悪寒が走る。なんとか平静を保ち今の現状を伝えるとさっきまでの鋭い目が嘘のように目尻が下がって温和な笑みを浮かべた。

「まったく、親子でそっくりだね。ナルセくんも中々強くは言いにくいだろうし、リアが言いたくないんじゃ仕方ないし…。2、3日家で預かって、息子に聞かせてみようか。」

赤髪なんだと続ける大佐が放った一言に衝撃が走る。

「昔、いじめられたことが原因で学校に行かなくなったこともあるから多分、リアのことも分かってやってくれると思うよ。」

何でもないことのように言っているが大変なことだ。特に当事者はどうやって再び学校に行こうと思ったのか。一度行かなくなってしまえば理由がなくたって行きにくいものだ。

「その、一つお聞きしたいことがあるのですがよろしいですか。」

もちろんと大佐は頷く。

「息子さんはどのように克服されたので…?」

俺のその言葉に大佐はにっこりと笑った。

 

 

「ディール坊。入るぞ〜。」

ガチャリとドアが開き、おじさんが入ってきたのが分かる。籠城していたベッドが軋んでたわんだ。

「…入って良いって言ってないじゃん。」

「ん〜?そうだっけ?」

白々しくとぼける声が聞こえる。と思ったらおりゃと丸まっていた布団の隙間から手が入ってきてくすぐってきた。

「ちょ…っと!くすぐったいって!ふっ…くくく、もう!」

バサリと布団を捲り上げると悪戯が成功した子どもみたいに笑うおじさんが居た。

ぐりぐりと頭を撫でられるとしゃらしゃらと耳におじさんに憧れて伸ばした長い髪が当たる音がする。

少し前までは胸の下まで伸ばした髪を頭頂部で一つで括っていたおじさんがそれはもう幼心にかっこよくて…いや、そうではないのかもしれない。

赤髪でも堂々としていたおじさんに憧れていたのだ。赤髪だからなんだとでも言いたげなその長い髪に尊敬と羨望があったのだ。自分もああやって生きたいと。

「ディル坊、学校で何かあったのか?おじさんに話してみな?」

さっきまでふざけていたようには見えない真面目な顔で問いかけてくる。

「…学校に学者さんが来たんだ。エンハンブレの歴史を調べている人なんだって。」

 

『エンハンブレは他民族を受け入れつつ繁栄して来た国です。例えば最近で言えばレア国ですね。あぁ、そこに座っている赤髪の子。君も祖国はエヴィノニアだろう?』

「えっと…、祖先はそうですが…。」

その人はそうだよなというようにうんうんと頷いた。

『そう、この様にエンハンブレは寛大な心を持って他民族を受け入れて来たのです。…』

 

「それで?」

「エンハンブレに受け入れて“もらった”んだから俺らの言うことを聞けって言ってくる奴らが居て…。」

最初はただのパシリだった。それだけなら耐えられた。でも、段々それだけでは無くなった。

万引きを強要されたり、お金を要求されたりした。俺が拒むと奴らの気がすむまで殴られた。

「…何で兄貴…お父さんに言わなかったんだ?気がつかれなかった訳ないだろ?」

「あいつらが父さんの仕事に関わるって…。俺、赤髪だからって家族に迷惑かけたくないんだ。」

そっかとおじさんは俺の肩を抱く。

「それなら何も心配しなくていい。兄貴はそんな奴らに失脚させられるようなタマじゃねーよ。」

俺はその後にむしろそいつらが失脚させられるさという台詞が隠れていたのを後々知ることになる。

「でも…俺、喧嘩弱いし…。」

立てた膝に顔を埋めて言うとなんだそんなことかとおじさんは拍子抜けしたような顔をした。

「なら、強くなればいいんだよ。俺みたいにな。」

カカカと笑うおじさんに本当にそうなれる気がして、嬉しくなって頷いた。

 

「テンチャお姉ちゃん、ディルお兄ちゃん。私もお姉ちゃんとお兄ちゃんみたいに強くなりたい。」

そうリアが強い眼差しを持って言ったのは夕飯の後、俺の部屋で姉さんが直球で聞こうと口を開いた時だった。

「えっと…ディルは良いとして私も?」

姉さんはおじさんに軍属でもやっていけると言わしめた程の実力がある。それで何をしらばっくれているんだと言ってやりたかったが力強く頷くリアに閉口する。

「テンチャお姉ちゃんは強いってお父さん言ってたの。それにさっきディルお兄ちゃんに強い蹴りを放ってた。」

気がつかない内に見られていたらしく2人で顔を見合わせた。さすがおじさんの娘、観察眼はピカイチだ。

「…どうしてリアは強くなりたいんだ?話してくれる?」

今度は絶対に聞かなければならないと思った。きっと、リアは俺と同じ理由で強くなりたいはずだから。

「…私ね…。」

泳ぐ緑が赤に隠れる。俯いたリアはポツリと皆が聞きたかったことを溢した。零れる水滴と共に。

 

 

「…ということらしい。多分今回はバルヒェットの奴らもそういう意味で言ったわけではないみたいだけれど…。あのぐらいの子どもは新しい知識をひけらかしたがるし、主犯格になった子も自分のテリトリーに異物を入れたくなかったんだろうね。」

それに、セージの頃とは違って、一般の人にはあまり差別は残っていないから傍観していた子が多かったみたいだしとロルカ大佐は付け加える。

“今回は”って何だよ…と思ったけれど、怖くて聞けなかった。目が笑ってない微笑みを思い出すように浮かべる姿に背筋が凍る。本当に何したんだ、名門バルヒェット…。

「そうですか。おかげで助かりました。ありがとうございます。」

大佐はにっこり笑って首を振った。

「いいや、気悩むことじゃないよ。僕らもリアの家族だ。今回は血筋が関わっていたし、適材適所ってね。」

出身国の懐かしい諺に少し肩が跳ねてしまったかもしれない。が、気にした様子もなくあ、そうだそうだと思い出したように大佐は付け加える。

「リア、明日には家に帰らせるよ。元々短くて3日間の予定だしね。」

君も限界だろう?と大佐は微笑んだ。本当、ロルカ家は怖い。

「では、失礼します。」

敬礼をして部屋を辞する。あとはリアの帰りを待つだけだ。明日の夕飯はリアの好きな物にしてやろうと思った。

次の日は朝から落ち着かなかった。終いにはアンリさんにため息を吐かれて早退させられる始末だ。あれ?俺、アンリさんにこのことを話したか?

「ただいま。」

ドアが開いて声が聞こえる。らしくもなく走って玄関に向かうと憑き物が落ちたように照れ笑いを浮かべたリアがそこに居た。

「おかえり、リア。」

思わず抱きしめると不思議そうにナルさん…?と声がする。自分で思っていた以上に応えていたのかもしれない。“1人”で居るということに。

「ただいま、ナルさん。」

抱き返してくる小さな身体から伝わる温度に安堵した。

 

 

「うん、今日はここまでにしましょう。リアは頑張り屋だから教えるのも楽しいわ。」

ね、ディル?とテンチャお姉ちゃんがディルお兄ちゃんに聞いた。お兄ちゃんも頷いて私の頭をポンポンと撫でる。

「そうだね。きっともうリアは誰にも負けないさ。」

心地よい秋風が汗を冷やしていく。風邪を引くからと2人に促されて家へと向かう。尻尾を振ってついて来ていたシエロはお姉ちゃん足を拭かれて家に入ってきた。

「リア。」

お兄ちゃんが呼ぶ。振り向くとぎゅって抱きしめられた。

「強くなったって弱音は吐いていいんだ。俺たちにはいつも偏見が付きまとう。辛くなったら周りの人に話してみなよ。俺たち家族も、ナルセさんだってリアの力になるから。」

な?と首を傾げたお兄ちゃんに頷く。

「ありがとう。」

 

あの頃はよく考えてなかったけれど、ナルさんにたくさん心配かけたんだと思う。

家に帰った時、ナルさん何となく泣きそうな顔してたから。

「ルクリアちゃん、おはよう。」

「おはよう。」

“強くなる”というのは良かったようで、前と同じような生活が戻ってきた。先生に間に入ってもらって、バルヒェットくんたちにちゃんと、自分の気持ちを言うことができたのだ。

“強くなる”のは戦うことだけじゃないんだよってディルお兄ちゃんが言ってた。

私はもっと“強く”なってお父さんみたいに護れる人になりたいと思った。だから大きくなったら軍に入りたいってナルさんに言ったら驚いたように目を見開いていた。

「きっと、セージさんはそれを望んでいないぞ。」

ナルさんは少し悲しげに言った。昔、私がお父さんと同じ軍人さんになりたいってお父さんに言った時と同じ顔で。

「いいの。私が決めたことだから、お父さんも分かってくれると思う。」

だって軍は、赤髪で女だとしても、ちゃんと自分の力で生きていけるんだって、ただ憐れまれるだけの存在じゃないんだって、一番証明できる場所だと思うから。

「…そっか。じゃあまだまだ強くならなきゃだな。」

ナルさんが頭を撫でる。

お父さん、私、強くなる。もう世界が白と黒なら良かったのにって思わなくていいように。大切なものを護れるように。

だから心配しないで。

舞い散る粉雪の中、お父さんとお母さんの名前が刻まれた石の前でそう誓った。

貴方のいない世界で

I.貴方の面影は

 

その日は粉雪が舞っていた。

「お父さん、お母さん早く!」

ふわふわとした雪に心もふわふわしてくる。くるくるとその場で回る私をお父さんは駆け寄ってきて抱き上げた。高い位置で回る世界に声を上げる。

この国に来て初めてのお父さんとの休日。私はいつもよりずっと楽しかった。

降ろしてもらって振り返ると少し離れたところにくすくすと笑うお母さんがいた。

手招きするとにっこり笑ってこちらに近づいて来る。お父さんを見上げるとお母さんの方を優しい目で見ていた。

次の瞬間、その目が見開かれる。肉を断つ鈍い音。振り返るとお母さんが地に伏していた。

呼ぼうとした言葉はお父さんが手を引くことで声にならずに白い息になる。
痛いほどに手を引かれ裏路地を走った。

「お父さん、お父さんっ!」

ちらりと後ろを振り返ったお父さんの顔が驚愕に染まる。

私は不意に暖かいその胸に抱き込まれた。発砲音が数回鳴り響く。

背中にお父さんの手がある。地面へと私を庇うように倒れたお父さんの下からはい出そうとするとぐっと頭を抱えられ息も絶え絶えに言葉を紡いだ。
「…あいつが、居なくなるまで、動くなよ…?ダメなら、チャンスを…待て。俺のベルトにナイフが挟んであるからな。…生き、のびろ、リア。俺の大切な…大切な娘。」

私の頭を撫でて笑うお父さん。
あとはただ真っ赤に染まった視界しか、覚えていない。

 

私は白い布を被せられたお父さんとお母さんの前に座っていた。

いつからここにいるのか、誰が連れてきてくれたのかちっとも分からなかった。

バタバタと走る音が近づいて来る。

ドアを勢いよく開けたのはナルさんだった。

「…リア…。」

上下する肩、荒い呼吸。シワの寄ったシャツにパンツ。あぁ、急いで来てくれたんだと思った。

「ナルさん。」

私は笑った、のだと思う。ナルさんは私を見て泣きそうな顔をするとぎゅっと抱きしめてくれる。あの時と一緒で暖かかった。

 

Ⅱ.貴方が変えた人は

 

“ロルカ中佐と奥方が殺された”

そう連絡が入ったのが昨日。それからエヴィノニアに入国する準備をして、セージさんの兄であるロルカ大佐に連絡を済ませ、馬車に乗り込んだ。

逸る気持ちを抑えきれず着くと同時に走り出す。

扉を開けた先に居たのは白い布を被せられた2人の前に座るリアだった。

「ナルさん。」

そう言って泣きそうな目をしながら笑ったリアを思わず抱きしめた。

リアは、泣かなかった。

 

遅れてきたロルカ大佐がリアの元に駆け寄る。

いつもはかっちりとオールバックに固めている髪が下され、急いで来たことが伺える。

俺はそっと席を外した。廊下に大佐の優しい声が聞こえてきて、しばらくすると静寂が訪れた。

「ナルセくん、いるかい?」

大佐の潜めた声に部屋に入ると、リアは膝枕をされて寝ていた。大佐の目は少し濡れている。

「2人は明日、家財道具一式と一緒に国に連れて帰ることにしたよ。」

寒くて良かったよ、置いていかなくて済むと大佐はリアの頭を撫でる。

何と声をかけたら良いのか分からなくて言葉が出てこない。

「夜のうちに荷物を馬車に積み込んでおきたいんだ。極秘の資料とかもあるだろうから…ナルセくんも手伝ってくれると助かるんだけど、どうかな?」

了承の意を込めて頷くと大佐は微笑む。セージは良い部下を持ったねとセージさんに話しかけた。

 

2人で黙々と作業をする。先ほどまでリアも起きて手伝っていたが、さすがに疲れたのだろう。ソファで寝てしまっていた。

いっつもヘラヘラしてるようにみえて鋭かったり、酒を飲めばリアの話ばっかりしたり、グラフィアスの中でも兄貴のような、父のようなそんな存在だったあの人は、もういない。

“ナルセ”と本当の名前を知りながら呼んでくれる声はもう、ない。

もう俺は、1人で立っていかなくちゃならないんだと、そう突きつけられた気がした。

 

Ⅲ.貴方と血を分けたその人は

 

2つの深い穴に棺が収められ上から土が被さっていく。

アンリくんたちを始めとする軍の面々、近所の人たち。セージの人徳だろう、たくさんの人が来てくれた。

僕の手を握るリアはじっとその様子を見ていた。ナルセくん曰く、リアは2人が死んでから泣いていなんじゃないかとのことだ。

辛くて涙も出ないのだろう。目の前で失ったのだから。

「この度は…。」「お悔やみ申し上げます。」

「いい夫婦だったのに。」「まさかこんな早く…。」

セージが、梓ちゃんが居なくなったのだと突きつけてくる言葉の数々。止めてくれと耳を塞ぎたくなる。でも、1番そう思っているのはきっとリアで、僕は自分が情けなくなった。

 

「おじさん…。」

肩で息をする僕を見たリアが 顔を歪める。

セージの部下の…確かナルセくんはこちらを一瞥するとリアの頭を撫でて立ち上がり、僕に敬礼すると部屋を出て行った。

「…リア。」

「おじさん、あのね、あのね…。」

今にも泣きそうな顔で訴えてくるリアと視線を合わせるように膝を折る。相槌を打つとぽつぽつとその時のことを話してくれた。この時も涙は、見せなかった。

「よく頑張ったね。セージと梓ちゃんを殺した奴らは1人残らずおじさんが見つけ出してあげるから。」

こくりと頷いたリアはようやく眠気が襲ってきたらしくゆらゆらと船をこぐ。

隣に座ってそっと上半身を膝の上に倒してやる。確かな重みと暖かさに、冷たい、暗い部屋で静かに涙を流した。

 

Ⅳ.貴方のいない世界は

 

掛布団が捲れたことで肩に冷気を感じて目をさます。少しだけ上半身を起こして見るとリアが深呼吸を繰り返していた。

「どうした、リア。また夢見たのか?」

くるりとこちらを向いたリアが頷く。おいでと手招くと素直に身体を横にして擦り寄ってくる。

「大丈夫、俺はちゃんと生きてるよ。」

また頷いたのが胸をくすぐる髪が動いたことで分かる。そのまま俺の腕にすっぽりと収まったリアはしばらくすると寝息を立て始めた。

セージさんと奥さんが亡くなって1ヶ月。俺はリアと暮らし始めた。

最初は郊外にあるロルカ大佐の家に身を寄せていたリアだが、度々家族で暮らした家に戻っているのが目撃され、ソフィアさんから提案があり、結果ここで2人で暮らすことになった。

もちろん、俺が任務の時はアンリさんとソフィアさんが面倒を見てくれている。

その時はローランと一緒に居ることが多いらしい。何でだろうかとソフィアさんに尋ねると当事者にしか分からないこともあるのよと言われた。明るいローランにも何かしらの過去があるのだろう。

そんなこんなですでに45日は過ぎようとしている。

まだこの家にセージさんは居るのだろうか。あぁ、きっとリアとのことを怒られるのだろう。

見えない方が良いけれど、見えたら見えたで良いのだ。きっとセージさんが居ないのを皆が忘れられるから。

 

セージと梓ちゃんが死んで1ヶ月。ようやく気持ちの整理もついてきた。

リアが珍しく我儘を言い出し、ナルセくんと暮らすことになったのは正直驚いたが、彼はきっちりしているし大丈夫だろう。

セージを殺した奴はようやく検討がついた。実行犯は薬物中毒の兵士だったらしい。調べがついた時には既に死んでいた。

そしてそれを指示した上官はセージたちのところに行ってもらった。心が痛まなかったとは言わないが、セージや梓ちゃん、リアのことを思うとそんなものじゃないだろうと思う。

何をしても変わらず、時は流れていく訳で、セージたちの時間は止まったまま。

僕たちの世界は動き続けるのに、セージたちはもう、動くことはない。

無情に世界は回り続けるのだと本当に、本当に思った。

 

海の聲

親切な車が止まってくれた。

会釈をし、小さな手を引いて道を渡る。

防波堤の向こうに蒼い海原が広がっていた。

立ち止まった俺をリアが不思議そうに見上げる。まだ背の低いリアには防波堤の向こうが見えていないのだと気づき、抱き上げて防波堤の上に上がろうとする。

と、リアが身じろぎし出した。

「こら!じっとしてろ!」

そう言えばリアが落ちないように尻に当てていた俺の手を叩く。

「ナルセ、スケベだめ!」

「ちょ、呼び捨てよくない!」

なんとか上がり、防波堤の上に降ろしてやるとプイと横を向かれた。

「リア〜、ごめんって。」

謝ればちらとこちらを見て不機嫌だった顔を綻ばせる。差し出された小さな手を握った。

 

ひとしきり波打ち際で遊んだ後、2人で砂浜に座っていた。

じっと水平線の向こうを見ていたリアがこちらを向く。

「ナルさん、波はどうしてできるの?」

「風が吹くからだよ。」

そっかと再び視線を戻したリアが口を開く。

「あのね、人は死んだらお空に行くんだよ。」

うんと相づちを打ってやるとリアは更に言葉を重ねる。

「それでね、お母さんが言ってたの。死んじゃった人は1年に1回だけ帰ってくるんだって。」

だから、とそこで一旦言葉を切るとリアは俺のことを見つめた。潤んだ孔雀色の瞳に俺が映る。

「お父さんも、お母さんも…ナルさんの大切な人もきっと、海の向こうから風になって、波になって帰ってきてくれるんだね。」

波が砂浜に打ちつける。汐風が俺たちの髪を弄んでいた。

 

宿に戻ると朝食が用意されていた。

パクリとオムレツを食べたリアの頬にトマトソースが付く。

「リア、付いてるぞ。」

指で拭ってやるとびっくりしたように目を開いてからありがとうと言われる。

窓の外は陽に照らされた水面がキラキラと反射していた。

XXyears ago

「ただ〜いま〜。」

「おかえり。もうすぐ夕飯だから手を洗っておいで。」

そう言った兄貴の孔雀色の瞳がじっと俺のことを見つめる。

「な、なんだよ兄貴。」

居心地が悪くなってついぶっきらぼうに問うと兄貴は困った顔をして笑った。

「セージ、また怪我したでしょ?ほら、消毒するからこっちおいで。」

俺が傷をこさえて帰ってくるのは日常だった。その原因は俺の頭の色にあるわけで、心配する両親にバレないように振舞っているのだが、何故か些細な怪我もこの6つ上の兄にはバレてしまうのだ。

「 何でいっつも兄貴にはバレるんだ…?」

傷を消毒してもらいながらぼやくと兄貴は得意げに笑う。

「セージのことならお見通しだよ。見つかったら母さんに怒られるのに、今日は手の甲に怪我したからポケットから手をださなかっただろ?

この前は殴られたところに泥が着いたから服を洗ってきて湿ったままで、その前は…むぐっ。」

「もーいい。兄貴の観察眼には恐れ入ったから。」

兄貴の口を手で塞ぎ、口を尖らせて言うと、面白そうにくすくす笑った。

フェンネル、セージ!ご飯よ〜。」

母親の声に応えると兄貴も治療を終えたらしく行こうかと言う。

「兄貴。」

ん?と立ち上がりかけたのを戻して俺に視線を合わせる。

「内緒だかんな。」

「うん。」

もうそんなに子どもじゃないのに手を繋ぐ兄貴にこっちが気恥ずかしくなる。でも、俺とは違う亜麻色の髪を持つ兄貴は俺の自慢の兄なのだった。

 

 授業も終わり、帰路に着くとすぐに目の前にいくつかの人影が立ちふさがった。

無視してその脇を通り過ぎようとすると、ガッと肩を掴まれ近くの塀へと押し付けられた。

「お前さ、いつまでその頭してんだよ。非国民も良いとこだぜ?」

ニヤニヤしながらこちらを見てくる奴らは入学以来何かと絡んでくる軍人の子どもだ。特にリーダー格である 目の前の男はエンハンブレ軍の中でもロルカ家を毛嫌いしている軍人一家の子で、自分が正義だと疑わない。

「…話はそれだけか?」

男を睨めつけ、肩に置かれた手を払う。そのまま歩き出すと側にいたそいつのお仲間に両側から肩を組まれる。

「そんな釣れないこと言うなよ。な?」

面倒だからぶん殴ってやろうか…なんて考えたけれど、下校時間だ。周りには遠巻きに見ている奴も少なくない。学校側に言われたら余計に面倒だ。

「分かったよ。」

俺は大人しくそいつらについて行くことにした。

 

「今日は早く終わったし、帰りにセージに会ったりするかなぁ。」

学校の門をくぐったところでセージと同じぐらいの男の子がこちらに走ってきた。

「セ、セージの兄ちゃんですか⁉︎」

鳶色の髪をぐっしょりと汗で濡らしたその子はそう息巻いた。

「あぁ、薬屋の。そうだよ。何か用かな?」

「あの、セージがバルヒェットの奴らに連れて行かれました!その、お、俺…」

勢いが無くなり申し訳なさそうになるその子の頭をくしゃりと撫でる。

「いいんだよ。伝えてくれてありがとう。もし良かったらセージと仲良くしてやってね。」

じゃあ君も気をつけて帰るんだよと言って持っていた鞄を小脇に抱える。

「まったく…バルヒェットの奴、父さんの方が出世したからって当たり強くなったなぁ。まさか息子にまでそんなこと言ってると思わなかったよ。」

走りながらついボヤいてしまう。ロルカ家は今やエンハンブレ指折りの軍人一家だけれど、祖先はエヴィノニアだ。まして父やセージは赤髪。更に風当たりも強い。

気をつけてあげていたんだけどな…と歩を進めながら思った。

 

連れて行かれたのは学校から少し離れたところにある寂れた空き地だった。

周りには家もまばらで人通りも少ない。

「で、話は何だよ。」

「よくそんな口がきけるな赤髪のくせに。大体お前、いつも1人だし、こんな時も誰も助けてくれないだろ?何でか知ってるか?」

…そんなこと分かりすぎるほど分かってる。それは俺が…。

「赤髪だからだよ。だからさ、俺らが助けてやるよ。」

そう言ってそいつが取り出したのは剃刀。咄嗟に逃げようとすると、傍に居た奴らに抑え込まれる。必死でもがくが上から押さえつけられれば体格の良い奴らは動かせない。

「おいおい、暴れるなよ。」

剃刀が近づいた時、俺は渾身の力で押さえてくる奴らを振り払おうとした。

「うわっ!」

「…っ!」

頬が熱い。切られたのだと理解する。とその時聞き慣れた声が聞こえた。

「セージ!!」

逃げろ!と一目散に逃げて行く奴らを兄貴は鋭い目をして見送る。俺に見せる顔とは違う冷たい表情で何かを呟いた。

「兄貴…。」

そっと声をかけるとバッとこちらを振り向き眉を八の字にしてこちらに駆け寄ってくる。

「大丈夫⁉︎ほら、これで押さえてて。」

俺が思っていたよりも血が出ていたらしく、頬をハンカチで拭われ、それで頬に押さえられる。俺がハンカチを受け取ったことを見ると学校鞄から軟膏を取り出した。

「ほら、見せてごらん。」

軟膏を塗ると、綺麗に切れてるから大丈夫だと思うれどまだ押さえておいてと言われる。

「大丈夫、大したことない。」

心配そうな兄貴にそう言うとまたあの冷えきった顔をする。それも一瞬のことで、そうかも悲しげに笑うと俺の手を取って帰路に着いた。

歩き出してしばらくした時、兄貴は言った。

「セージ、確かに僕らの家はあいつらから見れば“悪”であいつらは“正義”なのかもしれない。いつだってこの世は多数が正義で少数が悪にならざるを得ないからね。」

この国に赤髪は少ない。もう少し前までは祖国に戻った人も居たらしい。赤髪の家に生まれたというだけで周りと何ら変わりない髪色の兄貴も肩身の狭い思いをしている。

「でもね、セージ。」

手を少し強く握られ、顔をあげると兄貴は俺の目をまっすぐ見て言った。

「仕方がないって諦めたらだめだ。それはおかしい、間違っているって言わないとそれはいつまでも“正義”であり続けるんだよ。」

この世のどこに存在しないとしても、万人が幸せになれる正義を求めていかないとね。

そう兄貴は言ったのだった。

 

あの日以来変わったことが2つある。

「でさ、姉ちゃんが作った料理が本当壊滅的で。親なんかこれじゃあ嫁に行けないって悲しんでるわけ。」

1つ目。一緒に学校から帰る友達と呼べる奴ができた。フィデリオといって薬屋の次男で上に兄と姉がいるらしい。

「そりゃ大変だな…。俺の兄貴で良ければ教えてくれると思うぜ?頼もうか?」

本当か!と言ってくるフィデリオに頷きながら前を向くとあいつらが居た。

が、俺の姿を見た瞬間ザッと顔を青ざめさせて逃げて行った。

「…俺あいつらに何かしたか?」

2つ目。これまでヒルのようにしつこかったあいつらが寄ってこなくなった。

「さぁ?あ、お前の兄ちゃんじゃないか?俺はお前と友達になってやってなって優しく言われたけど、お前が連れて行かれたって話した時はやばかったもんな。」

うんうんと頷くフィデリオに俺は頭を抱えた。

 

じゃーな、また明日!と手を振るフィデリオにふり返し家へと続く道を歩く。

しばらく歩いたところでくるりと後ろを振り向く。

「居るんだろ、兄貴。」

「…何でバレたのかなぁ?」

曲がり角からひょっこり顔を出したのはやっぱり兄貴だった。

「カマかけただけ。」

追いついてきた兄貴が隣に並んで歩き出す。

フィデリオくんとは仲良くなれた?」

「おう。あ、そうだフィデリオの姉ちゃんに料理教えてやってくれよ。壊滅的なんだってさ。」

可愛い弟の頼みだからね、もちろん!などとほざいたのは無視する。

「色々ありがとな。」

俺がそう言うと兄貴は嬉しそうに笑った。

 

この後、あの手この手で俺の周り、兄貴に言わせれば敵、の奴らを近づけさせないようにしていたのが露呈して、俺がそこまで弱くないと憤慨したことがあったがそれはまた別の話。

Graffias

「貴様にとって仲間とは何だ?」

ここに来て以来1日のほとんどを一緒に過ごす男がそう言った。

「何だよ、藪から棒に。」

曰く、カレンと話している時の俺は娘のことを話している時に似ている。

「何だろうな、家族じゃないんだけどな。まぁ

“目が離せない奴ら”で“守りたい奴ら”なんだろうな、きっと。」

 

アンリはものすごく危うい。壊れる一歩手前で絶妙なバランスを保ってる。いつか壊れるんじゃないかって目が離せない。

俺は見守ることとあいつが言えないことを言ってやることしかできないけど、あいつをちゃんと支えてやってるのがカレンとソフィアなんだろうな。

カレンもソフィアもアンリを受け止めることができる。それでいて、それぞれ弱いところをアンリに見せることもできる。

互いに支え合っているっていう自覚がアンリを結果的に支えていると俺は思うね。

守る者がいるっていうことが今のあいつの戦う意味でもあるんじゃないか?

 

カレンはアンリとは違う意味で危うい。普通に目を離したら何するか分かんないし。でもあいつは無邪気でだけど相応に傷ついてて…。

同僚で同じぐらい優秀な奴だけど、妹分みたいに守ってやりたい奴なんだよな。カレンが幸せだったかどうかなんて本人にしか分からないけど、俺はもっと幸せになってもらいたかったんだよ。それこそアンリと一緒にな。

 

ナルセはアンリに似てるよな。自分を演じてて、そこに至るまでに大切な奴を亡くしてて。でもあいつは周りに助けを求められるやつだし、何より俺の可愛い可愛いリアが居るからな!!ま、吹っ切れたのもあるだろうし、自分のやりたいようにやれば良いと思うよ。

 

リュカは…あいつは複雑だよな。アンリが可愛いがってるし、特に不安はねぇけど何となく暗い部分を持ってる。それに、どこでそれを吐露してるのかが気になるよな。戦闘中か?

あいつも爆発しなけりゃいいと思うし、兄弟仲ももう少し改善するといいよな。

 

ソフィアはとにかく勘が良い。ていうか勘っていうか最早過去を見てるみたいな感じがする。

あいつも抱えてるもんはあるんだろうが、アンリと2人で分け合ってくれればいいと思う。今度こそ幸せにしてやってほしい。なんて女の子に言うことじゃないんだけどさ。

 

「とまぁこんな感じ?アンリは弟で、カレンが妹で〜ナルセとリュカは親戚の子でソフィアはアンリが連れてきた彼女みたいな?」

「…とにかく家族のように大切にしていることと、お前の観察癖は分かった。」

なんだそれ!変態くさいだろ!と男は喚いたのだった。

 

twitter小ネタ

炎暑の蝉時雨と煩悩と

 

あれはいつだったか…そう、ちょうど今頃のように暑い日が続くそんな日だった。

俺は出来心で汐海の寝間着を隠した。そうしたら、あいつは俺のいないところでそれはまぁえっちな格好でいたわけだ。

というのも俺の寝間着を着ていたわけで、そもそも腰で止めるだけの肌蹴やすい甚平、その上俺のとなれば大きさが違う。うん、思い出しただけでも素敵な格好だ。

その時のあいつは奇声をあげた後、怒るかと思えば布団の中に籠城した。死ね死ね連呼されたので「俺の匂いがする」とかないのかよと軽い気持ちで言うと「洗剤も一緒なンだから匂いもクソもないだろ」と返されて赤面したものだ。

あの頃は俺も若かったとしみじみ思う。

そして今、俺はまたしても理性を試されていた。

「リア、それはちょっと…。」

「あ、ナルさんおはようございます。…何かありました?」

いつも通り起きるとキッチンでリアが朝食を作っていた。…俺のシャツを着て。

待て、それ一枚は色々まずいだろ。いや、そもそもいつもはパジャマ着てるよな?パジャマは?パジャマはどうした?

「…リア、何で俺のシャツ着てるんだ?」

動揺を外に出さないように尋ねるとようやく合点がいったらしい。

「あぁ、さっき野菜を洗った時にパジャマを派手に濡らしてしまったので…。洗濯物の中から引っ張りだしたこれを。」

着ていたというわけか。体格差による服に着られてる感、下着一枚らしく若干透けているところといい色々アレなのだがあの頃のように俺もウブじゃない。

小首を傾げながら調理に戻ったリアの背後にそっと立つ。

「どう?そのシャツ、男の匂いがするだろ?」

そう耳元で囁くと結っていたため無防備にさらけ出された耳が真っ赤に染まる。

徐ろに振り返ったリアの顔はその髪に負けないぐらい赤く、瞳は羞恥で潤んでいる。

「あ、あの…えっと、き、着替えてきますっ!」

自室へと走るリアを見送る俺はきっと仏のような顔だったに違いない。

あの日も今日も俺のナマコは臨戦態勢だったことは言わずもがなだ。

 

空と陽炎の警備員と

 

隣でうたた寝をしていた男の頭頂部の一房が跳ねたのを目撃してしまった。

 それは寝癖じゃなかったのか(毎日そこは跳ねているが)と問いたかったがいつになく真剣な表情の男に言えるような雰囲気ではなかったのだ。

「俺のリアが危ない。」

そう言うと下界を覗き込むので何があったのかと一応覗き込む。

「ほう、これは…。」

隣を見れば血の気の引いた顔で冷や汗をだらだらとかいている。

「…確かに危機だがこれは貴様の娘にも責任の一端があるのではないか?」

男はそっぽを向く。その様子はいつもからかってくる男に似合わず多少の悪戯心がわく。

「貴様の部下はよく耐えているのではないか?」

俺の言葉を聞いた瞬間男はわっと泣き出すとこう叫んだのだ。

「お父さんはリアをこんなことするようなこに育てていませんっ!!」

…いや、教えてなさすぎたのではないか?

 

とある朝の男たち

 

俺とミランはよく仕事が被る。テレビやドラマ、映画などミラン・フォートリエが出ていればセージ・ロルカも出ていると言われることもしばしばだ。

まぁそんな訳で公私ともに関わりがあるので、朝はよく車で一緒に行く。途中でコーヒーチェーンで朝食を取ることもある。

今日もインターホンが鳴り響いたところで梓とリアに見送られ家を出る。

「おはよう、ミラン。」

「おはよう。早く乗れ。」

実はいつもミランが運転する。以前俺が運転するかと提案すると貴様の運転する車など危なくて乗れんわと素気無く断られた。

「今日はどこでメシ食う?俺もう腹減ったんだけど〜。」

そうだな…とミランが道を走りながら考え出す。とそこで喫茶のチェーン店の看板が見えた。

「お、あそこでいいじゃん。モーニングあるし。」

ミランが頷いて右折のウィンカーを出す。

店が反対車線にあるために道路をぶち抜かなければならないのだが、朝だからか交通量が多い。まぁそんな時でも道幅を開けてくれる優しい人はいるわけで、若い嬢ちゃんが車を停めてくれた。

ミランはそちらを一瞥すると会釈をしたので俺は助手席から笑顔で手を挙げる。

一瞬嬢ちゃんの驚きの顔が見えた気がしたが気のせい気のせい。

駐車場に停めたところでミランが呆れたように言った。

「貴様…そんなに愛想ふりまかなくても良いだろう…。」

「ファンサービスって言えよ〜。こういうのが大事なんだぜ?」

そう返せばミランに鼻で笑われた。