徒然なる日々

るくりあが小説を載せたり舞台の感想を書いたりするもの。小説は文織詩生様【http://celestial-923.hatenablog.com/about】の創作をお借りしています。

擬似家族

0.重なる影

中央に置かれた棺と、その周りに飾られた花。そしてキチッとスーツを着て快活に笑う赤髪の男。左右に分かれた親族の左側には、真っ赤に目を腫らした黒髪の女性と義父、義母らしき老夫婦が座っていた。右側には喪主らしい亜麻色の髪の男性とその隣に赤髪の少女。後ろには男性の奥さんと子供たちが並んでいた。

葬儀は厳かに行われ、男の人柄かたくさんの人が訪れた。

そうして参列者の少なくなった部屋でそれは起こった。左側に居た親族がおざなりに右側の親族に挨拶をして帰ろうとする。黒髪の女性は逡巡を見せた後、深く頭を下げる。去っていく背中に後ろに座っていた亜麻色の髪の少女が立ち上がって言葉を投げつけた。

「It's your fault! You ... because of you, my uncle…!(貴女のせいよ!貴女の…貴女のせいでおじさんは…!)」

「Hortensia.(オルテンシア)」

男性が少女を諌めるも少女は腹の虫が収まらないのか、肩に置かれた手を振り払ってツカツカと帰ろうとしていた親族に歩み寄った。

「I will say it in this case. The old man and the old lady there are the worst! But you are also the same sin. Do you know how much my uncle suffered? Do you understand how much Lia felt lonely?(この際言ってやるわよ。そこのじじいとばばあが1番悪いのよ!でも、貴女も同罪よ。おじさんがどれだけ苦しんだか知ってる?リアがどれだけ寂しい思いをしたか貴女に分かるの?)」

涙目で睨みつけながら激昂する少女に赤髪の少女が駆け寄った。

「I'm alright. ... Thank you, Hortensia.(私は大丈夫だよ。…ありがとう、オルテンシアお姉ちゃん。)」

泣き崩れた少女の背中を小さな手で撫でる。黒髪の女性が何かを老夫婦に言って離れる。老夫婦は少女の言葉は分からなかったようだが、悪いことを言われているということは分かったらしく、憮然とした表情で会場に背を向けた。

女性は少女、リアを抱きしめると何かを言っている。リアは頷いて笑顔を見せる。女性はもう一度抱きしめるとやはり会場を出て行った。

「君がナルセ君かい?」

少し訛りのある声に振り向くと亜麻色の髪の男性が立っていた。

「えぇ。I'm Narumi Seiya.Nice to meet you,Mr. Lorca.(成海正也です。はじめまして、ロルカさん。)」

「You can speak English! Then, you could understand the argument just before... I showed you an unsightly argument.(君は英語が話せるのか!それならさっきの話も分かっていたね。お見苦しいところを見せてしまったよ。)」

あ、僕はセージの兄でフェンネルって言うんだ。よろしくね、と差し出された手を握る。

「Do you take care of Lia?(あなたがリアを引き取るんですか?)」

「No... Lia said “No”.Lia can speak both English and Japanese, and I think that there is no problem overseas. But, I think she do not want to leave her mom 's side.(いや…リアが嫌だって言っててね。リアは英語も日本語も話せるし、海外での生活も問題はないと思う。でも、きっとお母さんのそばを離れたくないんだろうね。)」

困り顔で笑う男性の視線の先にはオルテンシアという少女に座って背中を撫でられているリア。それがあの日の彼女の背中と重なって見えた。そう思った瞬間、俺の口から言葉が溢れた。

 

1.出会いはカレーライスとともに

「ただいま…。」

今日はセイの上司の葬式だった。私も良くしてもらったので、出席していたがセイが親族の方に直接挨拶してから帰りたいというので先に家に帰ってきていたのだった。

「おかえり、セイ。夕飯はまだだろう。食べに行く……なぜ娘さんを連れて来ている?」

セイの後ろにぴったりくっついて来ていたのは紛うことなく先の上司の娘さんだろう。

「あ、あのなエンちゃん。そのぉ…リアをしばらく家で預かることになった!」

「はあ⁉︎」

 

かくかくしかじかとセイは説明をする。もちろん正座だ。

「それで?」

「…ロルカさんが仕事先にどうにか日本に転勤させてもらえないか打診して決定するまでの間、預かってくれないかって。会って決めるなら早い方が良いかなと思って…。」

話すにつれて縮こまっていくセイの頭にため息を落とす。本当にお人好しで困ったものだ。

「第一、この子の母親はどうした。母親が引き取れば何も問題はないだろう。」

「お母さんには新しい家族がいますから。」

それまでセイの横で所在なさげに座っていた少女が、妙にはっきりと言い切った。

「なるほど。」

私の応えに、じゃあとセイは顔を輝かせるが、それを視線で制する。

「だが、やはり人さまの娘さんをこんな誰も帰って来ないような家に置いておくのは気がひける。然るべき施設で預かってもらった方がこの子のためだ。」

「…そうなんだけど…。ここ、リアの実家にも学校にも近いんだ。家に人がいないのは前から変わらないから、それだったら前とほとんど変わらない生活ができた方が良いって…。」

確かによくよく考えてみれば、セイの上司なのだから、一応は家に帰っていたとしても遅かったし不定期だったはずだ。

束の間の沈黙が流れたその時、セイの腹の虫が鳴いた。

「…お台所をお借りしてもよろしいでしょうか?」

小さく笑って少女はそう提案した。

 

「出来ました。」

湯気を立てているのは半分白ごはん、半分ルーが乗った国民食。煮込んでいる間に作ったサラダ、スープがあってとても30分で作ったとは思えない食事が目の前に置かれた。

「お、美味そ〜!いただきます!」

「いただきます。」

少し大きめに切られた具材、水の量も完璧だ。とても小学生が作ったものとは思えない。

「…何をしている?」

少女が中々手をつけようとしないので問いかけると困ったように笑って言った。

「…牛乳をいただいても良いでしょうか?」

それならと頷いてコップに入れて渡すとお礼を言われる。そしてそれにスプーンを突っ込んで2匙、カレーにかけた。

「ちょ…リア何してるんだ…?」

セイが食べる手を止めて聞くと、少し恥ずかしそうに少女は言った。

「こうすると中辛でもまろやかになるんです。…家では甘辛で2人分作っていたので。」

なるほど、と私もやってみる。確かに少しスパイスの棘が取れてまろやかに感じた。

「これはこれで美味しいな。」

そう言うと少女はにっこりと笑顔を見せた。

 

「セイ。」

少女に洗い物は任せて風呂に入ってこいと言って、2人で台所に立っていた。

「ん?」

「その…私たちでいいのだろうか。」

お前はまだしも、私は料理もあの子よりできないし、そもそも親の…と言ったところで頬を手で挟まれた。

「ほーんとエンちゃんはさ…。大丈夫だよ。」

「何を根拠にそんなこと…!」

私がいきり立つとぎゅっと抱きしめられた。

「な…あの子が出てきたらどうする…「エンちゃん。」

セイに真面目な声を出されるとどうしたらいいのか分からなくなる。腕の中でおとなしくしているとあのね、と言葉を続けた。

「リア、お母さんと暮らした記憶はほとんどないらしいんだ。もちろん、年に何回かは会っていたけれど、お母さんが家にいるってことは無いに等しい。」

だからさ、とセイは私の目を見て言った。

「リアにとって、家にいるお母さんはエンちゃんにしかなれないんだよ。」

本人の意思とセイのその一言もあり、こうして私と、セイ、そしてリアの不思議な家族生活はスタートした。

 

2.パンケーキで分かること

3人での生活が始まって2週間。最近、ようやく軌道に乗ってきた。
結局、家事はリアに任せてしまっている。本人は苦にならないと言うし、こちらもどちらかが休日に洗濯物の山と格闘するということがなくなって助かっていた。
「ただいま。」
トタトタと軽い足音が聞こえてひょこりと小さな頭が覗く。
「おかえりなさい、エンさん。」
2人で週に2日、つまり1日は定時であがってリアと買い物に行くことにしている。スーツから着替え、リアを呼び寄せる。
「行こうか。」
連れ立って近所のスーパーマーケットへと向かう。段々日が長くなってきて、19時を過ぎた頃だと言うのにまだ薄明るい。
行く道すがらはつい無言になってしまう。私がどう接したら良いのか分からないし、リアもおしゃべりな方ではないようだ。
「最近はどうだ?ちゃんと友だちと遊んでいるか?」
セイが聞いたらなんだその親父みたいなセリフと言われそうだが今は居ないので無視だ。無言よりはマシだろう。
「はい。この間はアランくんとローランくんのお家にお邪魔しました。クロエママ……お母さんがすごく面白くて…。」
何やら思い出したらしく、クスクスと笑っている。楽しそうな様子に少しホッとした。多分、おそらく、いや、少なからず寂しい思いをさせていると思っていたからだ。
「そうか。今度会ってみたいものだ。」
それがこれまたセイの上司の奥さんであることを知るのはもう少し後だ。
と、リアが街角で足を止めた。
「どうした…?…ふむ。」
リアが視線を注いでいたのはちいさなカフェの看板。そこには生クリームがたっぷりと乗って甘そうなパンケーキの写真が貼られていた。
「…今日はここで食べてみるか?セイは遅くなると言っていたし、連絡しておけば大丈夫だろう。」
パッとこちらを見たリアの顔には喜色が浮かんでいたが、しばらくすると瞳が右往左往し、下へと落ちて行った。
「いえ…今日は特売の卵と鶏肉を買わなければいけませんから。…また今度にしましょう。」
…気を使われてしまったと思った。やはりまだ、完全には受け入れていないのだろう。
寝る時もダブルサイズのベッドの真ん中で寝ているが、距離がある。…セイが大体抱き込むが。赤の他人であるのだから当たり前だが、こうも甘えられないと少し寂しく感じてしまう。
「エンさん…?」
「いや。そうだな、また今度にしよう。」
年よりも大人びて見える少女の可愛らしいところを見たのに、何もできない自分が少し歯がゆかった。

 

「何やら悩んでいるのか?」
「…ルシオール課長…。えぇ、まぁ少し…。」
私が所属している警察庁特殊犯罪捜査第2課の課長、リオラ・ルシオールがデスクに来ると、周りの同僚たちもわらわらと集まってきた。
「また何か悩んでいるのか!今度はどんな悩みだ?」
「もう!兄さんはどうせ頼りにならないんだから!シオミさん、私が相談に乗りますわ。」
豪快な兄バレットとしっかり者の妹オペラの兄妹も話しかけてくる。
「そ、そこまで深刻な悩みでは…。」
「しかし、最近ロルカの娘御を預かっていると聞いたが?」
そのことではないのか?と聞いて来るのはガイラス。長身の美男子だがその実態はルシオール課長の妹君、リリアにベタ惚れのちょっと…いや、だいぶ残念な人だ。
「…その、この間パンケーキに興味があるようだったので食べないかと言ってみたのですが遠慮されてしまって…。本当は食べたかったけれど、私だから気を使ったのではないかと…。」
けれど無理に言うようなことでもないと思いまして…と言うとリュカがポンと手を叩いた。
「なら、お家で作ったらどうでしょう?」
「家で…?」
えぇとリュカは頷く。
「家でパンケーキを焼いて、生クリームやフルーツなんかを自分好みにデコレーションするんですよ。この間甥っ子とやったんですが、とっても喜んでいました。」
コミュニケーションも取りやすいですしねとリュカが言った。
「それは良い案だ!ミランの所でもそのような事をやっていたな。」
次第に話題はパンケーキに何を乗せるか、あぁでもないこうでもないと移っていったが、有意義なアドバイスがもらえたと思う。早速週末にやってみよう。
「悩みごとを話すと良いこともあるだろう?」
ふと見上げると、そう言ってルシオール課長は笑っていた。

 

薄力粉、ベーキングパウダー、卵に砂糖、牛乳、そしてしっとり感を生み出すために必要なのはヨーグルト…らしい。それらの材料を前に私は腕まくりをした。
「よし…。」
「大丈夫かよ…?逆にリアがいた方が良かったんじゃ…。」
隣に立つセイを視線で黙らせる。リアは今、件の友だちと夢の国に行っている。
今朝、インターホンの音でセイがドアを開けた先に立っていた人物に私は目を丸くしてしまった。
「おはようございます、フォートリエ課長!」
「…おはよう。」
仕事は出来るが、近寄りがたい雰囲気を醸し出すセイの上司、ミラン・フォートリエがドアの前に立っていたのだ。
「無理言ってしまってすみません。お願いしますね。」
「いや…。貴様らも2人でゆっくりしたいこともあるだろう。それに…元々約束していたしな。」
フォートリエ課長は足元で準備万端とばかりに立っているリアの頭を慣れた様子で撫でて、少しだけ悲しげな色を瞳に浮かべた。帰る前に一度連絡を入れると告げて、リアを連れて出かけて行ったのだった。
「おーい、シオミちゃーん?戻ってこーい。」
少しだけ今朝のことを思い出してぼーっとしてしまっていたらしい。目の前で振られる手にはっとする。
「あぁ。では作るぞ。…まず小麦粉とベーキングパウダーを合わせふるいする…。この合わせふるいとはなんだ。」
「んん〜?あ、ほらこのふるいにどっちも入れてふるうんだよ。」
そう言われて渡されたのは丸い粉ふるい。そこに分量通りに小麦粉とベーキングパウダーを入れる。
「…こうか?」

ボウルの上で横に振ってみる。粉がパラパラとボウルの外に落ちてしまう。見兼ねたセイが後ろから回って手を添えてくれた。

「こうやって、片方の手でふるいを持って、ボウルの上で固定させるんだ。そしたら、もう片方の手でトントンって枠を叩いて…。」

言う通りにトントンと叩けば粉が真下に落ちていく。

「なるほどな。ふるいと言っても振らなくて良いわけか。」

 リアと作るときにこんな情けないところを見せられないなとセイに言うと笑って言った。

「そんなに気張らなくても大丈夫だよ。」

そうか?と聞くと頷いてくれた。リアは、喜んでくれるだろうか。

卵白は泡立ててメレンゲに、先に卵黄と砂糖を混ぜ合わせ、ヨーグルトと牛乳を入れる。そして先ほどの粉を入れ、バニラエッセンスを少々、最後にメレンゲを入れればタネは完成だ。

「おー、すでにふわふわだな!後は焼くだけか…。」

「うむ。では…いざ!」

熱したフライパンにタネを一すくい流し入れた。

 

「…出来た…。」

「沢山焦がしたけどな。」

隣で茶々をを入れてくる奴の足を踏んだ。

「だが、これで完璧だ!焦らず、じっくり低温で焼けば綺麗に焼ける!!」

綺麗なきつね色に焼けたパンケーキを前にそう言えばポンポンと頭を撫でられた。

「これでリアも喜んでくれるな。」

「…本当にそう思うか?」

セイは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした後、眉を下げて笑った。

「当たり前だろ。大して手伝ってないけど俺も楽しかったし。リアだって喜ぶに決まってるさ。」

ホッと息を吐く。これでなんとかパンケーキは作ることが出来そうだ。そして最後の問題は…

ホイップクリームを作らなくてはな。」

そう、リアが見ていたパンケーキにはたっぷり生クリームが乗っていたのだった。もちろん、市販の泡立ててあるものを使っても良かったが、ネットで調べてみると、あまり身体に良くないそうだし、なにより量が食べられないという意見が多かった。やはり、自由にやらせてやるには自分で作った方が良さそうだったのだ。

「氷水の上で冷やしながらやるのがコツらしいぞ。」

ボウルに氷水を入れて、その上に生クリームを入れたボウルを乗せてハンドミキサーを手にする。泡立て始まればあっという間にとろみがついてきた。

「エンちゃん、あんまり泡立てすぎるとまとまらなく…って、もう止めろ!ストップ!」

「え?」

 セイの慌てた声にハンドミキサーを止めて手元を見ればホイップクリームが出来上がっているように見えた。

「完成か?」

「…まぁ、そうだな。ちょっと泡立てすぎてボソッとしちまってるけど…。味には問題ないはずだ。」

言われて見れば角が立ちすぎて少しボソボソしてしまったようだ。

「…次に活かそう。」

結果、私にしてはフワフワのパンケーキが作れ、生クリームの味も悪くなかった。

 

「ただいま。」

「おー、おかえり!フォートリエ課長、お世話になりました。」

19時頃、リアが帰宅した。セイとともに頭を下げれば構わんと返された。

「では「リアちゃん!これが噂のナルセさんとエンさんね!!」

フォートリエ課長の後ろからひょこりと女性が出てくる。

「クロエ…近所迷惑だ。」

「それもそうね!あ、私ミランの妻のクロエです。よろしくね?そうそう!もし学校とかのことで分からないことがあったら聞いてちょうだい!息子たちが同じ学校なのよ〜。」

声は小さくなったものの、マシンガンのように話すクロエさんに目を白黒させているとリアがちょいと袖を引っ張った。

屈むとこそこそと耳打ちしてくる。

「アランくんとローランくんのお母さんです。面白いでしょう?」

「…確かに。」

頷くとリアがちょっと嬉しそうに笑った。

「リアを預かっています、塩倉汐海です。こっちは成海正也。いつもフォートリエさんにはお世話になっております。どうぞ、よろしく。」

「私もエンちゃんって呼んでもいいのかしら?」

えぇと頷くと嬉しい!と言って隣のフォートリエ課長を見上げた。

「さ、帰りましょ。またね、エンちゃん、ナルセくん!ママトークもしましょうね〜!」

「…騒がせたな。」

嵐のように去っていったフォートリエ課長夫妻に暫し呆然とする。

「リア〜楽しかったか〜〜??」

セイが聞くとすぐに頷いた。そしてカバンを降ろすと中から小さな袋が2つ出てくる。中身を確認すると1つずつ私とセイに渡してくれた。

「お土産です!」

中身を出してみるとどうやら色違いのストラップのようだ。

 「…ありがとう。でも、これではリアの好きなものが買えなかったんじゃないか?」

そう言うとリアは少し困ったように笑っていた。

「気に入らなかったですか?」

「いや!嬉しいよ。」

それならいいんですとリアは言う。

「私だけ買うよりも、皆の分を買って嬉しくなってもらった方がいいんです。」

「リア〜!!!!」

がばっとセイが抱きつく。私も、リアの優しさが嬉しくてセイに促されるまま抱きしめた。苦しいですと笑うリアもとても嬉しそうに見えた。

 

「さて、今日のお昼はパンケーキを作るぞ。」

コクリと隣でリアが頷く。リアが手伝ってくれたのもあり、しっかり予習をして焼き上げたパンケーキは綺麗な黄金色をしていた。

「お、美味そうじゃん。」

匂いにつられてソファから立ち上がりこちらに寄ってきたセイにボウルとハンドミキサーを渡す。

「さあ、生クリームだ。…失敗するなよ?」

「エンちゃんと違って失敗しませんぐっ!」

余計なことを言い出したセイの口を慌てて塞ぐ。幸いなことにリアに気づいた素振りはない。足の指を思い切り踏んづけてからリアの元に戻る。

「さ、好きなものを乗せていいぞ。今、セイが生クリームも作ってるからな。」

コクリと頷いたリアが先に切ってあったフルーツに手を伸ばす。輪切りになったキウイに一口大のパイナップルや房の薄皮を剥いたオレンジ。普段料理をするとはいえ、やはりカラフルなフルーツや生クリームを乗せて甘いパンケーキを作るのは楽しいのだろうか。真剣にパンケーキと格闘していたと思っていたら、いつの間にか私の方を見ていた。

「エンさん。」

呼ばれて首をかしげるとリアが内緒話をするように耳元で囁いた。

「ありがとうございます。」

こうしてリアとの距離は少しずつ、けれど順調に縮まっていったのだ。

 

3.思い出と綿菓子

 まだまだ暑い秋の夕方。夕飯の前だからと、リアと半分にしたアイスを咥えて歩いていると、神社のしめ縄が張り直されているのを見つけた。

「何かあるのか?」

「もうすぐ秋のお祭りがあるんですよ。ローランくんが楽しみだって言ってましたから。」

そういえばそんな時期か、とナルセは思う。毎年のことだが、仕事に忙殺されているために、実感がない。

「じゃー今年は3人で行くか!」

そう言うとリアは驚いた顔して俺を見上げた。

「で、でもお二人ともお仕事ですよね…?私のことは気にしなくても大丈夫ですし、去年はクロエママに連れて行ってもらったので…。」

自分が言ったことで俺たちが気を使ったと思ったらしい。以前に比べれば自分の意思を言うようになったと思っていたし、俺たちに甘えるようになったと思っていたけれど、こういうところはまだまだらしい。ポンとリアの頭に手を置いて数回撫でる。

「いいの、俺たちが好きでやってるんだから。それともリアは一緒に行くの嫌か?」

俺の言葉に首を横に振るが、まだ申し訳なさそうにするリアにこっそりため息を吐く。そんなに気にすることではないのにと思うのだが、きっと親子2人暮らしでわがままを言えないこともあったのだろう。

「それじゃ決まりな。ちゃんと予定空けとけよ?」

そう言うとコクリと頷いてはにかんだ。

 

夏祭り当日。先程からリアの実家でエンちゃんが格闘していた。

「で、ここをこの紐で結ぶんです。」

「うむ…?リア、上手くいかん。」

浴衣と。

「エンちゃーん。だから俺がやってやるって。」

「くっ…仕方ない、あまりリアを待たせるのもな。仕方なくだぞ!」

ほら、やれとばかりに両腕を広げたエンちゃんに笑いがこみ上げてくる。そんなところも可愛いんだけど。

「少し足開いて立って…。リア、中心線は大丈夫…だな。じゃあ腰紐結ぶぞ〜。」

そこからおはしょりを作って、はだけないように紐で止め、伊達締めと帯を締めれば完成だ。白地に藤の花が描かれた浴衣はエンちゃんによく似合っていた。

「エンさん、似合ってます!!」

混じり気のない褒め言葉にエンちゃんは照れ臭そうに笑った。

小さな手に引かれ、三人で下駄を鳴らしながら夜道を歩く。神社への道にはしめ縄が張られ、彼方此方にある提灯がお祭りの雰囲気を助長していた。

沢山の屋台が並ぶ境内は、賑やかで多くの人が思い思いに楽しんでいた。逸れないようにと繋いだ手の先でリアが瞳を輝かせながらキョロキョロと辺りを見回していた。

「思っていたよりも盛況だな。」

エンちゃんもしげしげと周りを見回してそう言った。お互い不規則に働いている時もあるために、この手の行事には参加したことがなかったため、その言葉に頷く。

「そうだな。あ、そうだリア、好きなものあったら買ってやるから。」

「…はい。」

その言葉にリアはコクリと頷いた。

 

「リア〜、本当に欲しいものないのかよ?」

この言葉にもリアはコクリと頷いた。あれから屋台を冷やかしていたものの、終ぞリアが何かをねだることはなかったのだ。遠慮しているのか、何も強請らないリアに少し悲しいような気持ちがする。

「リア、私たちのことなら気にしなくていい。量のことを気にしているなら私が半分食べてやるから。」

エンちゃんもかがんでリアと目線を合わせるとそう言って笑った。すると、困った顔をしたリアがゆっくりと指をさした。

「……それなら、綿菓子買っても良いですか?」

ようやくそう言ったリアにホッと胸をなでおろす。やはり、遠慮していたのだ。

「はい。落とすなよ?」

お金を渡してニヤリと笑ったエンちゃんに、リアもやっと笑う。一人で行けると言うリアに、狭い境内だから大丈夫だろうと、それならここで待っていると伝えると、頷いて人混みに紛れていった。

「いや〜それにしてもこういうの、懐かしいな。」

そう言ってから後悔して、慌てて口をつぐんだ。エンちゃんのことを気にしたからだったが、その答えは予想と違っていた。

「あぁ、そうだな。私も連れて来てもらったことがある。」

驚いた顔を向けると、エンちゃんが吹き出した。

「何をそんなに驚いている?私も両親と半分にして色々なものを食べたものだ。」

エンちゃんは人混みの方に向けていた身体を反転させて、目の前にあったかき氷屋を見遣った。キラキラと眩しい屋台は子どもの頃、無性に心が躍るものだったなと思う。

「まぁ、父が生きていた頃の話だが。」

そうエンちゃんはいつもの表情の読みにくい顔に戻って締めくくる。

「じゃあ、また今日も良い思い出にしような?」

俺の咄嗟の言葉にエンちゃんはキョトンとすると、ふわりと笑った。

「あぁ。」

その時

「お父さん、お母さん!」

必死な、誰かを引き留めるかのような声と共に後ろからギュッと抱きつかれた。突然のことにびっくりして後ろを振り返るとそこには綿菓子を持ったリアがいた。

数秒固まったリアはハッとすると眉を下げた。

「あ……ご、ごめんなさい!私…。」

「良いんだぞリア〜。俺らはそう思ってくれてる方が嬉しいぞ?」

な、とエンちゃんに同意を求めれば、ぎこちないながらもちろんだと頷いた。多分、リアの身長では人混みの中から俺たちの浴衣が垣間見えたのだ。浴衣はリアの両親のものだから……、両親が仲睦まじく立っているように見えたのを、また失くしてしまわないようにと自然に出てしまった言葉と行動なのだろう。ただ間違えたのとは違うことを、十二分に分かっていた。

「ち、違…本当にっ…ごめんなさい…。」

「そんなに気にしなくても…ってリア⁉︎」

みるみるうちに緑色の瞳に溜まっていく涙に慌ててしまう。エンちゃんを見るも何が何だかという顔で宙に手を彷徨わせていた。

ポロポロと本格的に涙を流し、嗚咽をこぼし始めたリアを抱き上げる。襟元に顔を押し付け、喉を引きつらせながら震えているリアの背をトントンと叩く。持ったままだった綿菓子はエンちゃんが受け取り、そっと頭を撫でた。

これが、俺たちが見たリアの初めての涙だった。

 

すっかり泣きつかれてしまったらしいリアを抱え、家への道を歩く。お互いに無言の時間を過ごしていた。

「なぁ。」

意外にもその沈黙を破ったのはエンちゃんの方だった。

「ん?」

「私たちに、リアはいつか話してくれるだろうか。」

躊躇いがちに言ったその言葉に少し考える。

「今日の理由?」

そう聞けばエンちゃんは首を横に振った。

「いや、自分がどうしたいかだ。」

そして視線を落とすとポツリと呟く。

「多分、リアは全て知っている。自分の両親のこと、自分が親戚の中でどのような立場なのか。」

「それが、今日のことと関係がある…って言うのか?」

エンちゃんが頷く。はっきりと頷いたその様に思い当たる節があった。

「それは…やっぱり…その…。」

言いづらそうにした俺にエンちゃんはあぁ、と言うように頷いた。

「経験からだ。しかし」

エンちゃんはそこで言葉を切るとリアの涙の跡が残る頬をそっと指でなぞった。

「母親の愛を知らない私ですら、私で良いなら母親になってやりたいと思うほど、見ている方は辛いのだな。」

そう言ったエンちゃんの顔がまるで母親のような慈愛に満ちていたのを、きっと本人が知る由はないのだろう。

 

4.涙のアフォガート

私は、周りから望まれない結婚をした夫婦の元に生まれた。

父の家は名の知れた家で、同じくらいの家柄の娘と息子を結婚させようとしていたらしい。しかし、意に反して父は普通の家庭に生まれた母を連れてきた。その身体に私という命を宿して。

父の家族による猛反対はあったものの、二人の意思は固く、堕ろさせるのも聞こえが悪いと、ほどなく結婚することとなった。母に対する風当たりは強いままであったが。

そして、父の死によって私たち家族は崩れ去った。母が母でなくなったのはもちろん、父の実家からの心無い言葉のせいでもあったと思う。しかし、それ以前から母は母ではなかったのだと私は知った。

「あの人と同じ目で私を見ないで!」

母にとって私は、愛する人との間に生まれた”愛する人が愛している”存在でしかなかったのだ。そう、母は私という存在ではなく、愛する父を通して私という存在を愛していたのだ。

 

「ただいま。」

その日はリアとの買い物の日であるため、早めの帰宅であった。

普段ならすぐに返ってくるはずの声が聞こえず、小首を傾げながら中へ入ると、小さなダイニングテーブルの上にネコ柄の可愛らしいメモが置かれていた。確かセイが置き手紙用に買い与えたものだったか。

「あぁ、クロエさんの所。」

今日はアランくんとローランくんと遊んでいるという書き置きに少し笑みがこぼれる。せっかくだから迎えに行こうかとスーツを脱いで動きやすい服に着替えた。

その時、服の中で携帯電話が震える。ディスプレイにはセイの文字が浮かんでいた。

「もしもし。」

『もしもしエンちゃん⁉︎あ、えっと、今リアと一緒にいる?』

何故そのようなことを気にするのかと思ったが、仕事に関することかと思い、いないと伝える。

『良かった…。詳しくは帰ってから話すけど、フェンネルさんを通じて、リアの母親から連絡があった。』

「そうか…。分かった、今日は夕飯待っているな。」

おう、と少し硬い声が聞こえて電話が切られた。靄がかったような暗い気持ちを払うように首を振る。

「迎えに行かねばな。」

私たちの暮らすアパートから徒歩10分のところ、リアの実家の向かい側がフォートリエ課長のご自宅だ。チャイムを鳴らすとクロエさんに出迎えられた。

「あら~エンちゃん!ちょっと待っててね、リアちゃん呼んでくるから。」

リアちゃ~んと呼ぶ声が遠ざかり、奥からトタトタと軽い足音が複数聞こえたと思うと、再び扉が開かれた。

「こんばんは!」

「こんばんは。」

勢いよく開いた扉に驚いていると、栗色の髪の男の子が挨拶をしてきた。返してやると花が咲いたように満面の笑みを浮かべる。

「ローラン、リアが出られないだろ。」

今度は深い赤の男の子が現れ、私に会釈をした。

「エンさん。」

その後ろから出てきたリアに手を差し出すと、少し照れ臭そうにしてから手を繋いだ。

「ありがとうございます。いつもいつもお邪魔してばかりで…。」

「いいのよ~。私も娘がいるみたいで楽しいし。」

クロエさんと少しばかり立ち話をしていると、誰かが私の袖を引いた。

「なぁなぁ!」

袖を引いたのはどうやらローランくんの方だったらしい。首をかしげると、ローランくんは私の方を指差した。

「エンちゃんがリアの新しいお母さんになるのか?」

「バカ!」

慌ててそれをアランくんが止める。返答に困ってリアを見るとリアも困った顔をしていた。

「ごめんなさいね。」

謝ってくるクロエさんにいえ、と言って笑う。

「ではまた。リア、帰ろう。」

コクリと頷いたリアを連れて今度はスーパーへと向かう。

またポケットで携帯電話が震え、ディスプレイを見ると、クロエさんからメールが入っていた。

『今日は本当にローランがごめんなさいね。でも、私もあの子たちも貴女がリアちゃんのお母さんになったら良いのにと思ってるのよ。』

側から見れば私は、母親らしいことをしているのだろうか?何が正しい母親なのだろうか?

そもそも、母親に私なんかがなれるのだろうか?

たくさんの疑問が渦巻いていく。

『リアの母親から連絡があった。』

先ほどのセイの言葉に心臓を直接掴まれたようなそんな気がした。

この感情は何だ。

「エンさん?」

よほど難しい顔をしていたのだろうか。リアがこちらを不安そうに覗き込む。

「なんでもない。さ、今日の夕飯は何にする?」

先ほどまでの考えを頭の隅に押しやって、私はリアに笑いかけた。

 


セイも揃っての夕飯が終わり、私たちはリアも交えてソファに座っていた。

「リーア。」

セイがひょいとリアを膝に座らせる。そして顔を合わせると言った。

「今日な、リアのママから連絡があった。」

リアは少し驚いた顔をした後、ゆっくりと頷いた。

「それでな、ママはリアに会って話したいことがあるんだって。」 

「何の話ですか?」

そう聞かれてセイは意を決したように口を開いた。

「リアがこれから誰と暮らしていくのかについてだよ。」

リアは俯くと分かりましたと言った。セイは横にゆらゆらと揺れながら、なんでもないことのように聞いた。

「リアはどうしたい?」

「…私は…お母さんとは暮らせないです。その方が私にとっても、お母さんにとっても良いことだから。」

ぎゅっと膝の上で握られた拳は小さく震えていて、それを見たセイは安心させるようにその手を取った。

「じゃあリアは俺たちと暮らす?」

その言葉にリアは豆鉄砲を食らったような顔をした。やはり、セイはそこまで考えていたらしい。

「……ナルさんもエンさんも迷惑じゃないですか……?これから、ご結婚されるのに。」

リアは不安そうにそう言った。この子は自分の存在が邪魔になることを一番恐れている。家事も何もかもやってしまうのも、きっと私たちに邪魔だと思われたくないのだ。

私にはその気持ちが痛いほどよく分かった。

「迷惑なんかじゃないさ。」

私が言った言葉に今度はセイが驚いた顔をした。

「きっと、私たちの子はこんなになんでも出来るスーパーお姉ちゃんがいたら嬉しいぞ。」

リアは少し嬉しそうに小さく笑うと、お風呂に入ってきますと行ってしまった。結論は避けられてしまったようだ。

私たちの間に沈黙が降りる。セイがその沈黙を破った。

「エンちゃん、勝手にごめん。でも、エンちゃんが良いならリアを引き取ったって良いって思ってたんだ。」

リアが家に来た時から薄々そんな気はしていたし、私も異論はなかったので、頷く。

「これまではさ、家族ごっこって言われても仕方なかっただろ?でもさ、過ごした時間がニセモノなわけじゃない。」

「もちろん分かっている。だけどな、セイ。それを決めるのは私たちじゃない。」

セイの言いたいことも分かる。でも、私たちにできるのはただ一つ。

「セイが私にしてくれたように、あの子の判断を尊重して、受け止めてやるのが私たちの務めだ。」

セイは目を見開くと、はにかんだように笑ってそうだなと言った。


リアの母親と待ち合わせたのは隣町の喫茶店だった。とりあえず、とコーヒーとオレンジジュースを注文し、半個室の席に座っているとドアに付いたベルが来店を知らせた。

女性と男性は店員に案内され、こちらに向かって来る。

「はじめまして、莉有がお世話になっております。母親の天羽梓です。」

長い睫毛に縁取られた瞳が優しげで、とても娘を捨てて再婚するような人物には見えなかった。

リアの祖父らしい男性は会釈しただけですぐに向かいに座る。すると、端に座るリアがにわかに緊張したのが伝わってきた。

セイは安心させるようにそっと手を握る。

「はじめまして。リアちゃんのこと、預からせていただいています、成海正也です。こっちは婚約者の塩倉汐海。」

セイの紹介に会釈すると女性も返してくる。依然男性はむっつりと黙っていた。

と、そこで飲み物が運ばれて来る。どうやら梓さんたちは店内に入った時点で注文していたらしく、紅茶とコーヒーが目の前に置かれる。

「それで、お話というのは?」

単刀直入にセイが聞く。梓さんは少しためらった後、口を開いた。

「莉有のことで……。私が引き取ろうと思っています。少し難しい立場になることは重々承知していますが、この子が良いと言ってくれるなら一緒に暮らしたいんです。」

お母さんと一緒に暮らしてくれる?と梓さんは私たちの隣に座るリアに聞いた。リアは俯いて、オレンジジュースの水面を見つめている。ゆるりと水分をまとった瞳が梓さんを映した。

「私は、天羽莉有にはなれないよ。」

「どうして?莉有はお母さんと一緒に暮らしたくない?」

梓さんの問いにリア首を横に振った。

「でも、お母さんと一緒に暮らすのは、今のお母さんのお家でしょ?」

そうよと梓さんが頷くと、リアはそれならやっぱりダメだと言った。

「新しいお父さんが出来るのが嫌?」

その問いにもリアは首を横に振る。そのまま黙り込んでしまった時、今まで一言も口を開かなかった男性が声を出した。

「お前よりこの小娘の方が状況をわかっておる。こいつを家に入れるなど反対だ。」

リアがきゅうっと小さくなって震えた。それを見てセイが心配そうな顔を私に向ける。

「お父様、そんな言い方止めてください。この子は、莉有は私の大切な子です。杏介さんも良いと言っているじゃありませんか。」

梓さんの言葉に男性、リアの祖父は鼻を鳴らした。

「はっ、馬鹿馬鹿しい。外国人風情を家に入れるなど天羽家の恥だ。」

リアが頑なに母親と“暮らせない”と言った理由が分かった。この祖父のせいだ。

「……お母さんあのね、私がお母さんと暮らすときっと杏介さんや梧弥くんに迷惑かけちゃうよ。」

リアが震える声で言った言葉に梓さんは眉尻を下げた。

「そんなこと…「あるもん!」

リアが大きな声で梓さんの言葉を遮った。そして、まくし立てるように涙声で話し出す。

「お母さんは、私が何も知らないと思ってる!おじいちゃんは、私のこともお父さんのことも嫌いなの知ってるよ?だから、お父さんはお母さんと離婚しなくちゃいけなくなったんでしょ⁉︎」

リアの瞳からボロリと大粒の涙がこぼれる。

「おじいちゃんは……、私と、お父さんのこと家族だと思ってないっ!私はあの家にいたくない!いちゃいけないんだもんっ‼︎」

「リア!」

店を飛び出したリアをセイが慌てて追いかける。カランカランとベルが鳴り響く中、追いかけようとした梓さんを私は引き止めた。

「離してください!」

「お気持ちお察ししますが、今は放っておいてあげた方が良いかと。セイに任せましょう?」

私の言葉に、梓さんは気が抜けてしまったように椅子に座った。

「これで満足だろう、梓。」

その言葉に梓さんの目からポロリと涙がこぼれた。私は机を叩いて立ち上がる。

「……少し、梓さんをお借りしますね。」

私は、はらわたが煮えくり返っていた。財布から十分すぎるほどのお金を取り出し、驚いている梓さんを立たせてまだ座っている男を睨みつける。

「貴方が居るのではあの子とこの人は話もできない。……いつまでその古臭い考えで人を傷つけるおつもりですか?名家が何だ。そんなに家に違う血が流れるのがお嫌で?」

机に叩きつけるようにお金を置き、梓さんの手を引いて店を出る。

後ろで喚いている声が聞こえたが、心は先ほどよりも晴れていた。

 


先ほどの場所から少し離れた暖かな雰囲気の店に入り、セイに連絡を入れたところで、梓さんはポツリと言った。

「莉有は……私が思っている以上に聡明ですね。……母親失格なのかもしれません。」

目元を赤くして、自嘲するように笑った梓さんに私は首を振る。

「そんなことはありません。……梓さんは子どもが1番聡明になる瞬間をご存知ですか?」

視線を落としたまま首を振る梓さんに私は微笑む。私の母との関係がこんなところで役に立つとは思わなかった。

「両親のことです。親のことを子どもは敏感に察します。それはきっと好きだからなんです。好きの反対は無関心、ですから。」

私の言葉にハッと梓さんは視線を上げた。視線を落とすと、カップの水面に自分の顔が映っているのが見えた。

「私も早くに父を亡くしました。母は父を亡くして以来、少し心を病んでしまったんだと思います。」

完璧にやらなければ罵倒された日々、酒浸りの母、父と揃いの瞳。

「ひどいことも言われました。それでも、母のことを嫌いにはなれなかった。嫌いになれればどれほど良かったでしょう。」

梓さんは私の話を黙って聞いてくれる。これは私の話であり、そしてリアの話にも通じるのだと分かってくれたのだろう。

「好きだから、母の置かれた状況も何もかもわかっていました。だから、リアの話、もう一度よく考えてあげてください。」

お願いしますと頭を下げると梓さんが顔を上げてくださいと言った。視線をあげるとリアと同じように困った顔で笑う梓さんが居た。

「ありがとう。私にそんな大切なことを教えてくれて。莉有を貴女みたいな優しい人に預かってもらえて本当に良かった。」

「…お母さん、エンさん…。」

小さな声が聞こえてそちらを見ると、セイに連れられてやってきたリアは泣きはらした目をしていた。

「莉有……。」

梓さんに声をかけられても黙ったまま、セイの膝の上に座ったリアを私は撫でてやる。

「リア、お母さんの話、もう一度聞いてくれるか?」

コクリと頷いたリアに梓さんはホッとしたような顔をして私を見た。それに頷くと梓さんは莉有に語りかける。

「まず、謝らなければいけないわね。ごめんね、私が不甲斐ないばかりに莉有やお父さんに迷惑かけて。」

それにリアは首を振る。そして、少し枯れた声でこう言った。

「……迷惑って思ってない。お父さんが言ってた、お母さんは私とお父さんのために杏介さんと結婚したって。杏介さんも、私とお父さんのことを分かってて結婚してくれたって。2人ともとっても優しい人なんだよって。」

「そう……。それでね、莉有がもしお母さんと暮らすとなると、あの家に住むことになるの。お母さんは1番上のお姉ちゃんだから、お家を継がなきゃいけないって決まりがあるの。」

それを振り切って出て行ったが、なんらかの問題が発生して戻らざるを得なくなったということらしい。恐らく、2人に関係することだろう。

「だけどね、莉有のことお母さんは絶対、絶対守ってあげる。悲しい思いも、嫌な思いもさせない。」

梓さんの言葉はより真剣味を帯び、その瞳はまっすぐにリアを見つめていた。

「……ありがとう。でも、私やっぱりお母さんと暮らせない。おじいちゃんと暮らすのは……怖いよ。」

リアの言葉がポツリと落ちた。なんと声をかけて良いのか分からない。するとセイが口を開いた。

「僕たちは、リアが望むなら養子にしたいと思っています。それならリアも梓さんにこれまで通り会えるし、何より僕らがリアと一緒にいたい。」

その言葉にリアは真っ赤になった目をまた潤ませて、震える口を開けた。

「……私、おじいちゃんと暮らしたくない。でも、お母さんには今まで通り会いたいから、フェンネルおじさんのところに行くのはちょっと嫌だ。それに、ナルさんのこともエンさんのことも好き。離れるのは寂しいって思う。これは、わがまま、かな。」

梓さんは必死に首を振った。そして、リアの手を取った。

「そんなことないよ。莉有が許してくれるならお母さんはずっと莉有のお母さんだから。離れてても、莉有のことずっと大好きだから。」

その言葉にリアは嬉しそうに笑った。


梓さんが私たちに頭を下げて帰った後、リアは憑き物が落ちたように晴れやかな表情をしていた。

「せっかくの外出だし何か食べるか。リア、食べたいものはあるか?」

私がメニューを渡すと、小さな指がアイスクリームを指差す。

セイの注文したコーヒーとともにそれが運ばれてくると、リアは珍しくセイにコーヒーを強請った。

「いや苦いぞ?それに子どもはあんまり飲まない方が良いって話も……。」

困った顔をしたセイにリアは、スプーンひとすくいだけでいいのだと言った。根負けしたセイがコーヒーを渡すと、リアはスプーンでアイスクリームの上にコーヒーをかけた。

そして、アイスクリームをひとすくい、私のコーヒーに入れる。

「これは?」

どうしてもやりたかったこの行動の真意を聞くとリアは眉尻を下げて笑った。

「お父さんが、いつもやってくれたんです。だから……。」

トロリとコーヒーで溶けたアイスクリームを見ながらリアが初めて、私たちに父親の思い出話をしてくれた。

セイはそうかと言ってコーヒーを啜る。私も、アイスクリームが溶けて柔らかな茶色になったコーヒーに口をつけた。

「うん、美味しい。」

リアは涙の跡が残る顔に満面の笑みを浮かべた。

 

5.唐揚げが祝う門出

正式に梓さんからリアのことを頼まれてから2週間、秋風が吹き始めた頃、俺とエンちゃんはあることで頭を悩ませていた。

「休めると思うか……?」

「いや、意地でも休む。とりあえず申請だけでも出そう。」

俺たちの間に置かれた机の上には、リアが申し訳なさそうに出してきたプリント。『運動会 保護者競技のお知らせ』と書かれたそれは当たり前のことながら土曜日の開催で。俺たちは上司に何と説明しようかと途方に暮れていたのだが。

「あぁ、家にもそれが来ていた。構わん、俺も休む。」

「は?」

思わず口から出た言葉を咎めるようにフォートリエ課長が鋭い目を向けた。

「俺を何だと思っている。家族のために働いているのに家族を蔑ろにしては本末転倒だろう。」

「そう、ですね。」

フォートリエ課長は立ち上がるとすれ違いざまにポンと肩に手を乗せた。

「頑張れよ、負ける気はないが。」

フォートリエ課長のほんの少しだけ口の端をあげたそれに、俺はしばらく固まってしまった。

「明日は雨だ……。」

 

家に帰ると今日は先に帰っていたらしいエンちゃんが難しい顔をして本を読んでいた。

「ただいま、何読んでるんだ?」

「あぁ、おかえり。それよりセイ、イレーネさんと連絡を取りたいのだが。」

母さんに会いたいというまたしても珍しすぎる言葉に、明日は本当に雨に違いないと思ったが、気を取り直してエンちゃんに聞いた。

「うん、それは良いけど何で?何かあった?」

エンちゃんは時たま過程をすっ飛ばして話し始めるので、こういう時はきちんと聞いた方が良いことは長い付き合いの中で知っている。

「まず、私とセイが、その……本当に結婚するのであればもう一度挨拶に行きたいのだ。リアを引き取るのであれば予定より早く結婚して安定させた方が良いだろうし、あの子を養子にすることも伝えなければならないし…。」

あと唐揚げの作り方を教えてもらいたい、と続いた言葉に俺は空いた口が塞がらなかった。エンちゃんが……料理?

無意識に言葉になっていたらしく、拗ねたような口調でエンちゃんが言った。

「運動会の弁当といえば唐揚げが定番なのだろう?」

リアに作らせては意味がないと言う言葉に、ようやくエンちゃんの真意が読み取れて、つい笑みがこぼれる。

「了解。母さんに聞いとくわ。今週末は?」

「今のところ休みの予定だ。」

その時ガチャリと風呂場へ続く扉が開き、ひょこりと赤い頭がのぞいた。

「ナルさん、おかえりなさい。」

「ただいま。」

ほかほかと湯気が立っているその身体を抱き上げると、しっかりと手を回してくれる。そんな小さな変化が嬉しくてついつい構ってしまう。

「今週末、俺の実家に行こうな。」

そう言うとリアはきょとんとした顔をする。

「ナルさんの家ですか?」

「うん、リアのこと紹介したいんだ。ダメ?」

リアはふるふると首を振るとコテンと首を傾げた。

「ナルさんのお父さんとお母さんはどんな人なんです?」

そう言われるとどう答えるべきか悩んだ。自分から見た親というのは説明しにくい。

「大丈夫だ。どちらもとても優しい人だぞ。」

「本当ですか?」

エンちゃんが頷くとリアは安心したように笑った。

 

「ただいま〜。」

「お邪魔します。」

迎えた週末。俺たちが暮らす街からは電車で40分ほどの、潮風の吹く町にある俺の実家に行くと、親父が迎えてくれた。

「おぅ、早かったな……。」

俺の後ろ、エンちゃんの足元からはひょこりと赤い髪の子どもが覗いている。親父は目を瞬くと大音量で叫んだ。

「イレーネッ!!!!ちょ、お、お前正也ァ!いつの間に子ども作って……!」

その声にリアがびっくりして固まり、奥から出てきた母さんはあらあらと目を大きくした。

「小さなお客様もいるのね、いらっしゃい。とりあえず上がりなさいな。」

お邪魔します、と小さな声で言ったリアに母さんはにっこりと笑った。借りてきた猫のようにさらに大人しくなったリアは、エンちゃんの膝の上に乗っている。母さんが出してくれた麦茶を飲んでいると、やっと落ち着いたらしい親父が、口を開いた。

「それで、何か話があるんだったか。」

おう、と真面目な顔で言うと親父が母さんを呼んだ。向かい合うように座った2人を前に俺は意を決した。

「前にも話したけど、その、俺たち結婚しようと思ってる。」

母さんは優しく頷き、親父はすでに泣きそうになっている。

「ご無沙汰しております、塩倉です。この度は正也さんと結婚させていただきたく…「やっと決心したか正也ァ!!!エンちゃんをいつまで待たせるつもりかと思ったぞ!!!」

親父が立ち上がり俺の肩を容赦なくぶっ叩いた。

「痛ッ!!親父落ちつけ!まだ話があんだよ!!」

感極まっている親父を落ちつかせるとエンちゃんが俺を見て頷いた。

「それでな、この子を養子にしようと思ってる。」

2人の視線がリアの方を向く。リアはエンちゃんの膝の上でグッと唇を噛んだ。まだ不安らしい。

「リア、挨拶してくれるか?」

俺が聞くと不安そうに俺とエンちゃんの顔を見た後コクンと頷いた。

「……ルクリア・A・ロルカです。その、こせきじょう?は天羽莉有って言います。えっと、その……。」

困ったようにリアがこちらを見てきたので、その続きを説明する。

「俺の亡くなった上司の娘さんでさ、複雑な家庭の事情……あとで説明するけど……それで俺たちと暮らさないかって話したんだ。」

それまで静かに話を聞いていた親父がガタリと立ち上がり、エンちゃんの前に立つ。2人の不思議そうな視線が親父に突き刺さる。

「ルクリアちゃん、だったか?」

「……はい。」

親父はデカい。上から見下ろされると圧倒的な威圧感があるし、笑っていないとどちらかと言うと顔が怖いタイプだ。萎縮したリアを親父はその太い腕で軽々と抱き上げ、抱きしめる。

「今日から俺がおじいちゃんだぞ〜!よろしくな!」

そう言いながら顔を崩し、ゆらゆらと揺れる親父にリアは目をパチクリさせた。

「おじいちゃん?」

「そうよ〜私がおばあちゃんよ〜。」

いつの間にか親父の隣に立った母さんがニコニコと笑って自分を指差す。

「おばあちゃん……。」

よろしくねと差し出した母さんの手をリアがおずおずと握る。

こうしてリアはあっという間に我が家のアイドルと相成ったのであった。

 

エンちゃんとの結婚の話とリアの養子の話はトントン拍子に進み、俺たちは結婚届の保証人としての署名をもらおうと、再び実家を訪れていた。

夕飯を一緒に食べようと、母さんに言われた買い物を終えて帰ると、親父とリアの話し声が聞こえてきた。

「リアはさ、なんで俺たちのことはおじいちゃん、おばあちゃんって呼ぶのに正也たちのことはあだ名で呼ぶんだ?」

なんてこと聞くんだ親父!と思ったが、気にならない訳ではないので、そっと耳をすませる。

「……私には、この国におじいちゃんもおばあちゃんもいないから。だから、私のおじいちゃんとおばあちゃんはナルさんのお父さんとお母さんだけです。」

とつとつと話し出したリアに親父が相槌を打つ。

「でも、ナルさんとエンさんをお父さん、お母さんって呼んだら……、本当のお父さんとお母さんが、消えちゃうような気がして……。」

そうじゃないのは分かってるんですけどね、とリアが言うと親父は多分頭をわしわしと撫でたのだと思う、リアの驚いた声が聞こえた。

「そっか、嫌なこと聞いて悪かったな!」

「ううん、本当は呼んだ方が良いかなって思ってましたから……。」

リアの言葉に親父は気にすんな、と言った。

「呼び方なんて訳を話しゃいい話よ。俺は気になったから聞いただけだし。それよりもその他人行儀な敬語の方が俺は嫌だけどな?」

「……ん、頑張り、えっと、頑張る…ね?」

小首を傾げたリアを親父は満足そうに抱きしめた。微かな笑い声が聞こえ、楽しそうにしているリアにホッとする。肉親を失って半年以上が経ち、最初はほとんど笑顔もなかったが、最近はたくさん笑ってくれるようになった。

「ただいま〜。」

気を取り直してそう言ってリビングに入ると、エンちゃんが唐揚げと格闘していた。

「あら、おかえり。ちゃんと買ってきてくれた?」

母さんの言葉に頷いて買い物袋を渡す。真剣に揚げ加減を見ているらしいエンちゃんはこちらに目も向けない。

「頑張り屋さんだから、きっと上手く行くわよ。」

母さんが耳元でそう囁いた。それに微笑んで、ダイニングへと向かう。

そこには先ほど親父に署名してもらった結婚届が置いてあった。

リアとの養子の話は梓さんとやりとりをしなければならないので、まだ時間がかかるだろう。

「……不思議だなぁ。」

「何がだ。」

ようやく揚げ終わったらしいエンちゃんがそう聞いてくるので、机の上の紙を指差す。

「紙切れ1つで俺たちの関係にも、俺たちとリアの関係にも自分たち以外からも認められる名前がつくんだなって思って。」

俺たちの関係性が変わるわけではないのに、第三者からは変わるのだ。それが本物かどうかは、ただ紙の上で決められる。

「……そうだな。だが、それに縛られるからこそできることがあるのも事実だ。」

私たちがあの子に出来ることが増えるのだから、と優しい笑みを浮かべたエンちゃんに、改めて好きだと感じたのは内緒だ。

 

運動会を翌日に控えた夜、リアはパソコンを貸して欲しいと言った。

「良いぞ。使い方は分かるか?」

リビングの隅に置かれたコンピュータデスクを指差したエンちゃんに、リアは首を縦に振る。俺はすぐに自分の管理者アカウントでリアのアカウントを作ってやった。

「あの、えっと……Skypeを入れても良い?」

Skype……?」

機械に弱いエンちゃんの頭の上にはクエスチョンマークが浮かんでいるが、俺はやっと夜にリアがそう言いだした理由が分かった。

「ファンネルさんとの連絡か?」

コクリと頷いたリアに入れておいてやるから先に風呂に入って来いと言うと、とたとたと駆け出していく。その姿を見送ったエンちゃんが俺の肩を叩いた。

「おい、Skypeとは何だ。」

「ん〜まぁビデオ通話とかチャット……リアルタイムで文字での会話ができるアプリケーションかな。割と向こうでは盛んだし、パソコンでできるから便利なんだよ。」

便利な世の中だな、と頷くエンちゃんにこみ上げる笑いを我慢してインストールを開始する。

何となく必要かと2人で購入したものの、使わずじまいだったパソコンがこんなところで役に立つとは思っていなかった。

「ナルさん!」

慌てて風呂に入ったらしいリアはまだ髪の毛から滴が垂れている。パソコンの前に座っていた俺の膝の上に乗ったリアは、元々持っていたらしいアカウント名を入れてログインしていた。

「ちゃんとあったまったのか?」

そう聞きながら苦笑したエンちゃんが、首に掛かっていたタオルで髪を拭いてやっていると、リアの頭がもぞりと動き、温まって来たのだと主張する。わしゃわしゃと拭かれているのを見ていると、画面にDillweedというアカウントと通話マークが出てきた。膝の上に座るリアの肩を叩く。

「リア、ディルウィードって人から電話かかってきたぞ。」

「ディルお兄ちゃんは従姉弟なので出てください〜。」

まだ髪を拭かれているリアがそう言うので、通話ボタンを押すと、物凄い勢いで亜麻色の物体が動いた。

Lia〜‼︎Sorry,I'm…I'm so useless〜〜〜‼︎(リア〜‼︎ごめんね、僕は……僕は、ダメなやつだよ〜〜〜‼︎)」

わっと泣き声をあげて突っ伏したそれを見たリアは苦笑する。以前会った時はしっかりした人だなと思っていたが、こういうところがセージさんと似ているのかと、失礼ながら面白く思った。

「Morning,Fennel. Mr.Narumi and Ms.Shiokura are next to me…Are you ok?(おはよう、フェンネルおじさん。私の隣に成海さんと塩倉さんがいるんだけど……大丈夫?)」

リアの言葉にバッと顔を上げたフェンネルさんの顔がみるみるうちに赤くなる。

「Oh,my god…」

「Oh,stop it…(もう、やめてよ…。)こんばんは、はじめまして。ディルウィードと申します。」

フェンネルさんを押しのけて画面に映った赤髪の男の子が流暢な日本語で挨拶し、こちらも会釈した。

「はじめまして、僕は成海正也。こっちは塩倉汐海です。」

「えぇ、リアから話を聞いています。リアがお世話になっています。」

ペコリとお辞儀したディルくんは、パパとフェンネルさんを呼び寄せる。

はじめまして、塩倉さん。リアの叔父です……と返すフェンネルさんは居た堪れないようで、リアが話題を変えた。

「So what happened?(それで、何があったの?)」

フェンネルさん曰く、どうやら異動希望が叶わなかったらしく、こちらには来られないとのこと。それを聞いたリアは俺と目を合わせると、かくかくしかじかと養子になることを話した。

「That's what Azusa agrees with, right?(それは梓も了承していることなんだね?)」

「yes.(うん)」

じゃあ僕に言えることは無いよとフェンネルさんは笑う。

「リアと僕たちはずっと家族だよ?」

「うん。ありがと、ディルお兄ちゃん。」

ディルくんもそう言って笑うと、フェンネルさんが僕らのほうを見て頭を下げた。

「リアのこと、よろしくお願いします。」

そう片言の言葉で告げられて、俺たちは慌てて頭を下げる。

「こちらこそ、よろしくお願いします。」

2人はよく似た顔でリアを愛おしそうに見たあと、また今度と通話を切った。

無音になった部屋でじわじわとリアと、そしてエンちゃんと家族になるんだという実感が湧いてくる。

「あ。」

ピコンと通知が来て、何やら英語のメッセージが送られてきた。それを開いたリアが少しにやけた顔をする。

「どうした?」

エンちゃんが聞くと、リアはいたずらっ子のような瞳で言った。

「叔父さんが結婚式には呼んでねって!」

ボンッと音を立ててエンちゃんが赤面したのはいうまでもない。

 

「ほい、完成。」

リアの長い髪を結ってやると、はにかんでありがとうと言った。エンちゃんはというと、キッチンでお弁当と格闘している。

「エンちゃ〜ん。そろそろリアが出る時間だぞ。」

「なに⁉︎リア、頑張ってな。」

ぽんぽんと頭を撫でてそう言うと、リアはこくりと頷いた。

「いってきます。」

いつものランドセルではなく、くまの耳がついたリュックサックを背負い俺たちに手を振って出て行く。

「エンちゃんは支度終わりそうか?」

「もうすぐだ。」

お弁当は父兄と一緒に食べても良いそうで、エンちゃんは張り切って、この日のために買った重箱に詰め込んでいる。

その間に俺は洗濯物を済ませて、レジャーシートやクーラーボックスの準備をしておく。

エンちゃんを見遣るとまだ忙しそうに支度をしていたので、愛用のジッポと小さな箱を引っ掴んでベランダに出る。

細長い筒状のそれに火をつけて、一口吸い込むと、ポケットの中で携帯電話が震えた。

『もうすぐ着くぞ\\٩( 'ω' )و ////』

親父からメッセージが入っている。こういった機械にはめっぽう弱かった親父だが、リアに教えてもらったらしく、最近は顔文字までつくようになった。

「また吸っているのか。」

その声に振り向くと、眉間にしわを寄せたエンちゃんが立っていた。

「口寂しいんだよ。」

「リアの教育に悪影響だ。やめろ。禁煙しろ。」

口寂しいならこれでも食ってろと、リアのらしい飴を口に放り込まれた。仕方なく俺はまだ長かったそれの火を消して、部屋へと戻るエンちゃんの肩を抱く。

「くさい。寄るな。」

「え〜。」

そういえば、あの人も吸っていたんだとフォートリエ課長が言ってたっけ。

嫌な顔をしたエンちゃんの頬に口付けて、俺も禁煙しようかなぁと思いながら、甘ったるい三角形の飴を噛み砕いた。

 

真剣な顔をしたリアがスタートラインに立つ。

パンッとピストルが鳴って、一斉に走り出した。

「リア〜!!頑張れ〜!!」

「リアちゃ〜ん!」

親父の野太い声援と母さんの声が重なる。リアは父親譲りの赤い髪を揺らしながら、周りの子を置き去りにして白いテープを切った。

「リア〜!」

俺が呼ぶと気がついたらしく、リアは笑って少し恥ずかしそうに手を振る。

「リアは運動神経が良いな!」

「あぁ、セージさん……リアの父親も空手だか柔道で段位持ってたような?」

父親似か!と笑う親父はすっかりじいちゃん面が板についた。

「それなら、正也よりも運動神経が良くなるかもねぇ。」

「父親としての面子丸つぶれだな!」

豪快に笑う親父に、エンちゃんもつられて笑っている。連続してピストルが鳴り、競技が終わったことを知らせた。

お昼の時間を伝える放送がかかり、応援席にいた子どもたちが、ぞろぞろと保護者の元へ向かう。

「リア!」

きょろきょろと不安げに辺りを見渡していたリアの表情がパッと明るくなって、こちらに駆けてきた。

「1位だったな!すごいぞ〜!」

太い腕でリアを抱きしめた親父にまんざらでもなさそうなリア。

「さぁさ、ご飯にしましょう。」

母さんがそういうと、エンちゃんが緊張した面持ちで重箱を取り出した。開かれたそれにわぁっと感嘆の声が上がる。

鮭や枝豆の混ぜ込まれた俵形のおにぎりに、ずっと練習していた唐揚げ、ほんの少し焦げた卵焼き、ヘタの取られたミニトマト、ピックでチーズと一緒に纏められたブロッコリー……。エンちゃんは力作たちをせっせと皿に移して配った。

「それじゃ、いただきます。」

皆が口々にそう言って、食べ始める。

「……どうですか?」

「美味しいわよ。本当にエンちゃんは頑張り屋さんね。」

母さんと親父の間でニコニコしていたリアは、卵焼きを口に入れた瞬間、驚いたように目を開くと、エンちゃんを見た。

「エンさん、これ……。」

「梓さんに教わったんだ。嫌だったか?」

リアは勢いよく首を横に振る。

エンちゃんがリアに知られないように練習していた卵焼きはほんのり甘い。

「美味しいです。ありがとうございます。」

「なら良かった。ほら、早く食べないと午後の競技が始まるぞ。」

リアはコクリと頷いて食べ始めた。最後まで大事そうに卵焼きを残しながら。

 

午後の部が始まり、いよいよ保護者競技が始まった。フォートリエ課長夫妻はというと、どうやら名物保護者のようで、やんややんやと応援される中ぶっちぎりの1位。

「負けてられないな。足を引っ張るなよ?」

「いや、エンちゃんこそ足引っ張らないでよ……?」

リアのために1位を獲ると意気込むエンちゃんと共に、デカパンと呼ばれる大きなズボンに足を通す。リアが戻って行った応援席の方を見ると、友だちだろう黒い髪の男の子と話していた。

「はい、では白線に沿って並んでください。」

先生たちに案内され、いよいよスタートラインに立つ。やる気満々のエンちゃんと、十数年ぶりのピストル音で走り出した。

「セイ!遅いぞ!」

「いや、エンちゃんだから⁉︎」

エンちゃんに叱咤されながら網を潜り、パンを咥えて走る。前を走る親御さんは、数メートル先を走っていた。

その時。応援席の横を通り抜ける瞬間、聞こえたのは。

「ナルさん、エンさん!頑張れ〜‼︎」

沢山の歓声の中から聞こえたそれは、紛れもなくリアのもので、俺はエンちゃんの手を取って思い切り走り出す。

「ちょっ……!」

体勢を崩したエンちゃんを半分抱えながら、俺はもう全力で走った。リアにかっこ良いところを見せるために。

接戦を制し、ゴールテープを切ったところで応援席の方を見ると、リアが手を振ってくれた。隣の男の子がリアの肩をつついて、俺たちの方を指差す。

もちろん、リアの声は聞こえない。でも、リアはたしかに言っていたのだ。

ー私の、新しいパパとママ。

「エンちゃん……。」

「ああ。」

きっと、これからも家族でいられる。

止まない歓声が、俺たちを包んでいた。

 

6.本当と偽物

『ぼくのおねえちゃん』 なるみ しょう

 ぼくには、だいすきなおねえちゃんがいます。

 

このあいだ、ぼくはみんなでおはかまいりにいきました。だれのおはかなの?とおかさんにきくと、おねえちゃんの本とうのおとうさんのおはかだといいました。

おねえちゃんは、ぼくのおとうさんとおかあさんとは、ちがうおとうさんとおかあさんがいるんだよといいました。

ぼくは、おねえちゃんが本とうのおねえちゃんではないことが、かなしくてなきそうになりました。

ぼくはおねえちゃんに、うそをつかれていたとおもったからです。

 

でも、その日のよる、おねえちゃんは、ぼくにうそをついているみたいでいやだったから、本とうのことをぼくにしってほしかったといいました。

本とうのかぞくじゃないけれど、ぼくのおねえちゃんでいてもいいかと、ぼくにききました。

 

ぼくはかんがえました。本とうのかぞくってなんだろう。いっしょにくらしていなくてもちがつながっていたら、かぞくなのかなとおもいました。

でも、ずっといっしょにいたら、それもかぞくだとおもいました。

ぼくといっしょにあそんでくれて、ぼくのごはんをつくってくれて、ぼくのいもうとをむかえにいったり、ぼくといもうとがけんかをしたらしかってくれるのは、かぞくだとおもいます。

 

だから、おねえちゃんはぼくのおねえちゃんだよといいました。

おねえちゃんは、ありがとうといいました。

そして、ぼくをぎゅっとだきしめました。

 

おねえちゃん。

ぼくにとって、おねえちゃんはちがつながっていなくても、だいすきでだいじな本とうのおねえちゃんで、ぼくの本とうのかぞくです。

 

 

「新郎、成海正也。新婦、塩倉汐海。あなた方は、子女、天羽莉有を幸せにすることを誓いますか。」

きっと、血の繋がりを見れば私たちは偽物の家族だろう。でも、この瞬間から私たちは他人同士から、本当の家族になったんだ。

「「はい。」」