徒然なる日々

るくりあが小説を載せたり舞台の感想を書いたりするもの。小説は文織詩生様【http://celestial-923.hatenablog.com/about】の創作をお借りしています。

あの日に取り残された僕ら

―父さんの死んだ日はオランジュのローラン・フォートリエが死んで、エンハンブレのローラン・フォートリエが生まれた日になった。俺は今日も、異国の地で息を、している。

 

 それは、俺とリアが入軍して一年が経った頃。
「反乱分子がいないかどうか、調査してほしい。」
上司に言われた任務はつまり、諜報員として自国に潜入すること。
―同行者としてロルカ少尉が任に就く。
それは、つまり…

「ローランくん?」
前を歩くリアが振り向いた。エヴィノニアやその周辺でよく見る赤髪と緑目。オレンジがかっていないのはやはり、ここに生まれたからに他ならない。
「ん〜?」
この任務は俺が自国ではなく、この国に、この国の駒になることを証明することにつながる。その過程で裏切ることがないように付けられた監視、表向きには同行者、がリアだ。
「…心ここに在らずって感じ。」
俺の答えに不服そうなリアは尚も言い募る。再度そんなことはないと伝えれば渋々と言った風情でまた歩き出した。
きっと、リアには俺が裏切った時のことをこの任務とは別に言われているに違いない。

…いや、言われなくてもそうするだろうか。

彼女は、自分の大切なもののためなら鬼にもなれるから。それでも隣で普段通りに笑う彼女は相当な狸だろう。
「マルセルくん、待ちくたびれているかな?」
思考の海から突然引きずり出され、ハッと顔を上げる。
「急ごっか?」
俺の言葉に頷いて、また前を向いた彼女の三つ編みが揺れた。薄暗くなった通りで、重なるその姿に一人苦笑する。

真面目で、努力家で頭の固い俺の半身は、きっと俺を許しはしないだろう。
「絶対会いたくないなぁ…。」

ポツリと呟いた言葉は目前に迫った夜の闇に吸い込まれて行った。

 

―俺はきっと、少し浮かれていたんだ。もしかしたら、兄と会えて、もしかしたら、元に戻れるかもって。俺はもう、エンハンブレの人間なのに。

 

無事、エヴィノニアに潜入することに成功した俺たちは小さなアパートで暮らしていた。俺にとってはまだ親しみのあるこの国も、リアにとっては両親を失った国であり、祖国らしい。
ここでの生活も軌道に乗り始め、情報収集をしていたある日、夕飯の最中にポツリと言った。
「今日、赤髪の軍人を見たの。やっぱり、この国には普通にいるんだね。」
緑の瞳ではなかったけれど、と付け加える彼女の言葉に心臓が跳ね上がる。アランも母さんも深い赤の髪と瞳だったから。
「うん。珍しくはないかな。」
そうなんだとリアは相槌を打つと食事を再開する。そうして日々は過ぎていった。

 

情報もある程度集まってきたある日、後をつけられていると隣を歩くリアに伝えると分かっていたのか頷いた。
「ねぇ、ちょっと待って。」
こちらが立ち止まると後ろの気配も足を止める。どうやらすぐに襲ってくる、ということはないらしい。
「パンを買い忘れたの、先に帰っていて。」
「分かった、気をつけて。」
リアから袋を受け取って別々の方向に分かれる。

後ろの気配は俺の方について来た。狙いは俺なのか…?一見すれば女であるリアの方が狙いやすいだろうに。
路地を曲がり、速度を上げる。ピタリと一定の距離でついて来る気配は一つ。振り切るか。そう考えて角を曲がったところで真っ直ぐ進んだように見せかけてもう一度曲がって身を隠した。
追いついたその人影をそっと見やる。驚いたとしか言いようのない衝撃。
辺りを見回すのは俺の半身とも呼べる存在で、けれどその身に纏うのは俺とは反対の色。
「ローラン。」
名を呼ばれほんの少しだけ動揺する。あぁ、またセージさんに怒られるや。
「まだいるのだろう?そのままでいい、聞いてくれ。」
俺の半身、アランは瞳に憎しみの炎を浮かべた。
「俺はお前を許さない。次に会う時は…容赦しない。」

踵を返した足跡が遠ざかる。ぐしゃりと紙袋が手の中で音を立てた。


―あの日、ナルさんが教えてくれた戦士長のことをこっそりと調べていた。実際に会ったその人は、とても凛々しくて誉高かった。

 

エヴィノニアとシャンタビエールの国境。そこに俺たちは立っていた。

見えないその線を挟んで対立している俺たちの後ろには国境を監視している両国の兵士たち。緊張が辺りを支配していた。
「誉れ高きロルカの娘子!」
俺が向ける剣は国境の向こう、ギリギリに立った少女の喉元へと向ける。切っ先を意にも介さないように少女は視線だけを俺の瞳に合わせた。深みはやや違うものの同じ緑目が交差する。
俺は一つ息を吐いて言葉を紡いだ。
「こちらに生を受けていればこんなところに来ることもなかったろうに。このような形で会うこともな。」
少女はその瞳を強く、見つめ返した。そんなことを言うなとでも言うように。俺は憐れんだ目を向けていたのかもしれない。
「私の意志ですから。」
一陣の風が俺たちの髪を巻き上げる。それは宵闇の中で全く同じ色に見えたと後に兵士たちは語った。
「これからどうするおつもりですか、ガイラス卿。」
ここは国境。もし俺が剣で少女を切ればすぐに兵士は集められ、良い口実だとばかりに一気に攻め込んでくるだろう。だからこそ、少女は腰に下げられた銃を手に取ることさえしないのだ。
「さすが彼の国で指折りの軍人一家。やはり、噂通り流石の洞察力だな。お父上にも負けぬほどになるだろう。」
「お褒めに預かり光栄です。」
微笑んだ少女に俺は剣を収め、少女は一歩後ろに下がると一礼した。
「またお会いしましょう、〝ガイラルディア卿〟。いつか、正式な場で。」
本名を言われ、その収集能力の高さに内心、舌を巻く。確かに一度、話してみたら面白いかもしれない。
「…楽しみにしているとしよう。」

私の言葉に、少女はゆるりと微笑んで夜の闇に消えた。


―私の周りから温度が消えた日は、粉雪が舞っていた。あまりに絶対的だった存在を失ったことで、私には失うことがとても怖くなった。

 

あの日から彼の様子が変だ。姿が見えないから、探しにいくといつも、遠くを見つめている。そして瞳を揺らがせて、半笑いでため息をつく。今日は中庭の芝生の上に座り込んでいた。
悩みの種は分かっている。でも、私には兄弟がいないし、この国で生まれて、この国で育ってきたからきっと、理解することはできない。だから、声をかけることさえためらって、開いた口を閉じてしまう。

けれど、私にとって彼は大事な幼なじみで、仲間だから。
近づいていって、彼の後ろに座る。それでも気がつかないぐらい思考の海に沈んだ彼。

少し腹立ち紛れに後頭部を背中に打ち付けてから寄りかかった。うわっと声が聞こえて、こちらを見ようと首を回している気配を感じるけれど無視する。
「どうした?何かあったか?」
何かあったのはそっちじゃないと言いたいけれど、どうにもその後どうしたらいいのか、分からなくて別に、と返してしまった。
こういう時、口下手な自分が嫌になる。もっと気の利いた言葉とか、そうじゃなければせめて、素直に言えたらいいのに。
「…私、変わらずにこの国にいる。」
うん、と彼が頷く。この国で生きていくよりも、きっと彼の国なら楽に生きられただろう。ガイラス卿が言ったように、私は何も知らずに、普通の女性としての道を歩んでいただろう。
「だから、」
でも、この道を選んだことを後悔しているわけじゃない。ここで私は皆と一緒に戦えることが、皆が変わらずここにいてくれることが嬉しい。
「だから…ローランくんもずっとここにいてくれるよね?」
狡い聞き方だと、思った。彼は、もうあの国に戻ることはできないって、お兄さんと和解することはできないって分かっているのに、それでも、不安が拭えない。
「…当たり前じゃん。」
半身だけずらして、優しい彼はそう言ってくれた。

 

あの日から、気がつくとつい考えてしまっている。今日も中庭に座って空を見上げていた。自覚しているよりもずっと呆けていることが多いらしく、リアとマルセルによく心配される。
アランと会ってしまって、一方的に別れを突きつけられて、想像以上にショックを受けているらしい。
心の隅っこの方でアランなら分かってくれると、思っていたのかもしれない。いや、きっとそうでなくとも、話ぐらいは聞いてくれると思っていたんだ。
だから、あんな風に一方的に手を離されてとても悲しい。理解してもらえないことにほんの少しの苛立ちと悔しさが混ざってぐるぐると俺の中を回る。
次に会った時、アランと剣を交えることができるのかと、弱気な自分を嘲笑って息を吐いた。この国に来たこと全てを後悔しているわけではない。あの時、父さんに助けてもらって、そしてこの国に来たことが不幸だとも思わない。この国で俺は大切な仲間に出会えたことは事実だし、とても良くしてもらった。
だけど、それとこれとは別なのだ。家族が、 郷里が恋しくなったんだろう。
そんなことを考えていると背中に鈍い痛みがはしった。
「うわっ!」
そのまま体重をかけてくる誰かを見ようと首を回す。チラリと見えた赤にリアかと思った。
「どうした?何かあったか?」
俺の問いに別にと素っ気なく応えた。身じろぎする音が聞こえて、サラリと落ちた髪の毛が背中に当たる感触がして、くすぐったくなる。
「…私、変わらずこの国にいる。」
ほんの少しだけ、震えを含んだ声にうんと頷く。リアもきっと今回の潜入で思うことがあったんだろう。自分によく似た色を持つあの人に会ったと言っていたから。
「だから、」
言葉を探すように言葉が途切れ、沈黙があたりを支配する。
「だから…ローランくんもずっとここにいてくれるよね?」
その言葉にハッとする。リアはきっと敏感に感じ取っているのだろう。俺が自国に帰りたいと思ってしまったこと、アランに殺されることも悪くはないと考えていることを。
半身だけ彼女の身体からずらして、耳元にささやく。
「…当たり前じゃん。」

ぎゅっと胸が苦しくなった。どうかこの掠れてしまった声に気づかないでほしい。

 

 

―父さんを亡くして、僕は目標を失った。未だ髪色に囚われているこの国で、僕も雁字搦めになっていた。

 

あの日からふつふつと煮えたぎる怒りが抑えられない。あいつを見つけたのは本当に偶然だった。

夕方の巡回の最中、ふと目に留まった男女がいたのだ。女の方は明るい赤髪を三つ編みしているのに、男の方は髪を短く揃えていた。若いのに珍しいな、と見遣ったその横顔は見間違えようがなかった。
戻ってきていたのかと思った。だが、そんなはずはない。あいつは黒に降ったのだから。意を決して、僕はそっと二人の後をつけ始めた。
しばらくすると女の方が何かを言って別れた。荷物を預けて行ったところを見るに何か買い忘れでもあったのだろうか。一対一の状況に好都合だと思う。
気づかれてしまったのか速度を上げて曲がり角を曲がったその姿を追う。しかし、その姿はすでにそこにはなかった。この道のどこかの路地を曲がったのだろう。
「ローラン。」
名前を呼んでカマをかけてみる。やはりどこかにいるのだろう、何かの気配がした。
「まだいるんだろう?そのままでいい、聞いてくれ。」
僕の半身に対する怒りが抑えきれずに沸き起こる。なぜ父さんが死ななければいけなかったのだろう。そして、なぜお前は黒に降ってのうのうと生きているのだろう。ギリと奥歯を噛みしめる。
「俺はお前を許さない。次に会う時は…容赦しない。」
踵を返し、路地から遠ざかり、任務へと戻る。だが、怒りは収まらない。それどころかあの日から日に日に増していくようだった。
僕は許せないのだ。僕より能力の劣るあいつが、潜入任務を任されているということが。あいつがこの国に残っていたとしたら、僕よりも上にいけたという事実さえもが。
だからこそ、黒に降ったお前を殺して僕は父さんに一歩でも近づく。そのためにどんな犠牲をも厭わない。たとえ父さんと母さんが悲しむとしても。僕は…俺は、お前を。

 

生き急ぐのは賢明ではないと俺の上司は言った。俺の問いに答えることは簡単だが、俺に理解出来るのかと言った。そうかもしれない。
そうかもしれないが、今、俺は結果が欲しいのだ。過程は関係ない。早く結果を出さねば追いつかないと、そう思っているのだと思う。俺の目標とするあの人に、追いつけないのだ。
ローランと共にいた人物には大体のあたりがついた。恐らく軍人、そしてあの髪色。エヴィノニアからの移民の家系。となればロルカ家が挙げられるだろう。赤い影法師と呼ばれ、数年前に暗殺された男の娘が軍に入ったことも調べがついた。

女であっても実力があれば取り立てられるらしい彼の国で、ローランもやはり実力があるということなのだろうか。
本当に?本当にあいつは俺よりも努力したのだろうか?俺だって、ここまでずっと。


―殺すことさえ厭わない


―努力してきたはずなのに


目標となる人を失ってから、きっと俺の瞳は曇って何も見えなくなってしまったんだ。

 


―俺たちはきっとあの永く続いた戦争に、白と黒の英雄たちが戦いを繰り返した日々に取り残されたままなのかもなと、英雄によく似た彼は言った。

 

雨が降り続いていた。
バサリと濃い赤色の束が地面に落ち、ローランくんの顔に驚愕の色が広がる。
「父や母が悲しむから止めろと言っているならばナンセンスだ。俺は俺の意志でお前の前に立っている。」
一言も発さないローランくんを嘲るように笑って彼は言葉を続けた。
「残念な事に、父や母の悲しむ顔を思い浮かべて止められるほど俺は理性的でなくてな。個人的な、自分勝手な理由で貴様を殺めたい!」
パチパチと瞬きをしたローランくんの口がわななく。
「だ、だからって…髪を切ることは!」
「お前を背負ってやるという覚悟だ。」
長い髪が、彼の国では意味のあることだと知っていた。その髪を切るということは、つまり。
「俺は、お前という亡命者を倒した功績と、弟を殺したという罪を背負って上にいく。」
彼は徐に剣を構え直し、ローランくんを見つめた。剣の柄に手をやったまま動かないローランくんの姿に、私は腰の銃に手をやった。
「無粋な真似をするな、移民。」
彼の深い赤が私を射抜く。大切なものを失った濁った瞳だった。
「…私の大切な人をそう簡単に奪われるわけにはいかないんです。」
「いいんだ。」
一触即発の雰囲気を破るように発された言葉に視線を向ける。
「アランの本気は伝わった。…だから、俺も全力でいくよ。」
そういって彼は悲しそうに笑った。
人と人のつながりはどうしてこんなにももろいんだろう。どうして、血を分けた兄弟が、殺し合わなければいけないのだろう。二人が剣を交える音が響き渡る。

 

―空はまだ、二人を思って泣いていた。