徒然なる日々

るくりあが小説を載せたり舞台の感想を書いたりするもの。小説は文織詩生様【http://celestial-923.hatenablog.com/about】の創作をお借りしています。

現に常世の花が散る

―貴方が幸せだったかどうか、私には分からない。けれど、最期の貴方は満足そうだったから、きっと幸せだったのだと、私はそう思いたい。

 

 

今、思い出してみると、彼女は幼い頃から人とは違う雰囲気を纏っていたように思う。意志の強そうな瞳は黎明色に輝いていたし、女だからと口を閉ざすのではなく、はっきりとものを言う人だった。それでいて、弱くて脆くて、ふとした瞬間に儚い、そんな彼女のことを俺は好いていたのだと、護りたかったのだと思う。

 

彼女には父親がいなかった。病で死んだとも、どこかの貴族の落胤だとも言われていたがそんなことは子どもの俺たちには関係のないことだった。とにかく、彼女は負けん気も強く、男に交じって遊ぶ、所謂遊び仲間だったのだ。

「ナル。」

「ん?」

あの日は確か、学校で成績表が配られた日だったと記憶している。そう、彼女は優の数が俺より一つ少なかったと悔しがっていた。その帰り道のことだ。

「お前は大人になったら何になる?それだけ頭が良ければ大学にだって行けると村の人たちは言っているぞ。」

「俺は軍に入ろうと思ってる。自分の正義を貫きたいからな。」

そうか、と彼女は興味なさそうに相槌を打った。その様子に俺は少し拍子抜けして言った。

「そうかって…。シオはみんなみたいに他に道があるだろうとか言わないのかよ?」

「お前は他人に何か言われたところで自分の意思を曲げるやつじゃないだろう。それに…。」

言葉を止めた彼女は道の傍にある木蓮を見上げた。白い大きな花びらが風に舞っていた。

「もし、わるいことをしてもナルが捕まえてくれるというのは悪くないと思った。」

「…縁起でもないこと言うなよ。」

その時はそういうのが精一杯だった。もしかしたら、彼女はこの後のことを予感していたのかもしれない。

 

「シオ!」

「ナル…。」

彼女の足元には近所のガキ大将たちがうめき声を上げながら転がっていた。

「…何があった?」

彼女は今にも泣きだしそうな顔で語った。ナルミの悪口を言われたのだと。カッとなった瞬間、身体が勝手に動いてガキ大将たちを殴り飛ばしていたのだと。

これで訴えられでもしたらナルがまだ軍人ではないから、違う人に捕まるのだなと自嘲するように、しかし不安に歪んだ顔で笑った彼女を見た時、俺は彼女の手を掴んで歩き出していた。

「な、どこに行く!」

「お前は今日、ここにはいなかった。いいな?」

聡い彼女は俺がしようとしていることに気がついて駄目だと言った。しかし、彼女の言い分が大人に通じるとは思えない、あいつらも女のお前に殴られて気絶したなんて恥ずかしいだろうから何も言わないだろう、と言い聞かせれば最後には渋々頷いた。結果、俺は怒られはしたが喧嘩を吹っ掛けた方も悪かったということに落ち着いた。事件は解決し、日常が戻ってくると思っていた。

しかし、彼女はある日忽然と姿を消した。

彼女の母親に聞くと、彼女は帝都に働きに出たのだという。急に決まったことだからお別れを言う暇もなかったの、ごめんなさいねといった母親の瞳はとても一人娘を働きに出して悲しんでいるようには見えなかった。

それから俺は帝都の軍学校に入学し、彼女の行方を捜していた。そこで偶然、興味深い話を耳にした。この世界には稀人と呼ばれる特殊な力を持った人間がいて、国はその人々を一か所に集めているのだと。もしや、と思った。詳しく聞けば、そこの警備は軍が担っているという。

そして、軍人になった俺は国の稀人収容施設、常世の配属された。

 

 

私は稀人という人間なのだとその人は言った。特別な人間なのだと、そう言った。私は、特別な人間などではなくて良いと思った。こんな力などなければ、母さまは私を愛してくれたのではないかと、そう思うから。

 

常世での生活はつまらないものだ。この囲いの中だけの自由で、生活しなければならない。たまにその力を貸せと役人に連れて行かれることもあるが、それ以外はずっとここに居た。居なければ、ならなかった。

薄桃の雪が舞う。桜の大木の下が春の気に入りの場所だった。今日も今日とて1人夜桜を楽しんでいると後ろでパキリと枝の折れる音がした。振り返ると、桜色のカーテンの奥に居たのは。

「ナル…ミなのか?」

「シオクラ…?」

私たちは歩きのおぼつかない子どものように互いに近づいた。そして、私はその広い腕に身体を閉じ込められた。

「お、おい!」

「良かった…。ずっと、探していたんだ。」

とろけそうな暁に見つめられ、私は言葉に詰まった。

「…すまなかった。」

ここに来てからの、つまらない生活が変化した瞬間だった。

 

それから私たちは周りに気がつかれないように逢瀬を始めた。正直に言えば、稀人の私は常世に居さえすれば特に干渉されることもなかったが、彼の方が大変だった。だが、仕事の忙しい合間を縫って私の部屋を訪れる彼のことを密かに心待ちにしていた。

ドアがノックされる。私は読んでいた本を文机に置いて、ドアを開けた。

「よ。」

そこには彼が立っていた。そして土産物というと紙袋を渡してくれる。彼はいつもこうやってこっそり色々なものを持ってきてくれた。

「今日はなんだ?」

「近くの和菓子屋の水饅頭。美味いらしいぜ?」

なら緑茶にしようかと棚から茶葉を取り出すと彼がお湯を沸かし始めていた。

「お前は一応客人なんだから座っていてくれていいんだぞ?」

そう言うと彼は苦笑した。

「そう言ってこの間は吹きこぼしたし、その前は濃く出しすぎて渋かっただろ?」

前科を言われればやめろとは言えなかった。そんな私の様子に彼はまた笑うと頭を撫でてくる。

「なんだ?」

「いや、そんな気分だったから。」

私たちは会えないでいた十数年を取り戻すように、暇を見つけては一緒にいた。春は桜を見ながら、夏は木陰の下で、秋は紅葉を見て、冬は暖かい布団の中で、温もりを分け合いながら。たくさんの話をして、笑って、幸せな時を過ごした。夢のような、暖かくて愛おしい時間だったのだ。私にとって、そしてきっと彼にとっても。

今年も彼と再び合間見えた季節がやってくると寝台に身体を横たえながら思った。窓から見える蕾は今に花開きそうだ。あと幾度、彼とこの花を見ることができるだろうかと考えていた。

「シオ…?」

背後から腕が伸びて来て肩からずれていた布団を直していく。声に出ていただろうか。そう思いながらも平静を装って聞く。

「すまない、目が覚めてしまったか?」

「いや…。お前こそ寝られないのか?」

少し、考え事をしていただけだと返して再び瞳を閉じる。最期になって彼と出会えた、それだけで十分ではないか。彼を置いて行くことはもう決まっているけれど、せめてこの幸せをあと少しだけ共有していたいと、そう思うのは欲張りなのだろうか。

 

彼と一緒に過ごすようになって初めて任務の依頼が来た。“依頼”といいつつも断れるようなこともなく、強制的なものだ。彼に言えば彼もその日は任務だという。奇遇だなとお互いに思っていた。だが、私は気がつくべきだったのだ。彼が私の任務の同行人の1人に選ばれていたのだと言うことを。

私の能力は爆発的に戦闘能力が上げることで、より強い力を使うには自分の感情を昂らせることが必要だった。私といつも任務を共にする稀人の能力は幻想を見せること。頭で理解していてもあまりにリアルで惨たらしいその幻想に感情の箍が外れる。そして、国の思惑通りに人を殺す。人を殺した瞬間に幻想は崩れてその人本来の姿が見え、そしてまた悲しみの感情が湧き上がる。

「シオ!シオッ!」

あぁ、彼の声が聞こえる。私の方に近づかないように上官に抑えられていた。潤んで、悪くなった視界にも関わらず、私の身体は勝手に動き、目の前の人を倒す。見ないでくれ。私がお前の前で犯す罪を、これまで犯した罪を、どうか…。

 

あの任務以来、訪ねてくる彼を拒否した。いつも開け放っていたカーテンを閉め、暗くなった部屋に閉じこもる。

『やっぱり貴女は化物だったのね。何処へでも行ってちょうだい。私はあなたの瞳が1番嫌いよ。』

母さまの声が木霊する。彼には会いたくないのだ。彼が母さまと同じ目をしていたら、同じ言葉を投げかけてきたら、きっと耐えられない。

そして、2週間が経ったある日。私の部屋をノックする音が聞こえた。また彼だろうと居留守を決め込んでいると聞こえた声は予想と違っていた。

「シオクラ、いるんだろう?ナルミを匿おうとしても無駄だぞ。」

その言葉を理解すると同時に寝台から跳ね起き、ドアを勢いよく開けた。

「…どういうことだ…?」

私の部屋を訪ねてきた軍人は私の慌てた様子に片眉を跳ね上げた。

「なんだ、本当に知らないのか。邪魔したな。」

踵を返した男の腕を掴み再度問う。

「一体どういうことだ?」

「…ナルミが上官に暴行を加えたのさ。」

どうして…と呟いた私に男はハッと笑った。そしてほんの少しだけ顔を歪めると言葉を紡いだ。

「本当にあいつの言った通りだ。鋭いようで鈍いときた。」

お前の命が残り少ないことを知ったのさ。そして、ならば早く任務に連れて行かねばと言った上官を殴ったってわけ、と男は言った。頭を殴られたような衝撃が走る。何故、私なんかのために。

「…本来であれば異動か降格。しかし、稀人の秘密の一端を知った奴のことを生かしてはおけない、と。」

頷いた男にもう一度、とにかくここにナルミは来ていないと伝えドアを閉める。遠ざかる足音を聞き届け、締め切っていたカーテンを開ける。そして、任務で使う刀を引っ掴むと窓から外へ出ようとした。

「おい、シオ!」

突然掛けられた声に驚いて固まる。窓枠の下には彼がいたのだ。

「ここで何をしている⁉︎お前は追われているのだろう⁉︎」

早く上がれと彼を部屋に招き入れる。窓を閉めると彼は感極まったように私を力強く抱きしめた。その温かな腕にほんの少しだけ目頭が熱くなる。こんなにも、彼は私のことを大事に思ってくれているのかと思うと、もう、迷いはなかった。

「シオ、俺はこうなったことを後悔していない。一生追われることになったとしてもお前を守りたい。だから俺と一緒に「ナル。」

意を決したように言う彼の言葉を遮る。

「お前は生きてくれ。私は、この力を持って、お前に降り注ぐ火の粉を払うとしよう。」
何かを言おうとした彼の口を私のそれをもって塞ぐ。

「幸せになってくれ、ナルミ。」

 

どのぐらい時間が経っただろうか。彼は、無事に逃げることが出来ただろうか。着ていたシャツもズボンも真っ赤に染まっている。足がもつれて地面に伏した。ひらりひらりと薄桃が上から落ちてくる。

「ここは…。」

あの日と同じ桜の下か。影が私を覆う。ガチャリ銃を構える音がした。

 

一陣の風が花を散らした。

 

 

私は私の選択に後悔も迷いもない。あの時もそれが正しいと思った。それだけだ。時折、もっと他の選択肢があったのかとも思う。けれど、私たち稀人はどこかでやはり、馴染むことのない何かを持ってしまっているのだ。だから、きっとこれで良かったのだ。

 

 貴方と出会ったのは小高い丘の上にある桜の樹の下だった。追手を間一髪で撒き、桜の樹の上で辺りを見回していると、村へと続く一本道を貴方は急いたように上がってきていた。慌てて下に降りて隠れようとした時、貴方と目が合う。

「君は…。」

泣き出しそうに潤んでいた瞳が二、三瞬かれ不思議なものを見るような色が浮かぶ。

「名乗るほどの者ではありませんよ。」

そう言ってその場を立ち去ろうとするとパシリと腕を取られた。

「…なんですか?」

「なぜだろう…。君に、なにか似たものを感じるんだ。」

貴方の言葉の真意を詳しく聞こうとした時、何かの気配を感じた。こっちと言いつつ、近くの木立に隠れる。と、何人かの軍人たちが現れた。

「どこに行った?」

「さあ…。また逃げられたか…。」

チッと舌打ちしながら探すぞと村の方に向かう。その背中を見送ると貴方が口を開いた。

「君は追われているのか?」

私は頷く。と、彼は確信を持ったかのように頷いて私の手を取った。

「…君は稀人、じゃないか?」

その言葉に驚くと貴方は少し笑って言った。

「稀人の知り合いがいたんだ。少し、雰囲気が似ていたから、ね。」

 そう言って笑う貴方は生気のない目をしていた。なぜ生きなければならないのかと問いたくなるほどに。

「そうですか…。では、私はこれで。私のことは内密にしていただけると助かります。」

「手伝ってもいいかな?」

貴方からの申し出に私はまた驚いた。これまでも優しくしてくれる人がいなかったわけではない。けれど、貴方の言葉は本気だと伝わってきた。

「…とても嬉しい申し出ではありますが、貴方を巻き込むことになります。ですから、私は独りで逃げなければ。」

「俺は元軍人で、軍から追われて今ここで隠棲している。別に君が増えたところで問題はない。それに…。」

護りたいんだ、とそう言った貴方に私はつい頷いてしまった。ここで何としても別れるべきだったと今なら思う。けれど、その時貴方の瞳が生気を宿したように見えてしまったから。

「俺はナルミ。君は?」

「Lorca.」

私の発音が耳慣れないものだったからか、小首を傾げた貴方に私は笑う。

「アモウ、と呼んでください。ナルさん。」

そして私と貴方の短い、けれど私にとってかけがえのない、逃亡生活が始まった。

 

 「アモウはどうして追われているんだ?」

パチリパチリと爆ぜる焚き火の前でナルさんはそう問うた。私は少し考えて言う。

常世に入ることを拒んでいるからです。この国では能力が開花した稀人は常世に入って道具のように使われるでしょう?」

ナルさんは頷いた。きっと思い当たる節があったのだろう。

「私の父はこの国の人ではありません。だから、稀人がこんな扱いを受けるのはおかしいと思っていました。」

「それなら、家族で逃げていたんじゃないのか?」

私が頷くとナルさんは聞いてもいいのかな?と言った。それにも頷くと意を決したように口を開く。

「ご家族は…?」

「私のことを忘れて、きっと幸せに暮らしていると思いますよ。父の母国で。」

私の言葉にナルさんが固まる。それに少し笑って付け足した。

「手続きで居所がバレてしまいますから、私はこの国から出ることは難しいですけれど。」

そうかと頷いたナルさんに今度はナルさんの番ですよ、と言う。

「どうしてナルさんは隠棲していたんですか?」

 ナルさんはポツリポツリと語ってくれた。幼馴染の稀人、シオクラさんのことを。

「守りたかった。けれど、あいつは俺を、助けるために…。」

弱いなと零したナルさんの頭をそっと抱き寄せて抱える。

「そんなに自分を責めることを、シオクラさんは望んでいませんよ。」

腕の中のナルさんが顔を上げる。それに気がつかないふりをして空を見上げた。空に浮かぶ月は静謐な光を放っていた。

 

貴方と共に各地を転々とした日々はあっという間に過ぎた。貴方はいつも私を見ていた。いや、正確には私を通して彼女の姿を。

「…ナルさん?」

 「ん?」

ようやく焦点が合う。きっと貴方は無意識なのだろう。私を護ってくれた時、貴方の瞳にはふっと影がかかる。私ではない、誰かの影が。

「あの…私、行きたいところがあるんです。」

いつものように優しく聞いてくれるナルさんに私は答えを返した。その答えにナルさんの表情が固まる。

「…なぜ?」

「行ってからお話します。あ、そこで保護される気は全くありませんよ?」

私の言葉に少しは納得したのだろう。微妙な顔をしながらナルさんはそれでも頷いてくれた。ごめんなさい、けれど私は気がついてしまった。貴方は私に、そして私を通して見ている彼女に雁字搦めに囚われている。それを私は望んでいないのだ。きっと彼女だってそうだろう。だから分かって欲しい。これはきっと最良の選択であるはずだ。

 

 「何を言ってるんだ、アモウ。」

元軍人のナルさんの知識を活かし、監視の目をくぐり抜け、件の桜の下にたどり着いていた。

「…力を使わせてほしい、と言ったんです。私たちのことなど忘れるように。」

「アモウは…嫌になったか?こんな過去ばかり振り返る弱い男だから。」

そう言って自嘲する貴方に私は首を振った。

「いえ。けれど、ナルさんは私を見てシオクラさんを思い出していますよね?私を護ることで罪滅ぼしをしていますよね?」

私の問いにナルさんは押し黙る。私が貴方の心の弱い部分を突いたから。

「それでも俺は、お前を護りたい。シオのことを抜きにしても。」

あの日と同じ瞳を向けてくる。あぁ、そんな顔をされたら、私は。

「私も一緒にいたいですよ。」

私の言葉にナルさんの表情が明るくなる。

「なら…「でも!」

彼の言葉を遮る。私を護る中に貴方の幸せはあるの?私を一生護っていくことが本当に貴方の幸せなの?私は、私たちはもう貴方を苦しませたくない。

「私たち稀人とナルさんたちの時の流れは違うんです。私は…貴方を一生縛り付けたくない。」

夜風が吹いてくる。なんて別れにおあつらえ向きなのだろうか。

「貴方はこのままでは幸せになれない。だから…半世紀。半世紀経ったらきっと返しに来ましょう。」

貴方の額にそっと口づけを送る。

「どうか、私たちを忘れて幸せになって下さい。」

冷たい夜風が桜花を散らした。

 

 

ずっと何かを忘れている気がしていた。けれど、それが何であるのかちっとも思い出せなかった。

「あなた。」

記憶をなくした俺なんかを選んでくれた妻。

「父さん。」

「お父さん。」

可愛い子どもたち。

俺は真っ当に幸せな人生を送って来た。記憶をなくす前、俺は一体何をしていたんだろうか。桜を見ると胸の奥が疼くのはなぜだろうか。なくした記憶は戻らないまま、俺は床に就いていた。

「お夕飯の支度、してきますねぇ。」

日がな側にいてくれる妻が出て行く。開けていってくれた襖の奥、縁側の外に庭の桜が見える。もう、縁側に腰掛けることさえままならない。ぼんやりと眺めているとそこに、赤い髪が写り込んだ。

「お久しぶりですね。」

女性というよりは少し幼い、けれど美しい少女が話しかけてくる。

「約束通り返しに来ましたよ、ナルさん。」

どうしてと口を開く前に、部屋に上がり込んだ少女の指がとん、と額に触れた。

幼い日の隣、黎明色の瞳、桜の樹、身を引き裂かれるような悲しみ、赤、そして月。記憶の濁流の中、たぐり寄せた言葉を紡ぐ。

「シオ…。ア、モウ…?」

「えぇ。」

記憶とそう変わらない年恰好のアモウはにっこりと笑った。そして俺のことを起こすと、手を引いた。何故か身体が軽くて、縁側まで歩いて腰掛けることさえできた。

「何で、俺は、こんな大切なことを…。それに、アモウは…。」

アモウは少し寂しげに笑うとごめんなさいと謝った。俺の頭を自分の肩にもたれかからせるとすべてお話ししましょうと言った。

 

稀人は不思議な力持って生まれてくる。だが

その力は決して無尽蔵ではない。

「私たちの力の代償は命です。けれど、その消費のされ方は違います。」

シオは力を使わずとも普通の人間と同じように歳をとり、そして力を使えば寿命が縮む。つまり、力を使えば使うほど若く死ぬわけだ。

「私は、シオクラさんとは少し違います。始めて能力が発覚した時点で成長が止まって、力を使うとその人から奪った記憶の半分、歳をとるんです。だから、力を使わなければ…。」

「永遠に生きていけるというのか?」

多分、とアモウは頷いた。曰く、稀人は力を使って若くして死ぬことが多いから分からないと。

「…あの日。」

俺もきちんと知らなかった稀人の真実を語り終えたアモウがポツリと呟く。

「有無を言わせず、ナルさんの記憶を消してしまってごめんなさい。でも、私はナルさんに普通の幸せを手に入れて欲しかった。それはきっとシオさんも望んでいたことだと、思ったんです。」

話そうとして息だけが溢れた。とりあえず、目の前で固く握られている手をそっと握る。

「…いいんだ。もし、あのままだったら俺は、ずっと過去に囚われたままだっただろう。」

それをシオは望んでいないよな。そう告げるとアモウはポロリと涙をこぼした。

「…ありがとう。俺は幸せ者だ。」

 

 

「本当にこれで良かったんでしょうか…。」

「これで良かったんだ。見てみろ。」

縁側で眠る貴方は微笑んでいたから、きっと。

「…行きましょう、シオさん。」

「あぁ。」

吹いてきた風が花弁で2人の姿を覆い隠す。それが止んだとき、その姿はもう、どこにもなかった。