【聖杯戦争…?Ⅲ】
「ごめんね、マスター。言えない…言えないんだ。」
みっともなく声が震える。その時、温かいものが僕の頬に触れた。
「馬鹿ねぇ…。」
そう言って困ったように笑う彼女は記録に残る彼女とは違う人物なのだと思い知らされた。
「本当にごめんね。」
もう一度謝れば、いいのよと彼女は言った。
「貴方は信じるに足る人だもの。」
『セイバーはあたしに嘘つかないでしょ?』
僕をまっすぐに見つめる瞳が、また重なった。
*
胸ぐらを掴まれ、突き飛ばされた。瞳は怒りに燃え、普段は穏やかに下がる眉はつり上がっている。
「…どうして黙ってたの。」
僕に掴みかかろうとするテオを彼女が止める。
「ねぇ、僕は君からしたら、随分滑稽なことをしていただろうね?」
するりと彼女の手を抜け、僕に問いかける。冷たい視線を見つめ返す。
「…ごめんね、マスター。」
ジャボを掴んで起こされ、息がつまる。
「キャスターが居たのに何でアリシアはひどい目にあったの⁉︎」
やめてと彼女がまた呟く。テオの瞳は潤み、口元はわなわなと震える。
「どうして、どうして君が僕のサーヴァントなの⁉︎」
「やめてテオドール!!」
…本当に、どうしてだろうね。
*
「…いっつもあいつの手から大事なもんがすり抜けちまう。俺もあの時の判断が正しかったどうか分からねぇ。あいつの傷をまた増やしただけなんじゃねぇかと思うこともある。ただな…。」
俺はナルセのに視線を合わせる。暁のような瞳が俺を見ていた。
「大事なもんはちゃんと掴んでないとダメだ。自分じゃダメだと思った瞬間それはすり抜けていく。気付いた時には手遅れってわけさ。」
ま、おめぇなら大丈夫だろうよと重くなった空気を払うようにナルセの頭をくしゃくしゃと乱す。
「…俺、もう一度ちゃんと伝えるよ。」
「おう!」
すまない、ナルセ。これは俺のエゴでしかないのにな。
ずっと見てきたあいつが如何にして生きたか、死んだか、そしてまた生きているのか。
…どうしても重なっちまうんだ。お前があの子を失うこととあいつが失ったことが。
「アサシン。」
呼ばれて視線を向ける。
「…ありがとな。」
その言葉に救われた気がした。
*
マスターの前に姿を現わすとマスターが抱きついてきた。
「もう傷は大丈夫なんですの⁉︎」
あぁと頷くとマスターは大声を張り上げた。
「騎士道も良いですわ!でもこれは戦争なんですからそんなものドブに捨てるなり犬に食わせるなりして下さいませ!!」
目に涙を浮かべ、力一杯拳で殴られた胸元が痛い。震える小さな拳がゆっくりと開き、服を掴んだ。
「…貴方まで消えたら、私はどうしたら良いんですの…?」
迷える幼子のように呟かれたその言葉にハッとする。俺が今、1番守りたいものはなんだったのか。
「許してくれ、マスター。」
そっと目線の下にある頭を撫でると上目遣いでこちらを見たマスターの眉がきゅっと寄った。
「…明日のおやつはケーキを所望しますわ。」
その言葉に自然と笑いがこみ上げる。
「仰せのままに、マスター。」
マスターはツンと横を向く。ちらりとこちらを見上げると悪戯の成功した子どものように笑ったのだった。
*
「マスターはいつになったら僕のことを見てくれるんでしょうか…。」
口をついた言葉は僕1人きりの座に虚しく響く。マスターのサーヴァント嫌いは前回の聖杯戦争にあるらしい。
監視を続けていた僕にアサシンのサーヴァントが教えてくれた。奥さんが亡くなったことで取り乱したために、息子さんは遠い親戚に預けられたらしい。
『偵察の時以外出てくるな。』
その令呪に縛られた僕は長い時間をここで過ごしている。
自分の顔に走る傷をなぞる。この傷はいつのだっただろうか。あの頃もこんなことがあったような気がする。
「僕のことを認めて欲しいなんて、おこがましいことなんでしょうか。」
ごめんなさい、マスター。こんな僕をどうか許して下さい。
*
「誰がそんなこと決めたんですか。」
自分で思っていた以上に冷たい声が出た。黎明の空のような瞳が驚いたように固まる。
「だ、だが私が母様を不幸にしたことは間違いないのだ。人を、人を不幸にしてしまった私に、幸せになる権利など…!」
「それなら私も幸せになれないはずです。」
どうか気がついて欲しいと思う。マスターが人を不幸にしてるんじゃない。マスターが幸せから逃げているだけなんだと。
「私の両親は幼い私を庇って死にました。父はとても強かった。私が居なければ2人はもっと長く生きていたでしょう。」
それでもと言葉を続ける。
「私は幸せに生きました。両親を殺したのに、です。」
迷い子のように瞳を揺らすマスターの手をそっと握る。
「幸せは享受するものです。そこら辺にたくさん転がっていて、それを幸せと認めるか認めないかだけなんですよ。」
微笑みかければマスターは硬い表情で頷く。
「じゃあナルセさんにちゃんと伝えましょう!」
さぁさぁと背中を押すとマスターはそ、それは話が違う!と顔を真っ赤にして叫んだ。
幸せになってはいけない人なんて、この世にはきっと居ないんですよ、マスター。
*
「…マスター。」
俺が呼ぶと男は疲れた顔でこちらを見遣った。
「すまない。」
そう言うとヘラリと笑って言う。
「承知していたことだ。私はお前が望んでしたことでないことは分かっている。」
そう、マスターは俺の話を全て信じてくれた。前回の戦争の結果を知りながら。
「早く彼らの誤解が解けると良いな。」
にっこりと笑うその顔はやはり疲労が蓄積されて、やつれている。自分のせいだと分かっていてもどうしようもないのだ。
「…そうだな。」
いつもの口癖を言う気になれなかったのは、本当に俺自身がそれを望んでいたからか。それとも、そんなことはないことを痛いほどに分かっているからか。
「珍しいな、お前が同意するとは。」
だがその方が良いぞとマスターは笑う。
「極東で言う、言霊というやつだ!」
呑気なマスターに1つため息を吐く。
「そんなものはない。」