01.生きたいと願うのはいつの日か
母さんは父さんとの結婚を決めた時、それはそれは反対を受けたのだと言う。あの赤髪一族と結婚しては幸せになれないと。
姉さんが生まれた時、とても喜ばれたと言う。でも、俺の時は違った。いや、一応は喜んでくれたらしい。ただ姉さんの時ほどではなかった。とは母さんの生家近くに住む話好きのおばさんの弁だ。
幼心に辛かった。俺は生まれて来なければよかなったのか。そう言った俺を父さんは悲しそうに怒った。母さんは泣いた。
程なくしていじめが始まった。せめて家族には悟られないようにしようと思った。これ以上俺のせいで家族に不調和を持ち込みたくないと思った。
でも、少し、ほんの少しだけ死を願ってしまった。そんな日々から救い出してくれたのは、生きようと思わせてくれたのは、彼の人だった。
俺と同じ赤を背負って生きる人。
02.泣きません、あなたが悲しむから
『父さんはな、リアの笑った顔が大好きなんだぞ。だからリアには笑っていてほしいんだ。』
『お母さんも、もちろんお父さんもずっとリアと一緒にいるよ。お母さんたちが死んでしまっても、オバケになってリアを守ってあげる。』
冷たい部屋に1人。いや、呼吸をしているのは1人。頭の中はぐちゃぐちゃで、でも何故だか泣いてはいけないと思った。2人は死んだんじゃない、オバケになっただけ。私には見えないけれど、きっと2人は一緒に居てくれて…。
目が潤む。喉が引きつる。嗚咽が溢れそうになるのを必死で止める。
本で読んだ。死んじゃった人のことを心配させたり、悲しませたりすると“成仏”できないんだって。成仏できないっていうのは、天国に行けないことなんだって。だから、泣かないよ。お父さんとお母さんに悲しい思いをさせたくないから。
03.踏み締めたもの、目を逸らしたもの、見えなかったもの
ザリとブーツの下で砂利が鳴った。風に青緑のマントがはためく。歩いていればそこかしこから耳障りな声が聞こえてくる。
「おい、あいつが噂のロルカ家のやつか…?」
「そうそう。兄貴は相当優秀らしいな。あいつはどうだか。」
「いや、あいつも相当できるらしい。ま、なんていったって祖先は野蛮な戦闘民族だもんな。」
高らかな笑い声にもう一度ザリと砂利を踏み締めた。今に見ていろと怒りに震えた肩に手がかかった。
「セージ、夕飯行こうぜ。」
「おう。」
朗らかに話しかけてくる鳶色にホッと一息つく。絡まれるのは面倒だ。
「フィデリオ、また怪我したのかよ?気をつけろよな。」
頰に赤黒い痣を作ったフィデリオが照れ臭そうに笑う。
「そうなんだよ〜、ほら俺って鈍臭いだろ?気をつけても怪我ばっかり。」
そう言って笑うこいつに思う。
俺と仲良くなんてしなければこんな所にいないんじゃないかと。こいつの温かい笑顔はこんな所でなく日の当たる場所が似合ってる。
「本当、気をつけてくれよ…。」
居なくなられたら困るんだ。それなら早く辞めさせるべきだと、その方がこいつのためだと警鐘を鳴らす俺から目を逸らす。自分のここでの安寧のために。
「セージ!」
赤が舞う。後ろでフィデリオが息を飲む音が聞こえた。目の前の奴に切っ先を突き入れる。
「フィデリオ、無事か?」
後ろにいたフィデリオが頷いたことを確認して前を向く。
あいつが俺のせいでと呟いたのは見えなかった。ただ、なんとなく、あいつが俺から離れていくことは予感していた。
04.探し求めてた、生きるための痛み
生きることは常に頭と苦痛が伴うものだと考えていた。それが赤髪に生まれた俺にとって当たり前だったからだ。
「ねぇ、ディルウィードくん“痛い”ってどんな感じ?」
父さんに連れられて訪れた家には同い年の人形みたいな女の子が居た。俺は彼女の遊び相手というわけだ。
「痛いって…君だって感じるだろ?一緒だと思うけど…。」
「私ね、痛みを感じられないの。」
女の子は言う。曰く、痛みがないことは危ないことで、だから普通に遊ぶこともできないと。通りで、遊ぶと言ってお茶をしているわけだ。
「だからね、痛いってことを理解できれば感じることができるかなって。そうしたら私も皆と遊べるじゃない?」
ねぇ、だから教えてと深窓の令嬢は言った。
“生きること”とはとても言えなかった。
05.その傷痕から花が咲くまで
「ルクリアちゃん、それどうしたの?」
“それ”とは左足のやけど痕。薄桃の他の皮膚とは違うそこを靴下を履くことで隠した。
「…小さい頃のやけど。覚えて居ないけれど。」
痛そうねとその子は言った。正直、覚えていないからどうとも言えずに曖昧に笑ってごまかす。私はこのやけど痕が嫌いだった。
「ただいま。」
ソファでクロスステッチをしていたお母さんが顔を上げる。
「おかえり、リア。そうだ、あなたに似合いそうな靴を買ってきたのよ。」
そう言ってお母さんが見せてくれたのは、薄桃色の靴。少しだけヒールが付いていて大人っぽい印象だ。
「…ありがとう。」
ワンピースに素足で履けそうなそのデザインは左足のやけど痕が目立ちそうだ。靴下を履けば良いのだけれど。
「気に入らなかった?」
お母さんの言葉に首を振る。気に入らなくない。とっても可愛い。けど…
「あのね、靴下履かないと痕が見えちゃうなって…。」
その言葉にちょっと考えたお母さんは、こっちにおいでと手招いた。靴下を脱がせて痕を撫でた。
「ここね、最初はあまり大きな痕じゃなかったのよ。覚えてる?」
言われてみれば、料理中のお母さんにじゃれついていた時に跳ねた油でのやけどらしいのでそんなに大きくはなかったのだろう。
でも、今はプラムぐらいの大きさだ。
「そうしたらね、だんだんお花が咲いたのよ。ね?お花に見えない?」
確かに放射状に広がるそれは歪な花に見えなくもない。コクリと頷く。
「だから、気にしなくていいのよ。リアの足には可愛いお花が咲いてるんだから。」
帰って来たお父さんにそう見えるかと聞けば抱き上げられて頬ずりまでされて肯定された。今日も私の左足には花が咲いている。
06.終りの日にはきっと君と手を繋ぐ
“戦場で死にたい”なんてよくもまぁ豪語したものだと今になって思う。あくまで理想であったと言うしかない。なぜかと言うと、今まさに終りの日を迎えているからだ。
振り返ると梓が後ろで右腹を刺されていた。 犯人は後ろに立つ男。腰の膨らみを見るに拳銃も持っている。
リアの手を取って走る。大丈夫、そう簡単に拳銃が当たりっこない。そう言い聞かせて、大通りを抜けて路地裏まで駆け抜ける。ふと後ろを見れば男がこちらにピタリと焦点を合わせていた。
当たる。何度も撃ってきた俺にはそんな確信があった。
リアの手を引き抱き抱えて地面へと伏す。右脇腹と左足に被弾する。ただ、熱いと感じただけだった。
「お父さん、お父さん…。」
リアが泣きじゃくっているのが薄い膜がかかっているように聞こえる。どうやら男は生死も確かめずに去って行ったらしい。
「…大丈夫、大丈夫だからな。」
そう言いながらここまでかとぼんやり思う。あとは一緒に潜入している奴がどうにかしてくれるだろう。
「死んじゃったら嫌だ…お父さんっ…!」
うまく動かない手でリアの頭を撫でて、手を握りしめる。
「大丈夫…一緒に居てやるからな…。」
終りを迎えるその一瞬まで、ずっと。
07.全てが無に帰るその日まで
リアが軍学校に入学することになった。今日はおじさんたちの所にそれを報告しに行くんだそうで、何故か俺が同行することになった。
「リア、どうして俺なんだ?」
大分背が伸び、俺との目線も近くなったリアが顔を上げる。
「ディルお兄ちゃんも昇級したでしょ?お父さんに報告するかなって思って。」
まぁ確かにその内行こうとは思っていたがまさか読まれていたとはつゆにも思っていなかった。照れを苦笑いでごまかす。俺の様子にリアはしたり顔だ。
「その顔、おじさんにそっくりだぞ。」
「え。」
そう言ってやればショックを受けたらしい。いつもの少し感情の読めない顔に戻ってしまった。
墓前に立つとリアは手を合わせる。多分色々報告しているのだろう。俺もそれに習う。しばらくして俺が目を開けるとリアはまだそのままだった。
隣で待っているとふと頭をよぎるのはある哲学者の言葉。死とは無であり、また誕生も無である。何もないところから生まれ、何もなくなる。そうして世界が回っているのだとしたら、セージ・ロルカもアズサ・ロルカも無になっていて、墓前での報告は何の意味もないのではないのか、と。
「ディルお兄ちゃん、お待たせ。帰ろう。」
その声に思考から引き戻される。
「じゃあ帰ろうか。」
またねとリアは墓に手を振った。それもやはり無意味だとしたら…いや。
何にせよいつかは自分も、本当に無に帰るのかがわかる日が来るのだ。だからそれまでは自分の都合の良いように解釈したっていいじゃないか。
「じゃあまた、おじさん、おばさん。」
08.逝き泥み、生き惑う
私は人が逝ってしまうことにすっかり慣れてしまっていた。いや、簡単に逝ってしまうことを理解してしまったのだろうか。人はどんなに強い人も呆気なく、そして突然に逝ってしまうものなのだと私はその時すでに知っていたから。
突然の訃報にその子は堪えきれずに涙を零す。皆どんな言葉をかけたら良いのか分からないのだろう。そっとその子の肩を叩いて部屋を出て行った。私もそれに倣って部屋を出て行こうとすると、ねえと引き止められた。
「これから僕はどうすれば良いと思う…?」
「…何で私に聞くの。」
正直困る。おじさんとかお父さんならともかく私にこういう事は向いていない。
「…君は…孤児だって、聞いたから。」
涙で濡れた目を向けられる。本当に困った。顔に出ていたのだろうか、ぐいと涙を拭ったその子は椅子に座ると私を呼ぶ。何となく気まずくなりながら空いている椅子に座る。
「僕の家、君の家みたいに軍人家系じゃないんだ。」
その子の話によると軍人で多忙だった父親を捨て母親は家を出ていったのだという。母親にはついて来てほしいと言われたが父親のような軍人になりたかったために断ったのだそうだ。だがその父親が亡くなった、と。
「…僕は急に考えちゃったんだ。本当にこれが僕のやりたいことなのかなって。…そしたら君を呼び止めてた。」
ごめんね、仲良くもないのにとその子は謝る。何か言わなきゃと思って口を開くと思いもしない言葉が出た。
「悩んで決めればいい。」
ポカンとその子はこちらを見る。
「その…貴方が悩んで決めたことなら貴方のお父さんは頷いてくれると思う。」
伝わっただろうか、私も同じように悩んだ。本当にお父さんは自分を軍人にしたくなかったとしたらって。でも、そんなの悩んだって仕方がない。私たちは生きているから。絶対に悩んで、戸惑って生きていくんだ。
「そう…だよね。僕の人生だし、人に言われて決めることでもないよね。」
ありがとうとその子は目の周りを赤くしていた。きっと、私たちはずっと、様々なことに惑って生きていくのだ。それが人生なのかもしれない。
09.Wars never decide who's right, only who's left.
死後の世界があるとしたらどういうものなのかと思っていた。実際に来てみれば案外面白いところだ。しがらみもなくいろんな奴と話せる。例えばそう、俺の隣にいる仏頂面したこいつとか。
「戦争とは虚しいものだな。」
珍しいとちらりと見るも反応は求めていないらしくじっと下界を見つめている。
「珍しいな、ミランがそういうこと言うの。」
普段は俺ばっかりが話しかけているのだ。…あれ、俺って寂しい奴…?
「別に、ふと思っただけだ。特にここでこうやって客観的に見ていると感じる。」
「Wars never decide who's right, only who's left.(争いで決まるのは誰が正しいかじゃない、誰が生き残るかだけだ。)」
ミランが弾かれたようにこちらを見る。そりゃそうか、母国語を俺が話したんだから。
「…そうかもしれん。貴様のその理論だと俺たちは敗者だと言うことになるがな。」
そりゃそうだろう。だって…
「“命あっての物種”だろ?」
そうだなとミランが頷く。
「While there is life, there is hope.(生きている限り希望がある)か。」
「そ。だから信じてみようぜ、残して来たやつらのこと。」
戦争の行く末は、今日もまだ見えない。
10.そして今日も慟哭の空の下
赤髪であること。それはこの国において最も生きにくい要素と言っても過言ではないかもしれない。
ディル坊は家族で自分だけが赤髪であることに悩んでいた。自分が赤髪であることで家族に何か不利益が起こらないかと気にしていたのだ。そして、自分に自信が持てなかったのだ。赤髪であることは恥ずべきことなのではないか、と。
リアは一見すれば赤髪に悩んではいないように見える。けれど、学校で、軍で、街で赤髪は奇怪なものを見るような視線を浴びることがある。ナルセと一緒にいることでナルセまで変なやつだと思われないか、評判が悪くならないかと考える日もあった。
だからこそ俺はお前たちに、この国で生きる赤髪の奴らに言おう。悲しいときは泣けばいい、怒ればいい、叫べばいい。俺たちにはその権利がある。何もおかしなことじゃない。
この国の空にはまだ、赤髪たちの声なき慟哭が響き渡っている。我が娘、我が甥よ。強くあれ、強く生きろ。
徒し世十題
【お題配布元】
塵が積もって塵の山 http://lonelylion.nobody.jp/