「ただ〜いま〜。」
「おかえり。もうすぐ夕飯だから手を洗っておいで。」
そう言った兄貴の孔雀色の瞳がじっと俺のことを見つめる。
「な、なんだよ兄貴。」
居心地が悪くなってついぶっきらぼうに問うと兄貴は困った顔をして笑った。
「セージ、また怪我したでしょ?ほら、消毒するからこっちおいで。」
俺が傷をこさえて帰ってくるのは日常だった。その原因は俺の頭の色にあるわけで、心配する両親にバレないように振舞っているのだが、何故か些細な怪我もこの6つ上の兄にはバレてしまうのだ。
「 何でいっつも兄貴にはバレるんだ…?」
傷を消毒してもらいながらぼやくと兄貴は得意げに笑う。
「セージのことならお見通しだよ。見つかったら母さんに怒られるのに、今日は手の甲に怪我したからポケットから手をださなかっただろ?
この前は殴られたところに泥が着いたから服を洗ってきて湿ったままで、その前は…むぐっ。」
「もーいい。兄貴の観察眼には恐れ入ったから。」
兄貴の口を手で塞ぎ、口を尖らせて言うと、面白そうにくすくす笑った。
「フェンネル、セージ!ご飯よ〜。」
母親の声に応えると兄貴も治療を終えたらしく行こうかと言う。
「兄貴。」
ん?と立ち上がりかけたのを戻して俺に視線を合わせる。
「内緒だかんな。」
「うん。」
もうそんなに子どもじゃないのに手を繋ぐ兄貴にこっちが気恥ずかしくなる。でも、俺とは違う亜麻色の髪を持つ兄貴は俺の自慢の兄なのだった。
授業も終わり、帰路に着くとすぐに目の前にいくつかの人影が立ちふさがった。
無視してその脇を通り過ぎようとすると、ガッと肩を掴まれ近くの塀へと押し付けられた。
「お前さ、いつまでその頭してんだよ。非国民も良いとこだぜ?」
ニヤニヤしながらこちらを見てくる奴らは入学以来何かと絡んでくる軍人の子どもだ。特にリーダー格である 目の前の男はエンハンブレ軍の中でもロルカ家を毛嫌いしている軍人一家の子で、自分が正義だと疑わない。
「…話はそれだけか?」
男を睨めつけ、肩に置かれた手を払う。そのまま歩き出すと側にいたそいつのお仲間に両側から肩を組まれる。
「そんな釣れないこと言うなよ。な?」
面倒だからぶん殴ってやろうか…なんて考えたけれど、下校時間だ。周りには遠巻きに見ている奴も少なくない。学校側に言われたら余計に面倒だ。
「分かったよ。」
俺は大人しくそいつらについて行くことにした。
「今日は早く終わったし、帰りにセージに会ったりするかなぁ。」
学校の門をくぐったところでセージと同じぐらいの男の子がこちらに走ってきた。
「セ、セージの兄ちゃんですか⁉︎」
鳶色の髪をぐっしょりと汗で濡らしたその子はそう息巻いた。
「あぁ、薬屋の。そうだよ。何か用かな?」
「あの、セージがバルヒェットの奴らに連れて行かれました!その、お、俺…」
勢いが無くなり申し訳なさそうになるその子の頭をくしゃりと撫でる。
「いいんだよ。伝えてくれてありがとう。もし良かったらセージと仲良くしてやってね。」
じゃあ君も気をつけて帰るんだよと言って持っていた鞄を小脇に抱える。
「まったく…バルヒェットの奴、父さんの方が出世したからって当たり強くなったなぁ。まさか息子にまでそんなこと言ってると思わなかったよ。」
走りながらついボヤいてしまう。ロルカ家は今やエンハンブレ指折りの軍人一家だけれど、祖先はエヴィノニアンだ。まして父やセージは赤髪。更に風当たりも強い。
気をつけてあげていたんだけどな…と歩を進めながら思った。
連れて行かれたのは学校から少し離れたところにある寂れた空き地だった。
周りには家もまばらで人通りも少ない。
「で、話は何だよ。」
「よくそんな口がきけるな赤髪のくせに。大体お前、いつも1人だし、こんな時も誰も助けてくれないだろ?何でか知ってるか?」
…そんなこと分かりすぎるほど分かってる。それは俺が…。
「赤髪だからだよ。だからさ、俺らが助けてやるよ。」
そう言ってそいつが取り出したのは剃刀。咄嗟に逃げようとすると、傍に居た奴らに抑え込まれる。必死でもがくが上から押さえつけられれば体格の良い奴らは動かせない。
「おいおい、暴れるなよ。」
剃刀が近づいた時、俺は渾身の力で押さえてくる奴らを振り払おうとした。
「うわっ!」
「…っ!」
頬が熱い。切られたのだと理解する。とその時聞き慣れた声が聞こえた。
「セージ!!」
逃げろ!と一目散に逃げて行く奴らを兄貴は鋭い目をして見送る。俺に見せる顔とは違う冷たい表情で何かを呟いた。
「兄貴…。」
そっと声をかけるとバッとこちらを振り向き眉を八の字にしてこちらに駆け寄ってくる。
「大丈夫⁉︎ほら、これで押さえてて。」
俺が思っていたよりも血が出ていたらしく、頬をハンカチで拭われ、それで頬に押さえられる。俺がハンカチを受け取ったことを見ると学校鞄から軟膏を取り出した。
「ほら、見せてごらん。」
軟膏を塗ると、綺麗に切れてるから大丈夫だと思うれどまだ押さえておいてと言われる。
「大丈夫、大したことない。」
心配そうな兄貴にそう言うとまたあの冷えきった顔をする。それも一瞬のことで、そうかと悲しげに笑うと俺の手を取って帰路に着いた。
歩き出してしばらくした時、兄貴は言った。
「セージ、確かに僕らの家はあいつらから見れば“悪”であいつらは“正義”なのかもしれない。いつだってこの世は多数が正義で少数が悪にならざるを得ないからね。」
この国に赤髪は少ない。もう少し前までは祖国に戻った人も居たらしい。赤髪の家に生まれたというだけで周りと何ら変わりない髪色の兄貴も肩身の狭い思いをしている。
「でもね、セージ。」
手を少し強く握られ、顔をあげると兄貴は俺の目をまっすぐ見て言った。
「仕方がないって諦めたらだめだ。それはおかしい、間違っているって言わないとそれはいつまでも“正義”であり続けるんだよ。」
この世のどこに存在しないとしても、万人が幸せになれる正義を求めていかないとね。
そう兄貴は言ったのだった。
あの日以来変わったことが2つある。
「でさ、姉ちゃんが作った料理が本当壊滅的で。親なんかこれじゃあ嫁に行けないって悲しんでるわけ。」
1つ目。一緒に学校から帰る友達と呼べる奴ができた。フィデリオといって薬屋の次男で上に兄と姉がいるらしい。
「そりゃ大変だな…。俺の兄貴で良ければ教えてくれると思うぜ?頼もうか?」
本当か!と言ってくるフィデリオに頷きながら前を向くとあいつらが居た。
が、俺の姿を見た瞬間ザッと顔を青ざめさせて逃げて行った。
「…俺あいつらに何かしたか?」
2つ目。これまでヒルのようにしつこかったあいつらが寄ってこなくなった。
「さぁ?あ、お前の兄ちゃんじゃないか?俺はお前と友達になってやってなって優しく言われたけど、お前が連れて行かれたって話した時はやばかったもんな。」
うんうんと頷くフィデリオに俺は頭を抱えた。
じゃーな、また明日!と手を振るフィデリオにふり返し家へと続く道を歩く。
しばらく歩いたところでくるりと後ろを振り向く。
「居るんだろ、兄貴。」
「…何でバレたのかなぁ?」
曲がり角からひょっこり顔を出したのはやっぱり兄貴だった。
「カマかけただけ。」
追いついてきた兄貴が隣に並んで歩き出す。
「フィデリオくんとは仲良くなれた?」
「おう。あ、そうだフィデリオの姉ちゃんに料理教えてやってくれよ。壊滅的なんだってさ。」
可愛い弟の頼みだからね、もちろん!などとほざいたのは無視する。
「色々ありがとな。」
俺がそう言うと兄貴は嬉しそうに笑った。
この後、あの手この手で俺の周り、兄貴に言わせれば敵、の奴らを近づけさせないようにしていたのが露呈して、俺がそこまで弱くないと憤慨したことがあったがそれはまた別の話。