徒然なる日々

るくりあが小説を載せたり舞台の感想を書いたりするもの。小説は文織詩生様【http://celestial-923.hatenablog.com/about】の創作をお借りしています。

書きたいところを書きたいだけ書く その6

Outfoxing the foxes game

 

ツイてないなと思った。流された先は敵国で、なおかつ俺を見つけたのは、エンハンブレでも指折りの軍人一族ロルカの人間だった。

男のお陰で軍部に潜り込むまでは良かったが、飄々として、実力の読めない男を信用することはできなかった。

 

 

 「ナルセ。」

呼び止められて振り返るとそこには件の男。

「なんすか?」

「ちょっと来い、任務だ。」

くるりと背を向けひらひらと手を振る。この国では歓迎されない明るい赤髪に孔雀色の瞳を持つ男の名はセージ・ロルカ。妻と娘の3人暮らしで、参謀部のフェンネルロルカとは兄弟。その髪色を生かして敵国に潜入したこともある所謂エリート。今も髪は伸ばしているらしい。

と、いうのが俺が男に関して俺がこれまで集めた情報だった。妻子持ち、兄弟がいるということ以外の個人情報は流していないのか、それとも警戒されているのか。何にせよめぼしい情報は手に入らなかった。

「じゃあ任務内容を説明するぞ〜。一度しか言わないから耳の穴かっぽじってよく聞けよ。」

 任務内容の書かれているらしい紙を広げると俺に渡して、読み出した。もちろん口から出ているのはでまかせだ。もしもの時のことを考えて本当の内容は紙にのみ書かれている。読み終わるとサッと取り上げられ、紙は暖炉に入れて燃やされた。これだけで詳細を覚えろって言うんだから無理を言う。

「ちゃんと身の回りの整理はしとけよな。」

任務の前には言われることだが、俺には整理するものも特にない。この男にはあるのかもしれないが。

「失礼します。」

一礼して退出しようとすると、男がもう一つ、と言った。

「諜報は遠足と一緒、帰ってくるまでが仕事だ。最後まで気ィ抜くなよ?」

後ろ手にひらひらと手を振る男はやはり、本心が読めなかった。

 

 

「それで?」

「それでってアンリお前…。調べるこっちの身にもなれよな…。」

バサリと置いた資料を琥珀が撫ぜる。するとこっちにそれを突き返してきた。

「なるほど、ね。あの国のことに関しては調べるのもお手の物ってわけか。」

「そりゃ任務に行ってたんだ。ある程度信用できる情報網ぐらいつくるさ。で、どうすんだ、軍曹?」

男は君はどう思うんだい?と質問を質問で返してくる。それに少し笑って言葉を紡いだ。

「そりゃあ使えるのかって意味か?それとも、こっちに寝返るのかって?」

「両方だよ。」

男はにっこりと笑う。琥珀色の瞳は笑っちゃあいない。いつからこいつはこんな笑い方を覚えたんだか。

「実力に関して言えばまだまだ。だが伸びしろはある。この国にいれば、な。寝返るのかって話に関しては…。」

もう一つの資料を手渡す。それを読んだ男の頭に言葉を投げる。

「元々軍に対する忠誠心のひずみはあるだろう。その事実をあいつは知らないだろうが、それを知ればもっと。あと一手ありゃあ陥ちるさ。」

「うん。じゃあこの件は君に任せるよ、セージ。拾ってきた者の責任ってね。」

ニヤリと笑った男に俺も笑みを返す。

「仰せのままに。」

今回の任務でトンズラしようったってそうは問屋がおろさないぜ?あいつはあいつでこっちを騙してるつもりらしいが、こっちはこっちでやらせてもらう。成海正也、お前の正義は白か、黒か?

 

Orthrus


グラフィアスには双頭の犬がが居る。


「…らしいが、始都の人間に使われる気分ってのはどうなんだろうな。」

「あぁ、グラフィアスのこと?あの部隊は、そもそも星都の人間はロルカの弟の方だけだろ。ロルカだし、慣れっこなんじゃないか?」

それもそうか、と男は手元のリストを眺めながら、目の前の本棚から抜き取っていく。

「でもまぁ、これからどうなるかねぇ、あの部隊。ほら、始都の件もあるしよ。」

さぁねともう一人は興味なさそうに返した。

「それより僕は、グラフィアスに関して違う話の方が興味がある。」

男はその言葉に片眉をあげる。興味を持ったらしいその仕草にもう一人の男はクスリと笑った。

「なんでもその始都の件の時に、ロルカが神格化を止めたとか。」

「まじかよ⁉︎あいつ寵児でもなんでもなかったよな⁉︎」

だと思うんだけどねぇ、と呑気に返す男の方をもう一人が叩く。そして耳元で眉をひそめてこう言った。

「それなら…エヴィノニアの血に関係が…?」

 


 


「と、いう噂が。」

その言葉を聞いた男はクツクツと忍び笑いをこぼした。

「いや、失礼。面白いね。出処は図書館員かい?」

「えぇ。図書館員といえど諜報員ですから、現地にいた誰かと繋がりがあったのでしょう。」

にしても、と広い執務机に肘をついた男はまだ治らないらしい笑みをその顔に張り付かせたまま言葉を紡ぐ。

「エヴィノニアの血だとは笑わせる。そんな絶対的なものじゃないさ、アレは。」

と、言いますと?と部下は先を促す。すると男は組んだ手の上に顎を乗せて言った。

「確かに、ロルカ家はエヴィノニアンの特徴を今尚、色濃く残す一族であることは間違いないだろうね。けれど、アレはただのアンリ・オルディアレスの精神に依るものさ。年長者は敬うべきで、意見は聞くべきだ、というね。」

「それだけ、ですか?」

拍子抜けしたように言った部下に対し、それだけのことだよと男は微笑む。そして、自身の髪を指差した。

「もしかすると、彼のこれまでの経験も信頼を得たことに関係あるかもしれないけれど。人に避けられたり、蔑まれたりするという経験を持つものはそう多くない。」

まぁ、そうだとすればと男は手元の資料に目を遣った。

ロルカは使える。寵児に対して有効にな。」


双頭の犬の鎖の先に居るのは、誰か。

 

 

彼は誰に常世の花を抱く

 ―彼女は泣いた。言葉なんて要らないから、そばに居てくれ、と彼の骸を抱いて泣いていた。それがとても悲しく、そして羨ましくもあった。私には、私とともに歩み続けてくれる人はいないから。

 

 

彼女と出会い、彼の最期を見届けた時は彼女と行動を共にし、寿命をあまり削ることなく死んだ。

次は、彼と婚姻関係になったが、彼は私を護り、その命を落とした。その時、彼女は古本屋の養女であった。

その次は戦時中だった。彼女は私たちに国外へと出るように言ったが、私も彼もそれを望まなかった。私たちはそれぞれの戦場で死んだ。

常世が解体され、軍の特殊部隊、一〇五四隊として再編されると、彼女はいつもそこにいた。私と彼がそこに来るのを見越したように、彼女はいつもそこにいて、私と彼が人並みの幸せを享受すると、いつのまにかいなくなっているのだった。

私が全てを憶えている時も、そうでない時も、そして今も、彼女はずっと、私たちのために生き続けているのだと思う。

 

「久しぶりだな、アモウ。」

屈強そうな男たちに囲まれていた彼女に声を掛けると、不思議そうに振り返って、そして顔をほころばせた。

「お久しぶりです、シオさん。」

初めて出会った頃と変わらぬ姿はいつしか軍服を纏い、少女の顔には似つかわしくない、遠い日を懐かしむかのような表情が浮かんでいた。

彼女が周囲の男に下がるように言う。私は、彼らが声の届かない位置まで移動したのを見届けると、口を開いた。

「まだ、変わっていないんだな。」

「えぇ。ここのところ深窓の令嬢もびっくりの生活を送っていますからね。」

少し可笑しそうに、そして少し悲しそうに笑った彼女は初めて会った時、国に使われてたまるかと逃げ続けていたのだったと思い出す。私たちが生き、私たちが死を迎えてきた長い年月の間に、彼女の何かが変わってしまったのだろうか。

「……アモウが常世にいるのは慣れないな。」

私が上手く言えずに零した言葉に眉尻を下げながらそうですね、と彼女は頷いた。

廊下の窓枠に手をかけ、外を見つめる彼女の隣に立つと、緑の瞳が私を見上げた。

「でも、ここなら必ずお二人を探すことができますから。」

その言葉に喉が詰まって、私は何も言えなかった。

 

 アモウと二人で歩いていると後ろから肩を叩かれる。

「シオ。」

振り返れば、暁色の瞳が私を見つめていた。それに心が温まるのを感じる。私がこんな思いを抱くのは彼だけだ。

「……軍では話しかけるなと言っているだろう。」

心にもない言葉を言った私の本心を見透かしたように、笑って彼は言った。

「俺と知り合いだってバレると困るのか?」

「そういうわけではないが……!」

 そのやりとりにアモウがくすくすと笑い出す。それに私は軽く咳払いをして手で指し示した。

「ナル、紹介しよう。アモウ上官だ。」

そう言うと先ほどまでのやりとりが嘘のように真面目な雰囲気を纏ったナルミが敬礼をした。

「失礼いたしました。初めまして。私、ナルミと申します。」

「よろしくお願いします、ナルさん。」

愛称で呼ばれ、不思議そうな顔をする彼に、私がよく話していたからだ、と彼女は説明する。

本当は違うのだと言いたくならないのだろうか。彼とはもうずっと、ずっと前に出会っているというのに。

私など、彼からの“初めまして”をいつも残念に思ってしまうのに。

「シオさん。」

その声に思考の海から引き揚げられる。私が彼女に視線を向けるとふわりと微笑まれた。

「私は部屋に戻りますから、シオさんも今日は帰ってもらって大丈夫ですよ。」

少し顔を傾け、こちらを上目使いで見る様はいつもと、そして昔からずっと変わらぬもので。

「……はい、お言葉に甘えて。」

私は彼女についての思考に一旦蓋をした。

「なぁ、シオ。」

彼女の後ろ姿を見ていた彼が私を呼んだ。不思議そうに首を傾げている彼に問いかける。

「なんだ?」

「……上官と今日初めて会ったはずなのに俺……。」

続く言葉に私は目を見開いた。

「そうか。」

私が過去の記憶を持つように、彼にも過去の名残のような何かがあるのだと思った。それに少しだけ寂しさのような喜びが生まれる。

まだ考えているらしい彼の頭を叩き、歩き出す。

「行くぞ。」

嗚呼、彼女にも隣に居てくれる人がいれば、彼女も幸せになれるのに、と思った。

 

 

―縋るような瞳が忘れられない。

「それでも俺は、お前を護りたい。」 

 一度失った幸せを、私で埋め合わせようとするかのような彼を私自身が突き放したのだ。

そのはずなのに、彼との日々は記憶の中に鮮やかに残り、私は空虚な自分の隣を埋めるためにあの日の彼に縋ってばかりいる。

 

蝉の合唱で目を覚まし、いつまで経っても治らない癖毛と格闘していると、軍の内部にあるシオさんと数人しか知らない私室の扉をノックする音が聞こえた。

「はい。」

こんな朝に誰が来たのかと思いながら扉を開けると、そこにはゆったりとした民族衣装を身につけた長身の男が立っていた。

「お主がアモウかえ?」

「そうですが……。何か御用ですか?」

ほんに少女のようじゃと男は言うと、手を差し出した。

「わしは今日からお主の護衛を担当するリュウじゃ。よろしく頼むぞ。」

握ったその手は男性のものにしては細くて綺麗だったが、いくつもの胼胝を、巻かれた布の下に感じた。

満足げに頷いた彼は、まず手始めに朝の支度を手伝おうかのうといたずらっぽく言い、私の跳ねた髪に視線を流した。

「結構です!」

顔が熱くなるのを感じる。勢いよく扉を閉めると鈴のような笑い声が微かに聞こえた。布団に身体を投げ出し、恥ずかしさのあまり転がりまわる。そして、はたと気がついた。

「また、お別れする人が増えましたね……。」

嬉しいような、楽しいような気持ちが風船のように萎んで、一つため息を吐くと、身体を起こした。

彼が扉の向こうでようやく見つけたのぅと呟いていたことを知らずに。

 

「どこか行きたいところはあるかえ?」

私の護衛係になったという彼がそう言ったのは、手土産だと持って来てくれた大陸のお茶を飲んでいる時だった。

壁にもたれてこちらを見る彼に首を振る。

「……ここから出ることは許されていませんから。」

一〇五四、引いては軍、そして国という鳥籠に囚われた私に自由はない。いつの間にかここに居続けることが当たり前になりすぎてそんなことは考えもしなかった。

「出られるとしたら行きたいところがある、ということに聞こえるがのぅ?」

長い袖で口元を隠しクスクスと笑う彼の瞳は私に嘘をつくことを許さないような強い光を帯びていた。

「特に…思いつきません。」

「本当に?」

その瞳に射抜かれた私は考えざるを得なかった。どこへ。そういえば、ここに来て以来外に出たことがないのだからどこという場所が分からない。

「……じゃあ、リュウさんが街を案内して下さい。」

私がそう言うと、彼はにっこりと笑って私の前で膝をついた。

「御意。」

 

最後に身一つで外へ出たのはいつだっただろうか。軍服以外服がほとんどなかった私に、彼は少し悲しい光をその瞳に宿した。

「でも、どうして許可が……?」

重たく閉ざされた門の前でそう問うとリュウさんはその細い指を唇に当てて片目を瞑った。

不思議な人だとつくづく思う。そして、底が見えない。

ギギギと錆びついた音を立てて門が開いていく。この光景もずっと、ずっと馬車の中でしか見ていなかった。

「いってらっしゃいませ。」

門番に敬礼され頷いて外に出る。

整備された道路、洋風の建物、丈の短いワンピースを着た女性に、スーツを着こなす男性。目に飛び込んで来るすべてが極彩色に輝いている。もう、長いこと忘れていた、忘れようとしていた外の世界は活気に満ちていて、とても眩しかった。

「さて、行くかのぅ。」

立ち尽くす私に微笑んで、彼は私の手を引いた。

道中、あれこれ質問する私に彼は一つ一つ教えてくれる。よほど目を輝かせていたのだろうか、愛いのぅと小さな子どもに言うように言われて頬が火照った。

彼に連れられるまま綺麗な大通りから外れた小さな路地へと入る。洋風の小さな店には品の良い女性が1人いた。

「この子に服を。」

「かしこまりました。」

彼女は私のことを手招きするとたくさんの服の中からいくつか抜き取り、小さな小部屋へと案内した。

促されるがまま着替えて、彼女は首を傾げたり頷いたりしながら服を選んでくれる。

着せ替え人形のように取っ替え引っ替えされて、ようやく満面の笑みを浮かべたのは丸襟のワンピース。背中を押され、待っていた彼の元へ行くと、彼は笑った。

「よく似合っておる。ご婦人、このまま着て行くゆえ、荷物を包んでもらえるかのぅ?」

懐から風呂敷を出して彼女に渡すとすぐに着てきた服が包まれて戻ってきた。私が受け取ろうとすると、彼に遮られ、持たれてしまう。

にこやかに微笑んで出て行こうとする彼にお金は、と問うともう支払っていると言った。

「いくらですか?」

そう言うと、良い良いとはぐらかされてしまう。子ども扱いされているのだろうか。たしかに見た目は彼よりもずっと年下に見えるだろうが、そうではないのにと思っていると、通りの向こうから手を振る人が見えた。

「アモウ上官!」

「ナルさん。」

駆け寄って来た彼は奇遇ですねと笑った。その明るい笑みに自然と笑みがこぼれる。この人は、何度出会っても変わらない。だからこそ、ずっとあの頃の気持ちが残る。

「えぇ。ナルさんはお買い物ですか?」

そうですと頷いた彼は私の隣に立つ彼に気がついたらしく、少し警戒したように会釈した。数日前から護衛についてもらっている、と言うとようやく納得したようで、よろしくとお互いに手を握る。と、彼がそうだと思いついたように言った。

「今日はこの後はお暇ですか?」

それに頷くと彼は嬉しそうに笑って家に来ないかと言った。特に断る理由もなく、彼らの家へと招待されることとなった。

「アモウ。」

彼とともに家に入った私に黎明色の瞳を大きくした彼女が私の名前を呟く。そしてゆるりと緩んだ瞳が私を映した。

「いらっしゃい。よく来たな。」

「お邪魔します。」

出会った頃の荒んだ色ではなく、幸せの色が見え隠れする彼女に私は、あの日の選択は間違っていなかったのだと、私の生きている意味が分かったような、報われたような、そんな気がした。

 

 

ー見送って、見送って。もう一体何人見送ったのだろうか。

「どうしても思い出せないんだ。居たはずなのに、一等大切だったはずなのに。」

自分に課せられた愛する人と添い遂げることが出来ない罰。忘れてしまう罪。

「其方のことを永劫忘れることはない。」

言葉はなんて無力なのだろう。

 

リュウという男が彼女の護衛に就いて半年が経った頃、彼女が倒れた。

その日は珍しく特別な任務であったために、彼ではなく同じ隊の私が彼女の側にいた。

機密事項を持ち帰ろうとしたスパイの記憶を抹消すること。ほとんどない任務に彼女は久しぶりに駆り出されたと言った。

捕まえられ、縛られた男の額に彼女はそっと口付ける。何やら騒いでいた男の手が力なく垂れたところで彼女はこちらを振り返った。

「終わりました。」

私の隣に立っていた上官が頷く。ざっと4年ほどの記憶を奪われた男は服から荷物まで全てを回収され、そして軍から放り出しておくらしい。

「ご苦労だった。またよろしく頼む。」

敬礼し、上官を見送る。

私が最初に生まれた頃のような圧力は減ったが、稀人は軍に入ればその能力を支配されている。私は実戦向きな力であり、使えば使うだけその命を縮める。だからこそ本当の緊急事態以外は特別な任務を任されることはないが、彼女は違う。

彼女の記憶を操作する能力は有限ではあるが、無限に近い。彼女は操作した記憶の分だけ命を縮めるからだ。

「アモウ、私たちも帰……。」

私が声をかけたその時、彼女の身体が揺れて傾いだ。

「アモウ⁉︎」

慌てて抱きとめた身体は明らかに異常な熱を持っていた。顔を覗き込むと紙のように白く、額には脂汗が浮かんでいる。

何度も呼びかけると、苦しげに閉じられた瞼が震えて、焦点の合わない瞳が見えた。

いつものことだから軍医に見せる必要はない、部屋に戻ると言って身体を支える私の手を払おうとする彼女を有無を言わせず抱き上げて部屋へと運ぼうと部屋を出る。と、折良く小麦色の頭が見えた。

「ナルミ!」

「シオ?」

振り返った彼が私を見て慌ててこちらへ走ってくる。グッタリとした彼女を軽々と抱き上げると部屋へと急ぐ。

「ごめんなさい、シオさん、ナルさん……。」

掠れた声で謝る彼女に首を振る。ナルミは氷を取ってくると部屋を出て行った。

「理由は分かっているのか?」

「……少女の身体に、相当なおばあちゃんの精神ですから……。たかが二年とはいえ、急に歳をとると均衡が崩れるんです……。」

その均衡を戻す時に体調が崩れるようになったと彼女は言った。

「そうか……。」

彼女の手が私の頬に触れる。若く、匂い立つような美しさの中から、母親のような慈愛が溢れ出る。

「……シオさんのせいじゃないですよ。私が、望んだことです……。」

途方も無い時間の中で、彼女は私たちを見てきた。彼女には彼女が彼と幸せになるという選択肢はなかったのだろうか。

「アモウは……誰かと添い遂げる気はないのか?」

私の言葉に驚いたように目を大きくしたが、すぐに細められた。

「私は添い遂げることができないですから。」

彼女は自嘲するようにほんの少し口を緩ませた。その姿があまりにも小さく、幼く見えて私は彼女の赤い髪をそっと撫でた。

「シオ。」

呼びかけられて重たくなった空気が霧散する。氷を貰ってきたらしい彼が桶を持って立っていた。場所を変わると彼は手際よく彼女の額に布巾を乗せて額を冷やしてやった。

「今日はきちんと休んでくださいね?」

彼が彼女は頷いて怠そうに瞳を閉じた。寝息を立て始めたのを確認して帰ろうと椅子から立ち上がろうとした時、彼女が彼のシャツの裾を掴んでいるのに気がついた。

縋るようなその手に彼は悲しげに眉を下げた。そっと手を外して布団の中へ入れると共に部屋を出る。

「なぁ、シオ。」

玄関の扉が閉まった瞬間、道中無言だった彼は後ろから抱きしめて、問うた。

「あの子は、誰を求めてる?」

私も、そして彼女も痛いほどに分かっている。唯、それは私とそして、彼女の遠き日の選択に背くことになるのだ。だからこそ、二の句が告げなかった。

 

明けていく空、降り注ぐ紅色の淡雪。隣にいる彼が次に目を開けた時、彼は私たちに縛られずに生きていける。私のような彼と添い遂げられない人間とは無縁な存在となることを選択しておいて、胸が張り裂けそうだった。

後ろ髪を引かれる思いで、ゆっくりと立ち上がり振り返る。薄ぼんやりとした闇の中、彼の姿が霞む。

手を、伸ばした。

「アモウ!」

大きな手に届かないはずの手が握られている。霞んだ視界に二、三瞬きをした。

「……リュウ、さん……?」

「大丈夫かえ?」

深い色の瞳が覗き込んでくる。そこに映り込んだ私は、少し歳を取っていた。動揺を悟られないように頷くと彼は安堵の表情を浮かべ、少し起きれるかと聞いてきた。

ゆっくりと身体を起こすと差し出されたのは白湯。食欲はなかったが少しでもと口に含む。

「見ないうちに大人っぽくなったようじゃな。」

彼の言葉に心臓が跳ねる。平静を装ってそうですか?と問いかけるもその瞳は誤魔化すことを許さないというようにこちらに注がれていた。

体調が戻り次第、力を使わなければと思った。少しの悲しさと寂しさが胸をよぎる。

「……ちぃと、昔話をしようかの。」

ある、男の話じゃと彼は話し始めた。

 

その男は、とある国の皇子として生まれた。世継ぎとしてそれはそれは喜ばれたが、それ以上に喜ばれたのは男が神子であったことだった。

「男には自分が望むありとあらゆる薬を作る能力があった。命と引き換えにの。」

薬を作り、民を救えば救うほど神子は歳を取った。そしてある時、父に言われ不老不死の薬を作った。不老不死となればこの薬を作る力を永遠のものにできる、そうすれば自分の権力も永遠のものになる、と。

「男は幼心に思ったのじゃ。薬を作り続けることは民を救い続けることができる唯一の方法だとな。」

男は不老不死の薬を飲んだ。そして、

「天罰が降った。男はその才を失い、永い時を一人で生きねばならなくなったのじゃ。」

男は愛する人と添い遂げる術も、愛する人を病から、死から救う術もその手から落としてしまった。

「男の最初の妻は言った。笑って生きろと。ゆえに男はその妻の顔を忘れてしまった今も、どこかで笑って生きているのじゃ。」

「そう、ですか……。」

ま、御伽話にすぎんがのぅと笑う彼こそがその男なのだと察せられた。いつもその顔に笑みを絶やさないのは願いに縛られているから。あの日の選択に縛られた私と、同じ。

「その人は、寂しくなかったのでしょうか。」

ころりと零れ落ちた言葉に彼は片眉を上げた。一度零れた胸の内は止まらなくなる。

「……愛する人の死を何度も、何度も何度も見なければならない。だから私は……。」

愛する人が幸せになるように願い続けている、とな?」

弾かれたように彼の顔を見る。弧を描く綺麗な唇がゆっくりと開かれる。

「その幸いは本当に愛する人の幸いなのかの?否、それは分からぬ、わしにもお主にもな。唯、言えることとすればそれは。」

 

お主の幸せはどこにあるのかえ?

 

終を考えるようになった。

「アモウ上官!」

零れ桜の中、向こうから彼がやって来るのが見えた。手を振り返す。

「お疲れ様です。休憩ですか?」

私の問いに頷いて、隣良いですか?と聞いてきたので頷く。落ちて来る薄紅にあの日を思い出してなんだか懐かしくなる。遠い記憶になってしまっても変わらずに鮮明で、この淡雪が夢か現か分からなくなってきた。

柔らかな風にふと瞼を下ろそうとした時、手を掴まれた。

「す、すみません!」

驚いて横を見ると彼が慌てて謝ってくる。無意識だったのか。

「そ、そのアモウ上官が……消えてしまいそうな気がして……。」

おかしなことを言う人だと思う。くすくすと笑っていると彼は呆けたような顔をした。

「ナルさん?」

名前を呼ぶとはっとしたようにこちらに焦点を合わせる。そして、こう言った。

「やっぱり変ですね……。」

「変?」

彼はいつものような明るい笑顔ではなく、滲むように微笑んだ。

「……ずっと前から知っている気がするんです。上官のことを。」

憂いを帯びた表情に蘇る過去。走馬灯のようにそれが過ぎ去った時、私は笑った。精一杯の感謝と謝罪を込めて。

「気のせいですよ。きっとそれは」

そう、貴方が前に言ったように

「私とシオさんが似ているんじゃないですか?」

また私は優しい貴方に救われた、そして突き放した。

「そうか…。だから」

護りたいって思うのかな。

彼の言葉に微笑んだ。

 

上から上から花弁が降ってくる。薄紅の雨が寝転んだ私の顔に当たった。影が降りてくる。

「何を泣いているのじゃ?」

可愛い顔が台無しじゃ、と彼は長い袖で涙を拭ってくれる。次から次へと溢れるそれは袖を重たく濡らした。

桜吹雪と彼の長い髪が私を囲む。

「私だけがこの桜にずっと囚われているんです。私だけが進めない。」

そう言えば彼は心得たというように微笑んで私の顔を上から覗き込んだ。

「それなら、わしがお主をこの鳥籠から解き放しても良いのじゃが?」

藍色が桜吹雪を隠してしまう。それも良いかもしれない。

「連れて行って下さい。」

私は彼の首に手を伸ばす。彼に抱き起こされ、その綺麗な顔が目前に迫る。

「御意。」

 

彼女が家を訪ねて来たのは花散らしの雨が降った日だった。

「どうした、急に。」

「シオさん、その……。」

彼女は言いづらそうに目を逸らした。そして意を決したように顔を上げる。

「シオさんは、幸せですか?私は、貴女に幸せを押し付けてしまっていませんでしたか?」

初めて会った時とそう変わらない彼女は、あの頃から変わらず人のことばかりだ。そんなこと気にしなくてもいいのに。

「当たり前だろう。お前に言われたところで私が自分の意思を曲げるような奴か?」

そういうと、緑の瞳が蕩けて、そして抱きついて来た。軽く、細い身体を抱き締め返す。

「さよなら、シオさん。また、お会いする日まで。」

この子はやっと私たちから解放されて生きていけるらしい。それに一役かったのはきっとあの、突然現れた不思議な男。

「あぁ。幸せに、アモウ。」

「シオさんもですよ。」

彼女は照れ臭そうに笑った。

 

「アモウ上官!」

港へと向かう汽車に乗る直前の赤髪の少女に呼びかける。振り返った彼女は、彼に二言三言耳打ちされ、頷く。

「ナルさん、しーっですよ。」

彼女は指を当てて小首を傾げる。

彼女が居なくなったと大騒ぎになった軍で、こっそりと教えてくれたのだ。今日、出発だと。

「その、もう軍には?」

「えぇ。私の役目も終わりです。」

吹っ切れたような表情の彼女に何故だか胸が切なくなった。汽笛が五月晴れの空を切り裂く。錆びついた音が響き出して、彼女はタラップに飛び乗った。足がゆるゆると動き出す電車に合わせて身体を前に進めた。

「俺は、俺は!君のことを……!」

唇に、指が当たった。

「分かっています。今まで、ありがとうございました。」

ホームの端に辿り着く。彼女は離れる寸前、呟いた。

「さようなら、ナルさん。」

 

 

西の国に行った時、ある男に出会った。東から来る船に乗った客に一枚の写真を見せて人を探しているようだった。

「娘、だと思うんだ。」

その写真には確かに男によく似た娘が写っているように見えた。しかし、話を聞けば分からないのだと言う。

「思い出せないんだ。この子が居たこと。確かに大切だったはずなのに。」

だから、探してみようと思った。

忘れさせようとしたのに、忘れられることのなかった少女を。

 

窓から射し込む光に目を開けた。赤紫の光がその姿をぼんやりと見せている。

「XX。」

それは、少女の本当の名前。男がくれた写真の裏に書かれていたもの。

ゆっくりと振り返った少女は微笑んだ。今日は調子が良いのだろうか。身を起こして、外を眺めていた。

そっと抱き寄せると小さな手が両頬を包んだ。そして目を閉じる。

「いつの間にか、貴方の事を愛していました。」

花が綻ぶように笑う。艶やかな髪や鮮やかな瞳はとても彼女が病人だとは思わせない。

「ありがとうございます。私に幸せをくれて。」

人からすれば、悠久にも近い時を共に過ごした彼女がそう言った。そして額に口付けた。

「わしも、お主の事を好いておる。」

瞼が重くて目が開かなくなる。それでも、最後の気力を振り絞って言った。

ー愛しておるぞ、XX。

吐息に混じったそれは届いたのだろうか。

最後に見た彼女は微笑んでいた。

 

 

気がつくと寝台に横になっていた。はて、何をしていたのだったか。見回してみるも特に何もない。寝台の横の窓が換気のためか開いているが、一人で暮らすには少し広い平家があるだけだった。

今は此処に居を構えていたのだったかと思うも、痼りのようなものが胸に残る。とりあえず支度をして街へと出てみようと結い紐を手に取った時。

「む?」

左右の先の重さが違うことに気がついた。布の上から触ってみると何やら紙のようなものが入っているらしい。

小刀で縫い目を解き、中身を取り出してみる。

「……お主の考えなぞ、お見通しじゃ。」

 

窓から吹き込んだ風が男の長い髪を揺らした。

深淵の彼岸 Episode.1

「警部補!エンフィールド警部補‼」
廊下を歩いていた赤髪の男が振り返る。一つに束ねられていたそれが弧を描いて舞った。
「何の用だ。」
「さっきのご遺族の話です!あんな言い方ないですよ。確かに素行の良い娘さんとは言えなかったのかもしれません。」
でも、ご両親にとっては大事な娘さんだったんですよ?と訴える後輩の様子に男は小さくため息をつく。
「だからなんだ?逆上した父親に真実を伝えただけだろう。」
「そりゃ、娘さんがもう戻って来ないのは事実ですよ?だからってご遺体と対面して悲しんでいる時に言いますか?警部補には人の心が分からないんですか⁉」
なおも責め立てる後輩はきっと人として出来たやつなのだろうと男は思う。だが、自分の感覚を人に押し付けてなんになるのだとも思った。
「あまり感情移入しすぎるな。いつか足元を掬われる。」
男の言葉に呆然としている後輩を残し、立ち去る男を見ていた男が二人。
くるくると跳ねた赤髪を掻き混ぜながら男は言った。
「なぁモンティさんよ。マジであいつ引き取るワケ?正気?」
「正気だ。お前の方が彼の本質を分かっているだろう?」
モンティと呼ばれた男はその切れ長の目を赤髪の男に向ける。スンと鼻を鳴らした男はまぁなと言った。
「けど、あいつらと馴染めるかはまた違うだろ?しかもフィンとレティーのところはさ……。」
モンティは言い募る男の肩を叩いた。
「だからだ。彼にはそれを思い出してもらわなければな。それともお前が世話するか?ジークハルト?」
ジークハルトはやなこったと眉間に皺を寄せ、それを見てモンティは笑った。

 

 

男は上司に呼ばれ、部屋に立っていた。
「エンフィールド警部補、辞令だ。特殊能力捜査班への異動を命ずる。」
「はい。」
男が警察に入って以来、何かと目をかけてくれる上司は少し寂しそうに笑った。
「本当は本部に残ってもらいたかったのだがね。けれど、君はいつの間にか忘れてしまったものがあるようだから。私の信頼できる人に任せてみることにしたよ。」
精進しなさい、と配属先の警察官の資料を渡す上司に頷いて男は退出する。
廊下に出ると、掲示板の前には人だかりが出来ていて、皆一様に同じようなことを言っていた。
「おいおい、エンフィールドのやつ例の部署に異動かよ。」
「妥当じゃないか?この間も部下を切り捨てて捜査したって話だし、人の心が分からないって憤慨してたやつもいたし。」
そういえばと誰かが言った。
「あの部署、検挙率は悪くないのに結構異動願が多いらしい。」
「へぇ。」
まぁでも、と一人の男がトントンとガルトの名前を指で叩く。
「これで出世コースから外れたようなもんだろ。俺はライバルが減って良かったぜ。」
皆が頷き、そして男の方を見て固まった。笑わせる。そんな表情をするぐらいなら最初からこんな所に集まらなければ良いのにと男は思った。
「よ、よお、エンフィールド。まぁ、その、なんだ…頑張れよな。」
居心地悪くなったらしく、蜘蛛の子を散らすように去って行くのを見ても男は何も思わなかった。
「さて。」
男の手には先ほど上司から渡された資料。一番上には、トップシークレットの文字が躍っていた。

“特殊能力捜査班、通称SAIT。数年前に設置された捜査機関で、他にはない独自の方法で捜査し、解決に導いている。”
「これ、誰が作ったんだ…?」
それぞれの机が向かい合うように作られた三つの島の一つでパソコンの画面を見た黒髪の男がぼやいた。
「あ、それ俺だわ。」
男とは違う島にいた赤髪の男がパソコンを覗き込んで言った。
ジークさん……盛りすぎ。だから現実とのギャップで辞めてくんですよ。」
「えー?嘘はついてないだろ?」
ジークハルトはそう言ってケラケラと笑う。まぁと言葉を濁した男の前では、隣同士に座った男女が仕事の手を止めてこちらを面白そうに見ていた。
「ま、嘘はついてないわよね。独自の方法であることは間違いないんだし。」
「僕もそう思うなぁ。」
すると今度はジークハルトが座っていたのとは違う島にいた男が話し出す。
「じゃあアル君ならなんて説明する?」
穏やかそうに緑の瞳を細めた男がこちらを振り返ってそう言った。アルと呼ばれた黒髪の男は顎に手を当て考え出す。
「数年前に設置された捜査機関で、少人数の捜査を得意とする、とか?」
「採用です。」
眼鏡をかけた、まだ幼さの残る女がそう言うとジークハルトは途端に不満そうな声を出した。
「そんなつまんないのでいいのかよレティー!」
「少なくとも、よく分からない期待と共に来る方は減ると思います。」
レティーと呼ばれた眼鏡の女はその赤い髪を耳に掛けて興味なさそうに言った。
「さて、話は終わったか?」
そう言って入ってきたのは長身の男。切れ長の目が部屋を一瞥するが誰も気にした様子もなく口々にお疲れ様ですと声をかけた。
「来週から、こちらに一人配属が決まった。皆よろしく頼む。フィン、レティー。」
男が向かい合った二人の机の間に資料を置く。
「資料に目を通しておいてくれ。二人の班に入ってもらう。」
二人は頷くと額を寄せて中を見始める。その後ろにはブレーメンのなんとやらの状態でのぞき始めた捜査員たちがいた。
「お前たち……。」
「ま、いいじゃん?それよりモンティも戻ってきたし、休憩にしようぜ。今日はフィンがケーキ買ってきてくれたんだよ。」
担当事件がないからと自由さの増している捜査員たちにため息を吐きつつ、いつも通りだとモンティは微笑んで言った。
「では、休憩時間の延長といこうか。」



ベッドの上で目覚めると台所からトントンと料理の音が聞こえてきた。それに頬を緩め起き上がる。
男は洗面所への道すがら台所に声をかけた。
「おはよう、リディア。」
その声に手を止めてオレンジがかった髪の女が振り返る。
「おはよう、お兄ちゃん。」
男は一つ頷くと洗面所に向かう。顔を洗って、長い赤髪は一つに結い上げる。自室で暗いグレーのスリーピースを身に纏い、ネクタイを締めた男がダイニングへと戻るとリディアは朝食を並べているところだった。
「お兄ちゃん、今日から異動でしょ?そのネクタイは地味すぎない?」
リディアに指摘された焦げ茶色のネクタイを抜き取ると、自室から勝手に出してきたらしい瞳と同じ緑のネクタイを手渡されそれを締める。満足げに頷いたリディアとともに向かい合って食事を取った。
「今度のところは良さそう?」
リディアがソーセージをフォークで刺しながらそう聞く。
「さぁ。なんにせよ馴れ合うつもりはない。」
そう言った男にリディアは少し悲しげな顔をしたが、そっかと頷くと食事を再開した。
「じゃあ行ってくる。」
「いってらっしゃい。気をつけて。」
男はリディアに見送られ、住み慣れたマンションのドアを開けて新しい仕事場へと向かった。

男が新しい仕事場へと向かうと、扉の前に男が二人立っていた。そのまま近づくと、オレンジがかった髪の長身の男と、くるくると跳ねた赤髪の男が男を見た。
「ガルト・エンフィールド警部補だな?」
長身の男がそう声をかけた。男、ガルトが頷く。
「ようこそ、特殊能力捜査班へ。室長のモンティ・フルフォードだ。」
長身の男、モンティがそう言って隣を指す。
「こっちはジークハルト・ラングリッジ。俺の班に所属する部下だ。」
「よろしくな。ジークって呼んでくれ。」
赤髪の男、ジークハルトが差し出した手をガルトが握る。モンティはその様子に片眉を上げた。
「……では、他の部下を紹介する。入ってくれ。」
開かれた扉の先では五人の男女がパソコンに向かっていた。モンティが手を叩くと全員がこちらを向く。ジークハルトがガルトに自己紹介を促す。
「本日付で出向したガルト・エンフィールドだ。よろしく。」
ガルトがそう言うと、奥に座っていた黒髪の男が立ち上がった。
「俺はアル・オブライエン。そっちがアレクシア・ヴェニングス。」
アルの左斜め前に座っていた白衣の女が手を振る。
「こっちがセオフィラス・エルフィンストーンだ。」
右斜め前に座っていたブロンドの男が会釈をした。すると、今度はアルとは違う机の島に座っていた男女が立ち上がる。
へらりと笑った亜麻色の髪の男が口を開いた。
「僕はフィンレイ・ロウ。彼女はレティーシャ・リー。」
眼鏡の女が不機嫌そうに会釈する。ジークハルトはレティーシャの肩を叩いて何事かを囁くと、彼女の眉間に余計に皺が寄った。
「君の席はここだ。エンフィールド班としてフィンとレティーを率いてもらう。」
モンティに先導され、二人の座る机の前に置かれた机に向かう。
「よろしく頼む。」
「うん、よろしくね。」
そう言って笑うフィンレイの隣で、レティーシャは眼鏡をずらしてガルトを見るとふいと横を向いた。
「……ちぐはぐ。」
ボソリと呟かれた言葉にフィンレイは肝が冷えたが、幸いガルトに聞こえた様子はなく、ほっと胸をなでおろす。レティーシャの隣にいたジークハルトには聞こえたらしくケラケラと笑っている。
「たーしかに!確かにそうだよな〜‼」
笑い出したジークハルトにガルトは訝しげな視線を送っていたが、興味をなくしたのかすとんと席に座った。
その時、机の上の電話が鳴り響いた。モンティが電話を受ける。
「はい、こちら特殊能力捜査班。……はい。はい、承知しました。すぐに向かわせます。」
受話器を置いたモンティがパンパンと手を叩いた。それまで自由な雰囲気を漂わせていた皆が一斉にそちらに注目する。
「取り調べの協力要請だ。犯人が口を割らないらしい。セオ、一週間前のターナー家の殺人事件について頼む。」
セオフィラスが頷いて日付をボソリと呟くと一気に話し始めた。
「被害者はリチャード・ターナー。入浴中に何者かに心臓を一突にされ死亡。犯人はターナーの妻、ハンナ。現場で証拠を隠滅しようとしていたところを近所の人に発見された。この近所の人は隣の家から女性の叫び声が聞こえたために家を訪れたという。夫婦は特に仲が悪いということはなかったと近隣の住人は語っている。」
まるで調書を暗記しているかのようにスラスラと話すセオにガルトは少し驚いた顔をする。その様子を見てジークは機嫌良さそうに笑った。
「では、行こうか。」
モンティの号令に皆が立ち上がった。

ーまず初めにジークとレティーが入る。次に入れ替わりで君とフィンが。あとの指示はインカムでするからそれ通りに動いてみてくれ。
そう言ったモンティの指示通り、ジークハルトとレティーシャの入れ替わりでガルトはフィンレイと共に取り調べ室に居た。
ガルトの目の前に座っているターナー夫人は、犯罪を犯したとは思えないほど落ち着いているように見えた。
『始めてくれ。』
モンティの声が聞こえて、ガルトは口を開いた。
「では、単刀直入に聞きます。旦那さんを殺したのは貴女なのですか?」
「えぇ。」
するとジークハルトの声が聞こえてきた。
『娘はその時どこに居たか聞いてくれ。』
何故そんなことを聞くんだ?とガルトが考えていると隣にいたフィンレイが代わりに夫人に聞いた。
「……娘さんがいらっしゃるんですね。殺害当時、娘さんはどちらにいらっしゃったんですか?」
「娘は自室にいました。」
ガルトは夫人のその言葉に少し違和感を覚えた。
「それは……少し変ですね。」
「変ですか?」
フィンレイの言葉に片眉を上げて反応する夫人。まるでこちらが取り調べを受けているかのように強気な態度だった。
「えぇ。第一発見者のご近所の方は女性の悲鳴を聞いて駆けつけています。もし、家の中でそんな声を出したら娘さんは慌てて駆けつけるでしょう?」
「それは…駆けつけようとしたところを私が制したからです。」
少し怒ったような口調で夫人が言い出したところでやっぱりなとジークハルトの声が聞こえた。どういうことだ、とガルトがチラリと窓の向こうに視線を送ると今度はレティーシャの声がした。
『彼女は何か娘について隠しています。』
『そう。娘を制することは出来たのに、悲鳴を聞きつけて近所の人がやってくる可能性を考えずに証拠を隠滅しようとしていたわけだ。むしろ、何か証拠を隠滅しなければならなかったと考える方が自然かもな。』
冷静に見えてその実そうではないということかとガルトは頷く。
「……そうですか。では、質問を変えましょう。貴女は旦那さんを殺した時、どう思いましたか?」
「殺してしまった、とそう思いました。そうしたら、血に濡れたナイフが落ちているのが見えて……隠さなければ、と思ったんです。」
インカムからハッと息を飲む声が聞こえた。
『レティーシャ。』
落ち着いたモンティの声が聞こえ、レティーシャが話し出す。
『驚き、憎悪、そして焦りと決意。現場で彼女はこう感じたんだと思います。』
ガルトは取り調べ室の外にいるレティーシャにどうしてそう分かったのか不思議に思う。すると今度は隣にいたフィンレイが声を出した。
「では、最後に。貴女や娘さんは旦那さんを日頃から憎んでいましたか?」
その言葉に夫人は少し黙って、そしてこう言った。
「いいえ。でも、あの時は殺さなければと……。娘については、分かりかねます。……思春期ですし、特有の煩わしさはあったかもしれません。」
『自分については本当。今も彼女は本当に殺さなければならなかったと感じています。そして、娘については限りなく嘘に近い。本当にそうだったかもしれないけれど、今は違うと確信している。』
ピタリピタリとピースがはまっていく音がする。目の前に座る夫人の気丈であるようで、何かを隠すその姿勢、娘、現場での感情。
フィンレイは閉じていた瞳を開けた。
「……リチャード・ターナーは許されないことをした。だから、殺した。」
断言したフィンレイにガルトは驚きの目を向ける。隣に座っていたフィンレイは何かが違うように見えた。固まった夫人にフィンレイは笑いかける。その笑みが先ほどの笑みとは違うことは出会って数時間のガルトにもよく分かった。
「どういうことだ。」
なんとか絞り出した言葉は隣のフィンレイに向けてでもあり、取り調べ室の外から見ているであろう三人に向けられたものでもあった。
『フィンの本領発揮だ。』
「貴女が帰宅した時、犯行現場となった浴室には誰かが居るようだった。旦那だろうと思った貴女は気にも留めずにキッチンへと向かった。その時、娘の悲鳴が聞こえた。」
まるでその場所にいたかのように話し出すフィンレイはずっと夫人の目を見続けていた。その瞳は、夫人を映し出す鏡のようだった。
「貴女は誰か入ってきたのかと、咄嗟に包丁を持ち、恐る恐る中へ入るとそこには暴行される寸前の娘とその相手であり、今回の事件のひ「やめてください!」
夫人は淡々と話すフィンレイを遮った。その細い肩が怒りで震える。
「どうしてですか?そ、そんな根拠もないことを…‼︎」
「あくまで仮説です。殺したのが貴女である以上、罪は貴女にある。けれど。」
そこで言葉を切ったフィンレイはまた表情を変え、困ったように笑いかけた。
「貴女は娘のために早く帰らなければならない。だからこそ、娘に何があったのかを隠しつつすぐに罪を認めた。そうではありませんか?」
夫人は顔を覆って泣き出す。気丈に振る舞っていたのが嘘のようだった。

 

 

ガルトは休憩室に座っていた。
あの後、夫人はフィンレイが言った通りだと、犯行の動機を娘のためのものだと認めたのだった。
思考の海に漂うために俯いた視線の先に、缶コーヒーが差し出される。視線を上げるとそこにはジークハルトが立っていた。
「ほい、お疲れさん。」
「あぁ、ありがとうございます。」
ガルトが缶コーヒーを受け取ると、ジークハルトは隣に座って、自分もコーヒーを煽った。そして一息つくと、鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ。そして、心得たというようにニンマリと笑った。
「何かフィンレイに聞きたいことがあるのか?」
ガルトはハッとしてジークハルトを見つめたが、すぐに元の厳しい顔に戻ってしまった。内心、ジークハルトは残念に思う。もう少しこの男の本質を見てみたいと思ったのだ。
「ま、いいや。とにかく本人に直接聞くことだ。」
ジークハルトはそのままひらひらと手を振って休憩室を出て行ってしまう。残されたガルトは手の中で缶コーヒーを転がした。頭の中を回るのは、先程フィンレイが見せた表情。あれはまるで……
「あれ、まだここに居たんだね。」
開かれたドアの先にはガルトの思考を占めていたその人、フィンレイの姿があった。つい凝視してしまったガルトにフィンレイは何か顔に付いているかな?と照れたように笑う。
「お前はさっき何をした。」
「え?」
ガルトが放った突然の言葉にフィンレイは少し固まる。そして眉尻を下げて笑った。
「何って何がかな?」
「取り調べの時、お前は容疑者のことを全て見てきたかのように話しただろう。あれは一体……。」
フィンレイは、ふふと笑うと首を傾げて言った。
「知りたいかい?」
ガルトの背筋を冷たいものが走った。にこりと笑っているのに、その瞳の奥は氷のように冷たい。ガルトにはその色に覚えがあった。いや、あるに決まっていた。
それは
「きっと君には理解できないことだからね。」
罪を犯した者と同じ色をしていた。

ある聖夜の過ごし方

「テオ。」

 冬の寒さも厳しくなった頃、帰ろうとしていたテオをフェンネルは呼び止めた。

「なぁに?」

「クリスマス・イヴはもう予定が入っているかい?」

ん〜と悩むフリはしているが実際はテオに予定はなかった。一夜限りの相手を探すのも何か違うと思ったし、いつものようにフェンネルやセージ(今は娘のリア)の家に行くのもお邪魔虫だと思っていた。

「まだ予定がないなら、僕の家で一緒にクリスマスを過ごさない?」

にっこりと微笑むフェンネルにテオはびっくりする。

「え、俺が行ったら邪魔じゃないの?せっかくの家族との時間なのに。」

そういう考えがあるなら普段突然来るのを止めればいいのにとフェンネルは思ったが、口には出さなかった。

「大丈夫だよ。実はナルセくんとリアも誘おうと思っていてね。」

「本当⁉︎ナルセも来るなら行く〜!」

誰かと一緒にクリスマスを過ごせるとは思っていなかったテオは、プレゼントは何にしようと考え出したがそこではたと気づく。

「あれ?でもなんでナルセも呼ぶの?リアちゃん、クリスマス休暇で帰って来てるし、あの二人って…。」

フェンネルの顔を見てテオはその先の言葉を飲み込む。フェンネルは笑顔だったが、ちっとも目が笑っていなかった。

「嫌だなぁテオ。まさか僕が可愛い可愛い姪っ子を彼と二人きりにするとでも?」

フェンネルの背後に見えるブリザードを見て、テオはこの場にいない親友に合掌した。

 

「ぶぇっくしょい!」

帰路についていたナルセは大きなくしゃみを一つした。風邪かなと思いつつ鼻をすする。

もうすぐクリスマスのこの時期はいたるところで仲睦まじげに男女が歩いている。普段であれば若干の冷ややかさでもって見てしまうところだが、今日は違う。郊外より少し中心部に近い場所に立つロルカ邸には本当の家主が軍学校から帰ってきているからだった。ふんふんと鼻歌を歌っているとあっという間に家に着いた。

「ただいま。」

ドアを開けてそう告げると奥からひょこりと赤髪がのぞいた。

「おかえりなさい、ナルさん。」

久しぶりに会うリアの頭をポンポンと撫でる。夕食を作っていたらしいリアはもうすぐ出来ますから、と離れていってしまう。

「そういえばナルさん、クリスマスは予定入れてないですよね?」

「おう。」

そう答えるとリアは嬉しそうに笑った。

「良かったです。今日、テンチャお姉ちゃんが来て、是非ナルさんも一緒にクリスマスを過ごしましょうって。」

楽しみですねとはにかむリアにナルセは頷くほかなかった。

「さすが参謀部…。」

そう呟くナルセの目には血の涙が浮かんでいたとか浮かんでいないとか。

 

 

クリスマス・イヴの夜、テオは郊外にあるフェンネルの家に来ていた。ドアノッカーを叩くと、すぐに扉が開く。

「こんばんは、テオさん。」

中から出て来たのはフェンネルの娘、オルテンシアだった。

「こんばんは。お邪魔しちゃってごめんね?」

「お誘いしたのはこちらですから。さ、上がってください。」

リビングに通されるとシャンパンを用意していたフェンネルが振り返った。

「こんばんは、テオ。」

「こんばんは〜。」

そこに座っててと指さされた先にはナルセが座っていた。

「ナルセ〜。」

後ろから抱きつくとナルセが驚いた声を出した。

「テオ、いきなり抱きつくなよ。」

「えへへ〜。」

二人が戯れていると奥から出て来た人影が紅茶を出してくれる。

「こんばんは、テオくん。」

「エノーラさん、こんばんは〜。」

にこやかに挨拶を交わす二人にナルセは驚いた顔をする。

「え、テオそんなにマグノリアさんと仲良いのか?」

「うん。よく夕飯ご馳走になってるんだぁ。」

さすが人誑し…とナルセはテオに感嘆する。すると、マグノリアはナルセの方を向いてにっこりと笑った。

「ナルセくん、リ「母さん、ターキーが焦げそうだよ。」

呼びに来たディルの言葉に大変!とキッチンに駆け込んで行った。

「あ、お二人ともすみません。何か話していましたか?」

んーん、大丈夫だよとテオが答えるとディルはホッとしたように眉尻を下げた。

「なら良かったです。」

へにゃりと笑う様子はフェンネルによく似ていて、親子なんだなぁとナルセは思う。余談だが自分が父親に似ているとはあまり思っていなかったものの、最近、髪をセットすると面影を感じるのだった。

そんなことをつらつらと考えているとナルセの隣でテオが大きな声を上げた。

「え〜っ!ディル、本当に軍に入るの⁉︎」

大変だよ?フェンネルは怖いし、仕事は多いし、まぁ参謀部なら出撃は少ないけど、でもフェンネル怖いし!とテオがしきりにまくし立てているとフェンネルがにっこりと笑ってソファの後ろに立った。

「テオ?」

ギギギと錆びついた人形のようにテオが振り返って小首を傾げる。もーナルセも見たでしょ?本当フェンネルって怖いんだから!とはテオの談である。

 

ターキーにリアが家から持って来たというガレッツ、温野菜などなど豪華な料理はあっという間になくなり、さらにはマグノリアお手製だというパネットーネを平らげたところで今夜のメインイベントが始まろうとしていた。

「それじゃあ、プレゼント交換を始めようか。」

フェンネルの一言で各々の大きな紙袋やら袋やらを出す。

「じゃあ、呼んでもらったから僕から〜!」

はい、どーぞとテオがフェンネルに渡すのは濃緑の包装紙に上品な深みのある赤いリボンのかかった包み。あまり重さはなかった。どうやらそれぞれに違うものを持って来たらしくひとつひとつ確認しながら渡す。

「テオ、お前さすがだな。」

「うん!つい張り切っちゃったよ〜。」

息をするように女性への紳士的態度を貫くテオならではの気づかいとも言えるかもしれない。

「じゃあ今度は私から。」

 はい、とオルテンシアが配ったのは少し重みのある箱。早めに食べてくださいねと言っていることからどうやら食べ物であるらしい。

その後もリアからは軽くてふわりとした包みを、ディルからは小さな薄い包みがそれぞれ渡された。

「じゃあ俺からはこれ。」

ナルセは手のひら大の小さな包みを渡す。すると、フェンネルマグノリアの肩を抱いて言った。

「で、僕たちからはこれだよ。」

5人にそれぞれ違った包みを渡す。全員がプレゼントを交換したところで、リアがあ、と声を上げた。

「そろそろ帰らないとですね、ナルさん。」

「ん?え、あ、おうよ。」

話を振られたナルセは何のことやらと思いながらも頷く。しかし、フェンネルが声を上げる。

「もう夜も遅いし、泊まっていけばいいよ。せっかくだしさ。」

その言葉にリアは少し考えると、ふるふると首を振った。

「嬉しいけれど、今日はテオさんがいらっしゃるでしょう?部屋もないし、今日は帰りますね。」

フェンネルにはぐうの音も出ない正論だった。確かにきちんとしたゲストルームは一つ、ベッドもひとつだけだ。テオが泊まることが確定している今の状況で、リアとナルセが帰るのは至極当然のことだった。

「そうね。じゃあ気をつけて帰るのよ。」

そう言ったマグノリアがリアに耳打ちをする、とボンッと音がしそうなほどリアが赤くなった。

「それでは、メリークリスマス!今度はカウントダウンにお会いしましょう。」

赤い顔のまま早口にそう告げるリアに口々に別れの挨拶をする。

「あ、ナルセくん。」

行きましょうと言って先に玄関へと向かったリアを追いかけようとしていたナルセをマグノリアとオルタンシアが引き止める。

ひそひそと言われた言葉に、ナルセは曖昧に微笑んだ。

 

「ねぇ、フェンネル。」

「なんだいテオ?」

テオはにこりと笑ってフェンネルを見上げた。

「リアちゃんのが一枚上手だったね。」

「…うん、そうだね。」

はぁとため息をついたフェンネルをテオはよしよしと慰めた。

 

 

「ナルさん。」

2人でもらったプレゼントをツリーの下に置き、お茶でも飲もうかと準備をしている時だった。

「なんだ?」

「…今日ご一緒してもいいですか…?」

何がと言えばまぁあれだろう。いわゆる同衾というものだ。もちろん、リアがそういう意味で言っているのでないことはナルセはよく分かっていた。なにせあの、セージ・ロルカが手塩にかけて純粋に育てた娘だ。

「…おう。」

なんとかそう答えたナルセの脳裏には先ほどの会話が浮かぶ

「あ、ナルセくん。」

「はい?」

足を止めたナルセに2人は詰め寄るとガシリとその腕を取った。

「リアのこと、これからもよろしくお願いしますね。どうにもそういうことには疎いので、ご迷惑をおかけするとは思うのだけど…。」

「リアがナルセさんのこと、好きなのはそうなんですけれど、そういうことは本当に分かってなくて…。」

どうか、よろしくと頼む2人にナルセは苦笑してコクリと頷いた。

「ふふ…昔に戻ったみたいですね。」

「…そうだな。」

のんきにそんなことを言うリアにナルセは、本当に意識されてるのか、これ…と思うのだった。

あの日に取り残された僕ら

―父さんの死んだ日はオランジュのローラン・フォートリエが死んで、エンハンブレのローラン・フォートリエが生まれた日になった。俺は今日も、異国の地で息を、している。

 

 それは、俺とリアが入軍して一年が経った頃。
「反乱分子がいないかどうか、調査してほしい。」
上司に言われた任務はつまり、諜報員として自国に潜入すること。
―同行者としてロルカ少尉が任に就く。
それは、つまり…

「ローランくん?」
前を歩くリアが振り向いた。エヴィノニアやその周辺でよく見る赤髪と緑目。オレンジがかっていないのはやはり、ここに生まれたからに他ならない。
「ん〜?」
この任務は俺が自国ではなく、この国に、この国の駒になることを証明することにつながる。その過程で裏切ることがないように付けられた監視、表向きには同行者、がリアだ。
「…心ここに在らずって感じ。」
俺の答えに不服そうなリアは尚も言い募る。再度そんなことはないと伝えれば渋々と言った風情でまた歩き出した。
きっと、リアには俺が裏切った時のことをこの任務とは別に言われているに違いない。

…いや、言われなくてもそうするだろうか。

彼女は、自分の大切なもののためなら鬼にもなれるから。それでも隣で普段通りに笑う彼女は相当な狸だろう。
「マルセルくん、待ちくたびれているかな?」
思考の海から突然引きずり出され、ハッと顔を上げる。
「急ごっか?」
俺の言葉に頷いて、また前を向いた彼女の三つ編みが揺れた。薄暗くなった通りで、重なるその姿に一人苦笑する。

真面目で、努力家で頭の固い俺の半身は、きっと俺を許しはしないだろう。
「絶対会いたくないなぁ…。」

ポツリと呟いた言葉は目前に迫った夜の闇に吸い込まれて行った。

 

―俺はきっと、少し浮かれていたんだ。もしかしたら、兄と会えて、もしかしたら、元に戻れるかもって。俺はもう、エンハンブレの人間なのに。

 

無事、エヴィノニアに潜入することに成功した俺たちは小さなアパートで暮らしていた。俺にとってはまだ親しみのあるこの国も、リアにとっては両親を失った国であり、祖国らしい。
ここでの生活も軌道に乗り始め、情報収集をしていたある日、夕飯の最中にポツリと言った。
「今日、赤髪の軍人を見たの。やっぱり、この国には普通にいるんだね。」
緑の瞳ではなかったけれど、と付け加える彼女の言葉に心臓が跳ね上がる。アランも母さんも深い赤の髪と瞳だったから。
「うん。珍しくはないかな。」
そうなんだとリアは相槌を打つと食事を再開する。そうして日々は過ぎていった。

 

情報もある程度集まってきたある日、後をつけられていると隣を歩くリアに伝えると分かっていたのか頷いた。
「ねぇ、ちょっと待って。」
こちらが立ち止まると後ろの気配も足を止める。どうやらすぐに襲ってくる、ということはないらしい。
「パンを買い忘れたの、先に帰っていて。」
「分かった、気をつけて。」
リアから袋を受け取って別々の方向に分かれる。

後ろの気配は俺の方について来た。狙いは俺なのか…?一見すれば女であるリアの方が狙いやすいだろうに。
路地を曲がり、速度を上げる。ピタリと一定の距離でついて来る気配は一つ。振り切るか。そう考えて角を曲がったところで真っ直ぐ進んだように見せかけてもう一度曲がって身を隠した。
追いついたその人影をそっと見やる。驚いたとしか言いようのない衝撃。
辺りを見回すのは俺の半身とも呼べる存在で、けれどその身に纏うのは俺とは反対の色。
「ローラン。」
名を呼ばれほんの少しだけ動揺する。あぁ、またセージさんに怒られるや。
「まだいるのだろう?そのままでいい、聞いてくれ。」
俺の半身、アランは瞳に憎しみの炎を浮かべた。
「俺はお前を許さない。次に会う時は…容赦しない。」

踵を返した足跡が遠ざかる。ぐしゃりと紙袋が手の中で音を立てた。


―あの日、ナルさんが教えてくれた戦士長のことをこっそりと調べていた。実際に会ったその人は、とても凛々しくて誉高かった。

 

エヴィノニアとシャンタビエールの国境。そこに俺たちは立っていた。

見えないその線を挟んで対立している俺たちの後ろには国境を監視している両国の兵士たち。緊張が辺りを支配していた。
「誉れ高きロルカの娘子!」
俺が向ける剣は国境の向こう、ギリギリに立った少女の喉元へと向ける。切っ先を意にも介さないように少女は視線だけを俺の瞳に合わせた。深みはやや違うものの同じ緑目が交差する。
俺は一つ息を吐いて言葉を紡いだ。
「こちらに生を受けていればこんなところに来ることもなかったろうに。このような形で会うこともな。」
少女はその瞳を強く、見つめ返した。そんなことを言うなとでも言うように。俺は憐れんだ目を向けていたのかもしれない。
「私の意志ですから。」
一陣の風が俺たちの髪を巻き上げる。それは宵闇の中で全く同じ色に見えたと後に兵士たちは語った。
「これからどうするおつもりですか、ガイラス卿。」
ここは国境。もし俺が剣で少女を切ればすぐに兵士は集められ、良い口実だとばかりに一気に攻め込んでくるだろう。だからこそ、少女は腰に下げられた銃を手に取ることさえしないのだ。
「さすが彼の国で指折りの軍人一家。やはり、噂通り流石の洞察力だな。お父上にも負けぬほどになるだろう。」
「お褒めに預かり光栄です。」
微笑んだ少女に俺は剣を収め、少女は一歩後ろに下がると一礼した。
「またお会いしましょう、〝ガイラルディア卿〟。いつか、正式な場で。」
本名を言われ、その収集能力の高さに内心、舌を巻く。確かに一度、話してみたら面白いかもしれない。
「…楽しみにしているとしよう。」

私の言葉に、少女はゆるりと微笑んで夜の闇に消えた。


―私の周りから温度が消えた日は、粉雪が舞っていた。あまりに絶対的だった存在を失ったことで、私には失うことがとても怖くなった。

 

あの日から彼の様子が変だ。姿が見えないから、探しにいくといつも、遠くを見つめている。そして瞳を揺らがせて、半笑いでため息をつく。今日は中庭の芝生の上に座り込んでいた。
悩みの種は分かっている。でも、私には兄弟がいないし、この国で生まれて、この国で育ってきたからきっと、理解することはできない。だから、声をかけることさえためらって、開いた口を閉じてしまう。

けれど、私にとって彼は大事な幼なじみで、仲間だから。
近づいていって、彼の後ろに座る。それでも気がつかないぐらい思考の海に沈んだ彼。

少し腹立ち紛れに後頭部を背中に打ち付けてから寄りかかった。うわっと声が聞こえて、こちらを見ようと首を回している気配を感じるけれど無視する。
「どうした?何かあったか?」
何かあったのはそっちじゃないと言いたいけれど、どうにもその後どうしたらいいのか、分からなくて別に、と返してしまった。
こういう時、口下手な自分が嫌になる。もっと気の利いた言葉とか、そうじゃなければせめて、素直に言えたらいいのに。
「…私、変わらずにこの国にいる。」
うん、と彼が頷く。この国で生きていくよりも、きっと彼の国なら楽に生きられただろう。ガイラス卿が言ったように、私は何も知らずに、普通の女性としての道を歩んでいただろう。
「だから、」
でも、この道を選んだことを後悔しているわけじゃない。ここで私は皆と一緒に戦えることが、皆が変わらずここにいてくれることが嬉しい。
「だから…ローランくんもずっとここにいてくれるよね?」
狡い聞き方だと、思った。彼は、もうあの国に戻ることはできないって、お兄さんと和解することはできないって分かっているのに、それでも、不安が拭えない。
「…当たり前じゃん。」
半身だけずらして、優しい彼はそう言ってくれた。

 

あの日から、気がつくとつい考えてしまっている。今日も中庭に座って空を見上げていた。自覚しているよりもずっと呆けていることが多いらしく、リアとマルセルによく心配される。
アランと会ってしまって、一方的に別れを突きつけられて、想像以上にショックを受けているらしい。
心の隅っこの方でアランなら分かってくれると、思っていたのかもしれない。いや、きっとそうでなくとも、話ぐらいは聞いてくれると思っていたんだ。
だから、あんな風に一方的に手を離されてとても悲しい。理解してもらえないことにほんの少しの苛立ちと悔しさが混ざってぐるぐると俺の中を回る。
次に会った時、アランと剣を交えることができるのかと、弱気な自分を嘲笑って息を吐いた。この国に来たこと全てを後悔しているわけではない。あの時、父さんに助けてもらって、そしてこの国に来たことが不幸だとも思わない。この国で俺は大切な仲間に出会えたことは事実だし、とても良くしてもらった。
だけど、それとこれとは別なのだ。家族が、 郷里が恋しくなったんだろう。
そんなことを考えていると背中に鈍い痛みがはしった。
「うわっ!」
そのまま体重をかけてくる誰かを見ようと首を回す。チラリと見えた赤にリアかと思った。
「どうした?何かあったか?」
俺の問いに別にと素っ気なく応えた。身じろぎする音が聞こえて、サラリと落ちた髪の毛が背中に当たる感触がして、くすぐったくなる。
「…私、変わらずこの国にいる。」
ほんの少しだけ、震えを含んだ声にうんと頷く。リアもきっと今回の潜入で思うことがあったんだろう。自分によく似た色を持つあの人に会ったと言っていたから。
「だから、」
言葉を探すように言葉が途切れ、沈黙があたりを支配する。
「だから…ローランくんもずっとここにいてくれるよね?」
その言葉にハッとする。リアはきっと敏感に感じ取っているのだろう。俺が自国に帰りたいと思ってしまったこと、アランに殺されることも悪くはないと考えていることを。
半身だけ彼女の身体からずらして、耳元にささやく。
「…当たり前じゃん。」

ぎゅっと胸が苦しくなった。どうかこの掠れてしまった声に気づかないでほしい。

 

 

―父さんを亡くして、僕は目標を失った。未だ髪色に囚われているこの国で、僕も雁字搦めになっていた。

 

あの日からふつふつと煮えたぎる怒りが抑えられない。あいつを見つけたのは本当に偶然だった。

夕方の巡回の最中、ふと目に留まった男女がいたのだ。女の方は明るい赤髪を三つ編みしているのに、男の方は髪を短く揃えていた。若いのに珍しいな、と見遣ったその横顔は見間違えようがなかった。
戻ってきていたのかと思った。だが、そんなはずはない。あいつは黒に降ったのだから。意を決して、僕はそっと二人の後をつけ始めた。
しばらくすると女の方が何かを言って別れた。荷物を預けて行ったところを見るに何か買い忘れでもあったのだろうか。一対一の状況に好都合だと思う。
気づかれてしまったのか速度を上げて曲がり角を曲がったその姿を追う。しかし、その姿はすでにそこにはなかった。この道のどこかの路地を曲がったのだろう。
「ローラン。」
名前を呼んでカマをかけてみる。やはりどこかにいるのだろう、何かの気配がした。
「まだいるんだろう?そのままでいい、聞いてくれ。」
僕の半身に対する怒りが抑えきれずに沸き起こる。なぜ父さんが死ななければいけなかったのだろう。そして、なぜお前は黒に降ってのうのうと生きているのだろう。ギリと奥歯を噛みしめる。
「俺はお前を許さない。次に会う時は…容赦しない。」
踵を返し、路地から遠ざかり、任務へと戻る。だが、怒りは収まらない。それどころかあの日から日に日に増していくようだった。
僕は許せないのだ。僕より能力の劣るあいつが、潜入任務を任されているということが。あいつがこの国に残っていたとしたら、僕よりも上にいけたという事実さえもが。
だからこそ、黒に降ったお前を殺して僕は父さんに一歩でも近づく。そのためにどんな犠牲をも厭わない。たとえ父さんと母さんが悲しむとしても。僕は…俺は、お前を。

 

生き急ぐのは賢明ではないと俺の上司は言った。俺の問いに答えることは簡単だが、俺に理解出来るのかと言った。そうかもしれない。
そうかもしれないが、今、俺は結果が欲しいのだ。過程は関係ない。早く結果を出さねば追いつかないと、そう思っているのだと思う。俺の目標とするあの人に、追いつけないのだ。
ローランと共にいた人物には大体のあたりがついた。恐らく軍人、そしてあの髪色。エヴィノニアからの移民の家系。となればロルカ家が挙げられるだろう。赤い影法師と呼ばれ、数年前に暗殺された男の娘が軍に入ったことも調べがついた。

女であっても実力があれば取り立てられるらしい彼の国で、ローランもやはり実力があるということなのだろうか。
本当に?本当にあいつは俺よりも努力したのだろうか?俺だって、ここまでずっと。


―殺すことさえ厭わない


―努力してきたはずなのに


目標となる人を失ってから、きっと俺の瞳は曇って何も見えなくなってしまったんだ。

 


―俺たちはきっとあの永く続いた戦争に、白と黒の英雄たちが戦いを繰り返した日々に取り残されたままなのかもなと、英雄によく似た彼は言った。

 

雨が降り続いていた。
バサリと濃い赤色の束が地面に落ち、ローランくんの顔に驚愕の色が広がる。
「父や母が悲しむから止めろと言っているならばナンセンスだ。俺は俺の意志でお前の前に立っている。」
一言も発さないローランくんを嘲るように笑って彼は言葉を続けた。
「残念な事に、父や母の悲しむ顔を思い浮かべて止められるほど俺は理性的でなくてな。個人的な、自分勝手な理由で貴様を殺めたい!」
パチパチと瞬きをしたローランくんの口がわななく。
「だ、だからって…髪を切ることは!」
「お前を背負ってやるという覚悟だ。」
長い髪が、彼の国では意味のあることだと知っていた。その髪を切るということは、つまり。
「俺は、お前という亡命者を倒した功績と、弟を殺したという罪を背負って上にいく。」
彼は徐に剣を構え直し、ローランくんを見つめた。剣の柄に手をやったまま動かないローランくんの姿に、私は腰の銃に手をやった。
「無粋な真似をするな、移民。」
彼の深い赤が私を射抜く。大切なものを失った濁った瞳だった。
「…私の大切な人をそう簡単に奪われるわけにはいかないんです。」
「いいんだ。」
一触即発の雰囲気を破るように発された言葉に視線を向ける。
「アランの本気は伝わった。…だから、俺も全力でいくよ。」
そういって彼は悲しそうに笑った。
人と人のつながりはどうしてこんなにももろいんだろう。どうして、血を分けた兄弟が、殺し合わなければいけないのだろう。二人が剣を交える音が響き渡る。

 

―空はまだ、二人を思って泣いていた。

現に常世の花が散る

―貴方が幸せだったかどうか、私には分からない。けれど、最期の貴方は満足そうだったから、きっと幸せだったのだと、私はそう思いたい。

 

 

今、思い出してみると、彼女は幼い頃から人とは違う雰囲気を纏っていたように思う。意志の強そうな瞳は黎明色に輝いていたし、女だからと口を閉ざすのではなく、はっきりとものを言う人だった。それでいて、弱くて脆くて、ふとした瞬間に儚い、そんな彼女のことを俺は好いていたのだと、護りたかったのだと思う。

 

彼女には父親がいなかった。病で死んだとも、どこかの貴族の落胤だとも言われていたがそんなことは子どもの俺たちには関係のないことだった。とにかく、彼女は負けん気も強く、男に交じって遊ぶ、所謂遊び仲間だったのだ。

「ナル。」

「ん?」

あの日は確か、学校で成績表が配られた日だったと記憶している。そう、彼女は優の数が俺より一つ少なかったと悔しがっていた。その帰り道のことだ。

「お前は大人になったら何になる?それだけ頭が良ければ大学にだって行けると村の人たちは言っているぞ。」

「俺は軍に入ろうと思ってる。自分の正義を貫きたいからな。」

そうか、と彼女は興味なさそうに相槌を打った。その様子に俺は少し拍子抜けして言った。

「そうかって…。シオはみんなみたいに他に道があるだろうとか言わないのかよ?」

「お前は他人に何か言われたところで自分の意思を曲げるやつじゃないだろう。それに…。」

言葉を止めた彼女は道の傍にある木蓮を見上げた。白い大きな花びらが風に舞っていた。

「もし、わるいことをしてもナルが捕まえてくれるというのは悪くないと思った。」

「…縁起でもないこと言うなよ。」

その時はそういうのが精一杯だった。もしかしたら、彼女はこの後のことを予感していたのかもしれない。

 

「シオ!」

「ナル…。」

彼女の足元には近所のガキ大将たちがうめき声を上げながら転がっていた。

「…何があった?」

彼女は今にも泣きだしそうな顔で語った。ナルミの悪口を言われたのだと。カッとなった瞬間、身体が勝手に動いてガキ大将たちを殴り飛ばしていたのだと。

これで訴えられでもしたらナルがまだ軍人ではないから、違う人に捕まるのだなと自嘲するように、しかし不安に歪んだ顔で笑った彼女を見た時、俺は彼女の手を掴んで歩き出していた。

「な、どこに行く!」

「お前は今日、ここにはいなかった。いいな?」

聡い彼女は俺がしようとしていることに気がついて駄目だと言った。しかし、彼女の言い分が大人に通じるとは思えない、あいつらも女のお前に殴られて気絶したなんて恥ずかしいだろうから何も言わないだろう、と言い聞かせれば最後には渋々頷いた。結果、俺は怒られはしたが喧嘩を吹っ掛けた方も悪かったということに落ち着いた。事件は解決し、日常が戻ってくると思っていた。

しかし、彼女はある日忽然と姿を消した。

彼女の母親に聞くと、彼女は帝都に働きに出たのだという。急に決まったことだからお別れを言う暇もなかったの、ごめんなさいねといった母親の瞳はとても一人娘を働きに出して悲しんでいるようには見えなかった。

それから俺は帝都の軍学校に入学し、彼女の行方を捜していた。そこで偶然、興味深い話を耳にした。この世界には稀人と呼ばれる特殊な力を持った人間がいて、国はその人々を一か所に集めているのだと。もしや、と思った。詳しく聞けば、そこの警備は軍が担っているという。

そして、軍人になった俺は国の稀人収容施設、常世の配属された。

 

 

私は稀人という人間なのだとその人は言った。特別な人間なのだと、そう言った。私は、特別な人間などではなくて良いと思った。こんな力などなければ、母さまは私を愛してくれたのではないかと、そう思うから。

 

常世での生活はつまらないものだ。この囲いの中だけの自由で、生活しなければならない。たまにその力を貸せと役人に連れて行かれることもあるが、それ以外はずっとここに居た。居なければ、ならなかった。

薄桃の雪が舞う。桜の大木の下が春の気に入りの場所だった。今日も今日とて1人夜桜を楽しんでいると後ろでパキリと枝の折れる音がした。振り返ると、桜色のカーテンの奥に居たのは。

「ナル…ミなのか?」

「シオクラ…?」

私たちは歩きのおぼつかない子どものように互いに近づいた。そして、私はその広い腕に身体を閉じ込められた。

「お、おい!」

「良かった…。ずっと、探していたんだ。」

とろけそうな暁に見つめられ、私は言葉に詰まった。

「…すまなかった。」

ここに来てからの、つまらない生活が変化した瞬間だった。

 

それから私たちは周りに気がつかれないように逢瀬を始めた。正直に言えば、稀人の私は常世に居さえすれば特に干渉されることもなかったが、彼の方が大変だった。だが、仕事の忙しい合間を縫って私の部屋を訪れる彼のことを密かに心待ちにしていた。

ドアがノックされる。私は読んでいた本を文机に置いて、ドアを開けた。

「よ。」

そこには彼が立っていた。そして土産物というと紙袋を渡してくれる。彼はいつもこうやってこっそり色々なものを持ってきてくれた。

「今日はなんだ?」

「近くの和菓子屋の水饅頭。美味いらしいぜ?」

なら緑茶にしようかと棚から茶葉を取り出すと彼がお湯を沸かし始めていた。

「お前は一応客人なんだから座っていてくれていいんだぞ?」

そう言うと彼は苦笑した。

「そう言ってこの間は吹きこぼしたし、その前は濃く出しすぎて渋かっただろ?」

前科を言われればやめろとは言えなかった。そんな私の様子に彼はまた笑うと頭を撫でてくる。

「なんだ?」

「いや、そんな気分だったから。」

私たちは会えないでいた十数年を取り戻すように、暇を見つけては一緒にいた。春は桜を見ながら、夏は木陰の下で、秋は紅葉を見て、冬は暖かい布団の中で、温もりを分け合いながら。たくさんの話をして、笑って、幸せな時を過ごした。夢のような、暖かくて愛おしい時間だったのだ。私にとって、そしてきっと彼にとっても。

今年も彼と再び合間見えた季節がやってくると寝台に身体を横たえながら思った。窓から見える蕾は今に花開きそうだ。あと幾度、彼とこの花を見ることができるだろうかと考えていた。

「シオ…?」

背後から腕が伸びて来て肩からずれていた布団を直していく。声に出ていただろうか。そう思いながらも平静を装って聞く。

「すまない、目が覚めてしまったか?」

「いや…。お前こそ寝られないのか?」

少し、考え事をしていただけだと返して再び瞳を閉じる。最期になって彼と出会えた、それだけで十分ではないか。彼を置いて行くことはもう決まっているけれど、せめてこの幸せをあと少しだけ共有していたいと、そう思うのは欲張りなのだろうか。

 

彼と一緒に過ごすようになって初めて任務の依頼が来た。“依頼”といいつつも断れるようなこともなく、強制的なものだ。彼に言えば彼もその日は任務だという。奇遇だなとお互いに思っていた。だが、私は気がつくべきだったのだ。彼が私の任務の同行人の1人に選ばれていたのだと言うことを。

私の能力は爆発的に戦闘能力が上げることで、より強い力を使うには自分の感情を昂らせることが必要だった。私といつも任務を共にする稀人の能力は幻想を見せること。頭で理解していてもあまりにリアルで惨たらしいその幻想に感情の箍が外れる。そして、国の思惑通りに人を殺す。人を殺した瞬間に幻想は崩れてその人本来の姿が見え、そしてまた悲しみの感情が湧き上がる。

「シオ!シオッ!」

あぁ、彼の声が聞こえる。私の方に近づかないように上官に抑えられていた。潤んで、悪くなった視界にも関わらず、私の身体は勝手に動き、目の前の人を倒す。見ないでくれ。私がお前の前で犯す罪を、これまで犯した罪を、どうか…。

 

あの任務以来、訪ねてくる彼を拒否した。いつも開け放っていたカーテンを閉め、暗くなった部屋に閉じこもる。

『やっぱり貴女は化物だったのね。何処へでも行ってちょうだい。私はあなたの瞳が1番嫌いよ。』

母さまの声が木霊する。彼には会いたくないのだ。彼が母さまと同じ目をしていたら、同じ言葉を投げかけてきたら、きっと耐えられない。

そして、2週間が経ったある日。私の部屋をノックする音が聞こえた。また彼だろうと居留守を決め込んでいると聞こえた声は予想と違っていた。

「シオクラ、いるんだろう?ナルミを匿おうとしても無駄だぞ。」

その言葉を理解すると同時に寝台から跳ね起き、ドアを勢いよく開けた。

「…どういうことだ…?」

私の部屋を訪ねてきた軍人は私の慌てた様子に片眉を跳ね上げた。

「なんだ、本当に知らないのか。邪魔したな。」

踵を返した男の腕を掴み再度問う。

「一体どういうことだ?」

「…ナルミが上官に暴行を加えたのさ。」

どうして…と呟いた私に男はハッと笑った。そしてほんの少しだけ顔を歪めると言葉を紡いだ。

「本当にあいつの言った通りだ。鋭いようで鈍いときた。」

お前の命が残り少ないことを知ったのさ。そして、ならば早く任務に連れて行かねばと言った上官を殴ったってわけ、と男は言った。頭を殴られたような衝撃が走る。何故、私なんかのために。

「…本来であれば異動か降格。しかし、稀人の秘密の一端を知った奴のことを生かしてはおけない、と。」

頷いた男にもう一度、とにかくここにナルミは来ていないと伝えドアを閉める。遠ざかる足音を聞き届け、締め切っていたカーテンを開ける。そして、任務で使う刀を引っ掴むと窓から外へ出ようとした。

「おい、シオ!」

突然掛けられた声に驚いて固まる。窓枠の下には彼がいたのだ。

「ここで何をしている⁉︎お前は追われているのだろう⁉︎」

早く上がれと彼を部屋に招き入れる。窓を閉めると彼は感極まったように私を力強く抱きしめた。その温かな腕にほんの少しだけ目頭が熱くなる。こんなにも、彼は私のことを大事に思ってくれているのかと思うと、もう、迷いはなかった。

「シオ、俺はこうなったことを後悔していない。一生追われることになったとしてもお前を守りたい。だから俺と一緒に「ナル。」

意を決したように言う彼の言葉を遮る。

「お前は生きてくれ。私は、この力を持って、お前に降り注ぐ火の粉を払うとしよう。」
何かを言おうとした彼の口を私のそれをもって塞ぐ。

「幸せになってくれ、ナルミ。」

 

どのぐらい時間が経っただろうか。彼は、無事に逃げることが出来ただろうか。着ていたシャツもズボンも真っ赤に染まっている。足がもつれて地面に伏した。ひらりひらりと薄桃が上から落ちてくる。

「ここは…。」

あの日と同じ桜の下か。影が私を覆う。ガチャリ銃を構える音がした。

 

一陣の風が花を散らした。

 

 

私は私の選択に後悔も迷いもない。あの時もそれが正しいと思った。それだけだ。時折、もっと他の選択肢があったのかとも思う。けれど、私たち稀人はどこかでやはり、馴染むことのない何かを持ってしまっているのだ。だから、きっとこれで良かったのだ。

 

 貴方と出会ったのは小高い丘の上にある桜の樹の下だった。追手を間一髪で撒き、桜の樹の上で辺りを見回していると、村へと続く一本道を貴方は急いたように上がってきていた。慌てて下に降りて隠れようとした時、貴方と目が合う。

「君は…。」

泣き出しそうに潤んでいた瞳が二、三瞬かれ不思議なものを見るような色が浮かぶ。

「名乗るほどの者ではありませんよ。」

そう言ってその場を立ち去ろうとするとパシリと腕を取られた。

「…なんですか?」

「なぜだろう…。君に、なにか似たものを感じるんだ。」

貴方の言葉の真意を詳しく聞こうとした時、何かの気配を感じた。こっちと言いつつ、近くの木立に隠れる。と、何人かの軍人たちが現れた。

「どこに行った?」

「さあ…。また逃げられたか…。」

チッと舌打ちしながら探すぞと村の方に向かう。その背中を見送ると貴方が口を開いた。

「君は追われているのか?」

私は頷く。と、彼は確信を持ったかのように頷いて私の手を取った。

「…君は稀人、じゃないか?」

その言葉に驚くと貴方は少し笑って言った。

「稀人の知り合いがいたんだ。少し、雰囲気が似ていたから、ね。」

 そう言って笑う貴方は生気のない目をしていた。なぜ生きなければならないのかと問いたくなるほどに。

「そうですか…。では、私はこれで。私のことは内密にしていただけると助かります。」

「手伝ってもいいかな?」

貴方からの申し出に私はまた驚いた。これまでも優しくしてくれる人がいなかったわけではない。けれど、貴方の言葉は本気だと伝わってきた。

「…とても嬉しい申し出ではありますが、貴方を巻き込むことになります。ですから、私は独りで逃げなければ。」

「俺は元軍人で、軍から追われて今ここで隠棲している。別に君が増えたところで問題はない。それに…。」

護りたいんだ、とそう言った貴方に私はつい頷いてしまった。ここで何としても別れるべきだったと今なら思う。けれど、その時貴方の瞳が生気を宿したように見えてしまったから。

「俺はナルミ。君は?」

「Lorca.」

私の発音が耳慣れないものだったからか、小首を傾げた貴方に私は笑う。

「アモウ、と呼んでください。ナルさん。」

そして私と貴方の短い、けれど私にとってかけがえのない、逃亡生活が始まった。

 

 「アモウはどうして追われているんだ?」

パチリパチリと爆ぜる焚き火の前でナルさんはそう問うた。私は少し考えて言う。

常世に入ることを拒んでいるからです。この国では能力が開花した稀人は常世に入って道具のように使われるでしょう?」

ナルさんは頷いた。きっと思い当たる節があったのだろう。

「私の父はこの国の人ではありません。だから、稀人がこんな扱いを受けるのはおかしいと思っていました。」

「それなら、家族で逃げていたんじゃないのか?」

私が頷くとナルさんは聞いてもいいのかな?と言った。それにも頷くと意を決したように口を開く。

「ご家族は…?」

「私のことを忘れて、きっと幸せに暮らしていると思いますよ。父の母国で。」

私の言葉にナルさんが固まる。それに少し笑って付け足した。

「手続きで居所がバレてしまいますから、私はこの国から出ることは難しいですけれど。」

そうかと頷いたナルさんに今度はナルさんの番ですよ、と言う。

「どうしてナルさんは隠棲していたんですか?」

 ナルさんはポツリポツリと語ってくれた。幼馴染の稀人、シオクラさんのことを。

「守りたかった。けれど、あいつは俺を、助けるために…。」

弱いなと零したナルさんの頭をそっと抱き寄せて抱える。

「そんなに自分を責めることを、シオクラさんは望んでいませんよ。」

腕の中のナルさんが顔を上げる。それに気がつかないふりをして空を見上げた。空に浮かぶ月は静謐な光を放っていた。

 

貴方と共に各地を転々とした日々はあっという間に過ぎた。貴方はいつも私を見ていた。いや、正確には私を通して彼女の姿を。

「…ナルさん?」

 「ん?」

ようやく焦点が合う。きっと貴方は無意識なのだろう。私を護ってくれた時、貴方の瞳にはふっと影がかかる。私ではない、誰かの影が。

「あの…私、行きたいところがあるんです。」

いつものように優しく聞いてくれるナルさんに私は答えを返した。その答えにナルさんの表情が固まる。

「…なぜ?」

「行ってからお話します。あ、そこで保護される気は全くありませんよ?」

私の言葉に少しは納得したのだろう。微妙な顔をしながらナルさんはそれでも頷いてくれた。ごめんなさい、けれど私は気がついてしまった。貴方は私に、そして私を通して見ている彼女に雁字搦めに囚われている。それを私は望んでいないのだ。きっと彼女だってそうだろう。だから分かって欲しい。これはきっと最良の選択であるはずだ。

 

 「何を言ってるんだ、アモウ。」

元軍人のナルさんの知識を活かし、監視の目をくぐり抜け、件の桜の下にたどり着いていた。

「…力を使わせてほしい、と言ったんです。私たちのことなど忘れるように。」

「アモウは…嫌になったか?こんな過去ばかり振り返る弱い男だから。」

そう言って自嘲する貴方に私は首を振った。

「いえ。けれど、ナルさんは私を見てシオクラさんを思い出していますよね?私を護ることで罪滅ぼしをしていますよね?」

私の問いにナルさんは押し黙る。私が貴方の心の弱い部分を突いたから。

「それでも俺は、お前を護りたい。シオのことを抜きにしても。」

あの日と同じ瞳を向けてくる。あぁ、そんな顔をされたら、私は。

「私も一緒にいたいですよ。」

私の言葉にナルさんの表情が明るくなる。

「なら…「でも!」

彼の言葉を遮る。私を護る中に貴方の幸せはあるの?私を一生護っていくことが本当に貴方の幸せなの?私は、私たちはもう貴方を苦しませたくない。

「私たち稀人とナルさんたちの時の流れは違うんです。私は…貴方を一生縛り付けたくない。」

夜風が吹いてくる。なんて別れにおあつらえ向きなのだろうか。

「貴方はこのままでは幸せになれない。だから…半世紀。半世紀経ったらきっと返しに来ましょう。」

貴方の額にそっと口づけを送る。

「どうか、私たちを忘れて幸せになって下さい。」

冷たい夜風が桜花を散らした。

 

 

ずっと何かを忘れている気がしていた。けれど、それが何であるのかちっとも思い出せなかった。

「あなた。」

記憶をなくした俺なんかを選んでくれた妻。

「父さん。」

「お父さん。」

可愛い子どもたち。

俺は真っ当に幸せな人生を送って来た。記憶をなくす前、俺は一体何をしていたんだろうか。桜を見ると胸の奥が疼くのはなぜだろうか。なくした記憶は戻らないまま、俺は床に就いていた。

「お夕飯の支度、してきますねぇ。」

日がな側にいてくれる妻が出て行く。開けていってくれた襖の奥、縁側の外に庭の桜が見える。もう、縁側に腰掛けることさえままならない。ぼんやりと眺めているとそこに、赤い髪が写り込んだ。

「お久しぶりですね。」

女性というよりは少し幼い、けれど美しい少女が話しかけてくる。

「約束通り返しに来ましたよ、ナルさん。」

どうしてと口を開く前に、部屋に上がり込んだ少女の指がとん、と額に触れた。

幼い日の隣、黎明色の瞳、桜の樹、身を引き裂かれるような悲しみ、赤、そして月。記憶の濁流の中、たぐり寄せた言葉を紡ぐ。

「シオ…。ア、モウ…?」

「えぇ。」

記憶とそう変わらない年恰好のアモウはにっこりと笑った。そして俺のことを起こすと、手を引いた。何故か身体が軽くて、縁側まで歩いて腰掛けることさえできた。

「何で、俺は、こんな大切なことを…。それに、アモウは…。」

アモウは少し寂しげに笑うとごめんなさいと謝った。俺の頭を自分の肩にもたれかからせるとすべてお話ししましょうと言った。

 

稀人は不思議な力持って生まれてくる。だが

その力は決して無尽蔵ではない。

「私たちの力の代償は命です。けれど、その消費のされ方は違います。」

シオは力を使わずとも普通の人間と同じように歳をとり、そして力を使えば寿命が縮む。つまり、力を使えば使うほど若く死ぬわけだ。

「私は、シオクラさんとは少し違います。始めて能力が発覚した時点で成長が止まって、力を使うとその人から奪った記憶の半分、歳をとるんです。だから、力を使わなければ…。」

「永遠に生きていけるというのか?」

多分、とアモウは頷いた。曰く、稀人は力を使って若くして死ぬことが多いから分からないと。

「…あの日。」

俺もきちんと知らなかった稀人の真実を語り終えたアモウがポツリと呟く。

「有無を言わせず、ナルさんの記憶を消してしまってごめんなさい。でも、私はナルさんに普通の幸せを手に入れて欲しかった。それはきっとシオさんも望んでいたことだと、思ったんです。」

話そうとして息だけが溢れた。とりあえず、目の前で固く握られている手をそっと握る。

「…いいんだ。もし、あのままだったら俺は、ずっと過去に囚われたままだっただろう。」

それをシオは望んでいないよな。そう告げるとアモウはポロリと涙をこぼした。

「…ありがとう。俺は幸せ者だ。」

 

 

「本当にこれで良かったんでしょうか…。」

「これで良かったんだ。見てみろ。」

縁側で眠る貴方は微笑んでいたから、きっと。

「…行きましょう、シオさん。」

「あぁ。」

吹いてきた風が花弁で2人の姿を覆い隠す。それが止んだとき、その姿はもう、どこにもなかった。

とある昼の男たち

さて、モーニングを食べ終えた俺とミランは某ドラマの撮影現場に足を運んでいた。

「よ!マルセル、元気にしてるか〜?」

現場の隅の方で座っていたマルセルに声を掛けると慌てた様子で椅子から立ち上がりペコリとお辞儀した。

「お久しぶりです、ロルカさん、フォートリエさん!」

そう、ここは俺とミランが出ていた白と黒の英雄譚の2nd Seasonの撮影現場なのだ。とはいえ前回キャストもしばしば回想シーンに出るので俺たちも出演しているが、撮影日自体はまだ先だ。

「今はどこのシーンなんだ?」

「アランとローランが雨の中、初めて剣を交えるシーンですよ。…始まります。」

監督の声が聞こえて撮影が始まる。父の背中を追いかけ、実の弟をも踏み台にして上へと上ろうとするアランと甘さゆえの迷いがありつつも、アランが今欲しいものを持っているローラン。2人の相対を見守るのはルクリアだ。

アランが髪を切ろうとしたところでカットがかかった。実際に髪を切らなければならないのでそこで一度止まったのだろう。アランの散髪のために一度休憩が入る。

「セージさん!ミランさん!」

てててとまず駆け寄って来たのはルクリア。

「おー元気にしてたかー?」

「久しぶりだな。」

はい!と頷くルクリアの後ろからローランも顔を出す。

「お久しぶりです!」

そこから今回の撮影についての話題になっていく。アランが今回、役作りに苦戦しているのだという。

「こう…アランがどうしてローランを憎むようになったのかっていう心の過程をどう表現したらいいのか分からないらしくて…。」

「だってよ、ミラン。」

眉間にシワを作ったミランが口を開く。

「俺の個人的な意見としては髪の色とあとは黒に降ったローランの立場だな。アランにとって…」

人物の解釈をするのは難しい。だが、その人を生きるためには必要な過程なのだ。白熱した議論はアランが戻って来るまで続けられた。

 

カーットと監督が言って今日の撮影が終了した。お疲れ様でしたーと出てきた面々を手を挙げて呼び寄せる。

「おーっし、お前ら飲みに行くぞー!」

ぱぁと輝いた顔に悪い気はしない。

ミランも行くだろ?」

そう聞けば苦笑して頷かれた。

「積もる話もあるだろうしな。俺もお邪魔するさ。」

やった!と言ったのは意外にもアランだった。

「僕もお二人とお話したかったんですよ!それなのに、散髪あるからって休憩中は話せないし…!」

少し頬を膨らませたアランに皆が笑う。

「では、行くとするか。」

ミランの号令で皆が移動を始める。副団長っぽいな〜なんて思ったのはここだけの秘密だ。